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【オリンピック】沖縄県勢・初の「金メダリスト」爆誕!

きのうの夜、沖縄県民が喜びにわいた瞬間。それが、オリンピックの空手「形」で、喜友名諒選手の金メダル🥇が決まったときです!


やったぞー!!


「他を寄せつけない、圧巻の演武」

銀メダルのダミアン選手に
1.06ポイントの大差で、圧勝!




いざ、決勝戦!


喜友名選手が、畳にあがったとたん、



会場中が、ピンと張りつめた空気に。




それが、テレビの画面越しに

ビシビシ伝わってきて、



見ている、わたしたちも




思わず、息をのみました。





決勝で披露したのは、


「オーハンダイ」



喜友名選手は、見ている人たちにも

演目が、きちんと伝わるように


オーハンッ、ダイッ!


と、タイトルのフレーズをわけて


ハッキリと発音していました。






演武が、はじまると……


手足の動き、ひとつひとつが武器に見えるほど

重たく、するどい一撃。


人を殺しそうな、気迫。



そのなかに、ていねいさと

柔らかさが、まざっていました。


喜友名選手が指導している、
小学生の男の子によると……


演武している喜友名選手から

「湯気が出ていた」とか!


それぐらい、熱気がすごかったんですね。




「空手」と「芸術」

それから、喜友名選手は、

琉球舞踊を習っていたようです。



空手と琉球舞踊は、腰の使い方、手の呼吸法、間の取り方など一つ一つの所作に共通点がある。

空手にも剛と柔があり、力強さの中にも柔らかさを出すということでも、琉球舞踊から得るものがあると思う。

(玉城流翔節皓涼会会手・「琉球舞踊」保持
比嘉 涼子さんのインタビューより引用)


ピアノの演奏でも、


ていねいに弾いてるつもりが、間のびしていたり


柔らかい音を、出しているつもりが


輪郭のぼやけた音になっていたりすることが、


間々あります。





喜友名選手の動きは、


そういうものとは、縁がありません。




だから、演武のはじめから終わりまで




緊張感が、とぎれることなく続くのです。




演武が、終わっても

この、りりしい表情のまま……。




それを見ていて、

思いだしたことがあります。




むかし、県内の有名な声楽家先生の

リサイタルを、聴きにいったことがあります。


プログラム・第1部の最初のほうで


その方が、「ある晴れた日に」という歌を


歌ったんです。


その歌は、オペラ「蝶々夫人」の主人公が、

恋人を待ちわびて歌ったものです。



声楽家先生は、その歌を歌いきったあとも、

恋する主人公に、なりきったままでした。



外国に行ったまま、帰ってこない恋人を

「あのひとは、かならず帰ってくる」

と、信じながら、その日を待ちつづける




純粋で、芯のつよい主人公に。





空手の「形」も、スポーツですが


どこかに



「芸術」の要素も


ふくまれているのかな、と感じました。






それにしても


喜友名選手も、声楽家先生も


みんな、すごいなぁ。



わたしなら、

あぁ、よかった。

ぶじ終わった〜。ホッ!


と、表情が、すぐゆるみそう。





あの瞬間が、くる


そして、判定です。

喜友名選手の、メダルの色が決まる

瞬間が、おとずれます。



さきに演武を終えた


ダミアン選手が、畳にあがり


演武を終えたばかりの、喜友名選手のとなりに


すこし、距離をあけて、ならびます。



ふたりの間に


レフェリーが立ちました。




両者の得点は


同時に、発表されるそうです。


ボクシングの判定よろしく

勝ったほうの選手の腕が


レフェリーに、高々と上げられます。




わたしたちは、


かたずを飲んで、その瞬間を待ちました。




まちがいなく、喜友名(選手)が金だろうけど……



きのうの清水(希容選手)だって、


勝ったと思ったら


銀メダルだったし……。



そんなことが、頭をよぎって


ドキドキしていましたが……、






予想通り!







「青」の、喜友名選手の腕が



高々と、上がりました!








「喜友名、金メダルー!!」









実況を聴いたとたん、


ようやく、ホッとしました。





あぁ、よかった!





やっぱり、喜友名(選手)が、勝った!!





オリンピックの頂点に立っても


喜友名選手は、表情を変えません。



畳のうえに、しずかに正座。


「ダミアン選手への、

感謝の気持ちがわいてきて」


ふかぶかと、一礼。





あぁ、「王者」が生まれたなぁ。




威厳と風格を兼ね備えた


「空手」の王者が、


その発祥地・沖縄から


誕生したのです。





試合後のインタビュー、
そして表彰台へ


インタビューでも、多くを語らず、


ひとつひとつ、言葉を選びながら


質問に答えていく姿が、


とても印象的でした。



インタビュアーに、

「どんな思いで畳に一礼したんですか?」

と、質問され、

「いろいろ、あるんですけど……」

と、男泣きしたあと、


「まずは、(亡くなった)母親に、しっかり、優勝したよ、という報告をしたい、というのがありました」


と、ぽつぽつと、胸のうちを語っていました。




そして、


沖縄の子どもたちにも


「夢をあきらめず追いかけ続ければ、しっかりと達成できるということを知ってもらえたと思います。


大きな目標だったり、希望を持って自分の道に進んでほしいです」


と、メッセージを残してくれました!


2年前に、病気のため57歳の若さで亡くなった、お母さまの遺影とともに、表彰台のいちばん上へ

ここで、やっと笑顔が!



喜友名選手って、どんなひと?


喜友名選手は、沖縄市出身の31歳。

5歳から空手をはじめ、
沖縄東中2年の頃、個人形で全国制覇。

興南高校在学中、インターハイで
空手男子個人形を制しました。


沖縄国際大学、在学中に
団体形で、初のナショナルチーム入り。


成績がふるわない時期もありましたが、それでも、世界大会を次々に制覇。




全日本選手権9連覇


「プレミアリーグ優勝19回」が
ギネス認定されるなど、

2018年からは、負けがありません。


みずからの道場で、後進の指導も
積極的におこなっています。



喜友名選手は、かなりの努力家だそうです。


師匠の佐久本嗣男先生が

「努力の天才」と評するほどで、

幼いころから今日まで、

まいにち練習を欠かしていない、とか。


喜友名選手の師匠・佐久本嗣夫先生とは↓



そして、


「家族ファースト」で、


「愚痴や悪口とは無縁」の人生を

送っているとのこと。



「空手家の鑑」を体現する

喜友名選手の快挙を、


家族だけでなく、同門の後輩たちや、

みずからの門下生たちも


みな、じふんのことのように

喜んでいるそうです。




沖縄の「太陽」になった、喜友名選手


ここ、沖縄では、おととい


コロナ患者が648人と、


過去最高を、たたき出しました。


まだまだ「セルフロックダウン」は続き、

県内のショッピングモールは

土日休業を余儀なくされました。



出かけたくても出かけられず


おうちにこもっている沖縄県民を



喜友名選手の「金メダル」が


照らしてくれました!




ままならない日々ですが、


わたしも……



最終的には、


「すべてに感謝」


できるように、


心がけていかないとなぁ……。





参考: 琉球新報 8月7日付
  第1、14-16、24-26 面

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さいごまで読んでくれた、あなたの心も

パッと明るくなりますように。


しーぶん(おまけ)です!

地元紙面の下には、喜友名選手の「戦歴」が
記された、年表が!




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