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視野なんか広くなくていい。

noteの皆さま、こんばんは。またひとり、わたしの好きな著名人が、あの世へ旅立っていきました。Sazanamiです。まさか、noteのタイムラインに、山本文緒さんの訃報が流れてくるとは。


山本さんの著書を読み漁っていたのは、
大学生のころ。




短編小説にしても、長編小説にしても、
ひとの心の奥底を、深くえぐるような作品が、
多かったように記憶してます。


おススメが、たくさんありすぎて
ひとつに絞るのが難しいんですが、






このエッセイを推したいです。


「かなえられない恋のために」

(この記事のコメント欄にて、Small Worldさんに教えていただきました。感謝!)




1993年に発売された、
山本文緒さんの、エッセイ集です。




この本の第4章に収録されている

「狭い世界」という作品に




わたしは、だいぶ救われました。




たしか、大学4年の頃だったと思います。


当時付き合っていた彼氏が、
卒業旅行で道後温泉に行くと、
鼻をピノキオのようにして
話していました。


そのときに、内地(県外)に行けば視野が広がるぜ
的なことを、延々としゃべり倒され、


「おまえも、もう少し視野を広く持て」


と、アドバイスを受けました。




わたしの「視野の狭さ」は、
ごもっとも、な感じだったので、
言いかえす術もなく、ただ黙っていました。


大人数で遊ぶのと、騒がしい場所が苦手なので、いつも自宅と大学の往復。




予定のない日は、
自宅アパートに、こもりきりで、

予定があって、出かける場所は、
行きつけのカフェか、彼氏の家くらいでした。


あとは、
たまーに、ドライブデートするくらい。





極度の人見知り、というか、知らない人に対する警戒心がハンパじゃなかったので、なかなか、新しい友だちを作れませんでした。




なので、遊ぶのは、いつも同じ友だち。






彼氏は、男女問わず友だちがたくさんいて、先輩たちにはかわいがられ、後輩たちには慕われるタイプでした。






いろんなコミュニティに属する、いろんなタイプの友だちがいて、彼ら彼女らといろんな場所に遊びに行って、いろんな話を聞いていたら、




そりゃあ、視野だって広がるもんなのかもな。






納得すればするほど、彼とは真逆の生活を送っている自分に対する劣等感は、大きくなるばかり。








家と大学と、大学の近くにある
「いつものカフェ」を、


おなじ顔ぶれの友だちと行き来する、
単調なまいにちを送る自分自身が、


相当、つまらない人間に思えて、

泣けてきました。






まいにち、自分の家か わたしの家で、大学のこととか、友だちのこととか、いつも同じ話ばかりで、彼氏は、うんざりしているんだと思うと、


悲しくなりました。








彼氏が望んでいるように、飲み会にも積極的に参加して、彼氏の友だちとも積極的にお話して、仲良くして、ふたりのコミュニティを、ふたりで広げていく。


それを、どうやってもできない自分に、
嫌気がさしていきました。









そんなときです。


山本文緒さんのエッセイ

「狭い世界」を読んだのは。









短いエッセイですが、文字を追う目から、

ウロコがポロポロ落ちてきました。







そして、読み終わると、

今まで悩んでいたのが嘘のように
晴れやかな気持ちで、




「うっそー! いいんじゃない? これで」





と、ふっきれて、

もう、同じことでは悩まなくなりました。










エッセイには、こう書いてあったんです。





ワイキキビーチでアイスクリームを売る女の子も、サンフランシスコ湾で船を操るおじさんも、
声を張り上げるスペイン人のガイドさんも、
皆 狭い世界で生きているのだと。

その狭い世界の中で一所懸命に生きていて、
喜びや不満や明日の仕事のことや老後の不安のことなんかを考えているのだと。







外国へ旅行したときに、実感したんだそうです。


旅先という「非日常」な場所にも、
「日常」を生きている人々が、いるのだと。










そうですよね。
どんなに「日常」から離れた場所でも、

そこで日々、暮らしている人たちにとっては、
そこが「日常」なんですよね。




逆に、そこから
わたしたちの住む地域に訪れた人たちには

わたしたちが暮らすその場所が、
「非日常」の楽園になる。







この「気づき」は、こう続きます。




「ひとりの人間が経験できる出来事は 
とても限られて」いて、



「世界を飛び回っては偉業を成している人間もいるけれど、それはごく少数の才能と体力と使命感に恵まれた人だけ」だと。







そして、この部分に、めっちゃ励まされました。





誰だって自分の手の届く範囲でしか生きていない。それは恥ずかしいことでも悲しいことでも何でもないのだ。

短い一生のうちに関わることのできる、ほんの少しの人間、ほんの少しの仕事、ほんの少しの本。

それをないがしろにして、何ができるというのだろう。




……そうだ、そのとおり!





人間ひとりが持っている
バイタリティやエネルギーには限りがある。
それを漫然と使っていたら、
結局何も手に入らない。

自分の好奇心に正直になること、
持っているものを大切にすること。



このあとに続く、山本さんの心境と同じくして、わたしも、「幸せな気持ちで昼寝をしたり、歴史の本を読んだりできるように」


すなわち、


おうちで、だらだら好きな音楽を聴いたり、
マンガを読んだりできるようになりました。







テレビ棚の下に眠っている、フィッシュマンズのライブビデオや、コンポの上に無造作に置かれているCDたち。


ベッドとテーブルと、テレビ、CDコンポ、
ピアノしかない、ワンルームの部屋。


大学までの通学路、行きつけのカフェ、
つるんでいる、「同じ顔ぶれ」の友人たち……。





それから、

「沖縄から出ようと思ったことのない」自分。





そういう、ひとつひとつが、

キラキラと輝きだしたから。





あぁそっか。



そばにいてくれるひとたちを、

そばにあるものたちを、

いつもいる、その場所を



たいせつ に 

していけば、いいんだ!






いまでは、「狭い世界」を締めくくる
この文章に、元気をもらっています。






人は何かを成すために生きてるんじゃない。
何も成さなくてもいいのだ。
自分の一生なんて好きに使えばいいのだ。







結婚を機に退職して、
わたしの住む世界は、広がるかと思いきや、
さらに狭くなりました。




連絡を取るのは、夫と実家の家族、
あと義妹くらいです。



友人・知人、むかしの仕事関係者に至るまで、
携帯の連絡先に登録されているひとは、100人以上いますが、そのなかで、やり取りしているひとは、10人にも満たないでしょう。




行くところといえば、おうちから歩いて5分以内の場所にある支援センターか、サ○エー。



それから、市内の親子リトミック教室と、隣街の「おっきいサ○エー」いずれも、車で10分ほどの距離で行けます。



ときどき、夫&娘とお出かけしますが、車で40分くらいの場所まで、頑張って遠出する程度。





家族以外の人と会うといえば、支援センターと親子リトミックの先生、そこに通う親子たち、
終わり。



「職場」というコミュニティと、それに伴う付き合いが消え、こんなご時世だから、友だちとも気軽に会えず、娘との用事のないときは、ますます家にこもるようになりました。




おうちで家事をしたり、noteを見たり書いたり。

娘と遊んだり、夫とテレビを見ながら
ご飯を食べる、そんなひととき。





わたしを取りまく「とても狭い世界」を愛でて、

じぶんの「好奇心」を深堀りする。




そうしていくうちに、

オンリーワンの一生に、なればいいや。





山本さんの「狭い世界イズム」を
勝手ながら継承して


スキップしながら
人生を折り返そうと思います。






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さいごまで、読んでくれたあなたへ



「かなえられない恋のために」に

収録されている、オススメのエッセイを、

もうひとつ。



「不倫と我慢」です。



恋愛は交通事故のようなもので、
どれだけ「安全運転で気をつけよう」
と思っていても、事故は起こる。


との例えが、おもしろかったです。



電子書籍でも、文庫版を購入できました。

ぜひ!


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