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山中瑶子監督 ✕ 佐藤順子プロデューサー対談 前編

監督による映画企画の発信の場であり、プロデューサーと監督との出会いの場であるIKURA。その立ち上げに伴い、『空白』(吉田恵輔監督、2021)『宮本から君へ』(真利子哲也監督、2019)などの作品を手がけたプロデューサー・佐藤順子と、『あみこ』(2017)、『魚座どうし』(2020)の監督・山中瑶子の対談が実現。多岐にわたるプロデューサーという仕事、影響を受けたもの、IKURAへの期待、これからの映画制作のあり方などをめぐって意見を交わしました。(構成=木村奈緒、撮影=間庭裕基)


■ 山中監督に一度会ってみたかった

佐藤:『宮本から君へ』でご一緒した池松壮亮くんと日本映画について話していた時に誰か面白い監督いないかな」って話をしたら、池松くんに「山中瑶子さんという監督がいる。この監督を知らないのはプロデューサーとしてマズイ」と言われて。その後、PFFのオンライン映画祭(「“ひと”が映画をつくる」)で、『あみこ』『魚座どうし』と、池松くんと山中さんの対談を見て、ものすごく面白かったので、一度お会いしてみたいと思っていました。

山中:池松さんは、『あみこ』をポレポレ東中野で公開したときにもトークゲストに来ていただきました。そのときに、池松さんが「今、『宮本』のイン一ヶ月前ぐらいなんだ」と話をしていて。上映後の食事の席に真利子監督も来てくれたんですけど、池松さんと真利子監督が結構バチバチやっていて、一ヶ月前でこの感じ大丈夫なのかって思って(笑)。

佐藤:それ一番大変なときだね(笑)。

山中:それでますます映画が楽しみになりました。映画を観終わって椅子から立てなくなるっていう表現はよく聞きますけど、『宮本から君へ』は背後からガッと羽交い締めにされたみたいに動けなくなりました。本当に素晴らしかったです。

佐藤:『宮本から君へ』は、制作から企画成立まで結構大変で、真利子監督と池松くんとは長い期間一緒に映画を作ってきたので、すごく信頼しています。

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■ プロデューサーという仕事

佐藤:『あみこ』っていくつのときに撮られたんでしたっけ。

山中:19歳の終わりぐらいです。大学をやめてから撮りました。大学のカリキュラムが、まず5カットの映像を撮って、次5分のを撮って、次10分のを撮って……みたいな感じで遅くって。

佐藤:面白いね。山中さんの映画を観ると、ちょっとそういう感じあるよね。

山中:せっかちなところはあったと思います。『魚座どうし』(ndjc2019完成作品)と同時期に、東京MXテレビのオリジナルドラマ(『おやすみ、また向こう岸で』)の話が来たんですけど、その2本はプロデューサーとプロのスタッフと制作しました。『あみこ』は完全自主制作ですけど、人に手伝ってもらうことに申し訳なさがあって、プロデューサーどころか制作面も全部自分でやっていました。だから『あみこ』だけちょっとワンマン感が強いやり方で、それを今ではあんまりよくなかったと思っています。その後から人に頼ることを学んでいきました。『おやすみ、また向こう岸で』のプロデューサーは3歳年上の若い方で、『魚座どうし』はオフィス・シロウズの久保田(傑)さんというベテランの方でしたが、同時期にそのお二人と組んだことでプロデューサーによって全然違うことが分かって良かったです。

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佐藤:プロデューサーの定義って難しくて、人によるんですよね。エンドロールを見ると、いろんなプロデューサーがいるじゃないですか。たとえば、会社に属しているプロデューサーの中には、企画を立ち上げる人もいれば、製作委員会として出資を決める人もいるし、シロウズは制作プロダクションだから、久保田さんはスタッフィングしたり監督と(脚)本を作ったりもされますよね。監督の持っている物語や本を、第三者の目線でより良いものにしていくのもプロデューサーの仕事だし、予算管理もすごく大きい仕事ですよね。プロジェクトとしてリクープを目指す。つまり、劇場公開で製作費に対してどのくらいきちっと収益を取り戻していくか。監督を海外の映画祭でデビューさせるのであれば、それも含めていかにプランニングできるか。一概にプロデューサーと言っても、どの様な形で携わったかは作品と人によりちがいます。


■ 企画の生まれ方

佐藤:私の場合、監督の作品を観せていただいて、一緒にお仕事したいと思ったところから始まることがほとんどですね。そのうえで監督とお話しする機会を作って、最近どんなことに興味があるんですかとか、どういうものを今やりたいと思ってますかといったことを話すなかで企画が生まれていきます。今は独立したんですけど、もともとスターサンズという会社にいて、監督が会社に企画や本を持ってきてくださることも多かったです。私たちから「売れている原作を映像化してください」とお願いしたケースはほとんどないんですよ。

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私が一本目にプロデューサーとして関わったヤン・ヨンヒ監督の『かぞくのくに』(2012)は、監督のファミリーストーリーを聞いていたときに、それは映画になるんじゃないかと思ったところから企画が生まれました。商業主義の傾向が強い、ここ数年の業界の流れで言うとちょっと珍しいかもしれないですね。ミニシアターがビジネスのデビューの場として成立しなくなってきていることもあって、ベストセラーの映画化だったり、有名な役者さんの出演ありきで企画が立ち上がることが今はほとんどだと思うんです。あと、これは他の方の意見も聞いてほしいんですけど、特に日本の映画会社には、新人監督に大きなバジェットでオリジナルを撮らせる風潮がないんじゃないかな。

山中:そうですよね。当然のように「こういう原作があります」みたいな話は来ますけど、オリジナルの話はまず出たことがないですね。

佐藤:ミニシアター全盛期は、監督にとって名刺になるような映画をプロデューサーがまず一本撮らせて、ある程度ビジネスチャンスができたところでオリジナルを撮ってもらうといった段階を踏んでデビューしてきてるんですよ。是枝(裕和)さんとか西川(美和)さんとか。そういう土壌は今の日本にはないよね。逆に今は、Netflixの配信だったりアマゾンだったり、いろんなプラットフォームから直輸出されちゃうじゃないですか。だから、山中さんとか才能のある若い人たちは、そういうところにチャンスがあるかもしれないとは思います。

山中:Netflixやりたいです。

佐藤:そこでいろんな人が観てくれるわけですもんね。劇場で観てほしいですけど、なかなか難しいこともあるし、そういう時代になってきたなと思います。


■ 影響を受けた映画や人

佐藤:山中さんって、どんなものに影響を受けてきたんですか。たぶん若いわりにはいろんなものを観てきてるんじゃないかなと思ってるんだけど。

山中:映画監督になりたいと思ったのは、(アレハンドロ・)ホドロフスキーの映画を観てからです。影響を受けた監督はエドワード・ヤンで、中でも『ヤンヤン 夏の思い出』(2000)が大好きなんですけど、これは若くして撮れる内容じゃない……と呆然とします。私は、人生は長いと思っているタイプで、そのことに絶望することばかりですけど、『ヤンヤン』を観ていると、10年、20年と生活を積み重ねていける勇気がわいてくるというか、人間の生の深みを感じます。だから好きです。

佐藤:エドワード・ヤンは最高ですよね。昔、エドワード・ヤンの宣伝してたんですよ。『カップルズ』(1996)とか。私も、エドワード・ヤンとか台湾ニューウェーブ、90年代のイギリス映画にすごく影響を受けてます。『牯嶺街少年殺人事件』(1991)も含めて、エドワード・ヤンはちょっと特別ですね。

山中:あと、次に撮る映画にも関係があるのですが、良くも悪くも母親の影響がすごくあって、がんじがらめにされているんだなとこの一年考えていました。母は、私のことを隅から隅まで調べるので、こういう話をすると「悪口言わないで」って泣かれる可能性があるんですけど(笑)。

佐藤:(笑)。

山中:母親が望まない人間になろうと思っていたので。映画監督になりたかったのも、映画が好きなのに加えて、親が望まない職業につこうと思ってたからですね。

佐藤:面白いね、なんか分かってきた。『魚座どうし』はそこから来てるんだな。

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山中:そうですね。そういうことを考えると、母親の影響がかなり強かったんだなと、だんだんと客観的に見れるようになってきました。


■ 監督に求める姿勢

佐藤:もともと私は興行の出身なんですよ。映画館を作るところからスタートしてプロデューサーになったので、いろんな監督のデビューを見ているんですね。その中で、お客さんにどういう作品が支持されたか、どういう映画祭でお客さんが作品を観てくれたかが経験値としてあるので、監督が観客の目線を持っているかどうかは気にします。自分が作りたいと思ったものを、観客にどう届けるかというプロデュース能力みたいなものが監督にも必要じゃないかと思っているんです。

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日本の映画業界は国内でリクープできてきたというか、ここ数年、国内のマーケットを意識してきたので、海外で勝負できるようなオリジナリティを持った監督が最近はなかなか出てこないなと思ってたんですよね。そこには映画業界の構造も大きく関係してると思うんですけど。でもやっぱり個人的には、オリジナリティで勝負できる監督と一緒に仕事をしたいですね。作家性ってどんどん多様化してきているじゃないですか。商業監督になる人もいれば、アーティスティックな作品を撮り続けている人もいるけど、両方の目線を持っている人は長く作ってますね。山中さんもすごく力のある方だと思います。

山中:良かったです(笑)。

佐藤:しかも量産しなさそうじゃないですか。信用できるなと思って。一本一本の濃度がものすごく濃いというか、客観性もあるし、ご自身のプロデュース能力もあるし、すごいセンスの人だなと思いました。まだまだいろいろ勉強してもらわないといけないので、あんまり褒めたくないですが(笑)。

山中:本当に、まだまだ勉強しなきゃいけないと思います。この3年ぐらいは、若さを糧にというか、シンプルにエネルギーがあるので、わーっとやれてたんですけど、コロナ禍になってから自分を見つめる時間ができたり、今まで自分が影響受けたものを思い返したりしてみて一段落というか、若さだけでやれる勢いは落ち着いてきたなと。

佐藤:早すぎだよ(笑)。

山中:ちょっと世の中の感じに疲れたってことですね。そういうときこそ古典を読んだり観たりしようというところに落ち着いてきました。最近は、日本人がどうやったらもっとゆったりできるんだろうと思っていて。何かしてないと存在してはいけないと思ってる人が多すぎる気がして、私は「何もしない」ってことをしています。何もしないけど全然焦らない。焦らないことに焦ることもない(笑)。私も上京したてのときは、映画撮るぞって意気込んでたので気持ちは分かるんですけど、それだと持たないぞっていうぐらい疲れてる人が多いので。ダラダラしている時でも幸せでありたいです。

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後編につづく

(2021年10月21日収録)


PROFILE

佐藤順子 SATO Junko
95年より映画会社シネカノンにて洋画の買い付けや日本映画の制作、公開に関わる。配給会社スターサンズ入社後はヤン・ヨンヒ監督の『かぞくのくに』を初プロデュース。同作はその年の数々の国内の映画賞を受賞し、ベルリン国際映画祭でC I C A E賞を受賞、米国アカデミー賞日本代表作品に選出される。『あゝ、荒野』(16/岸善幸監督)はアジアンフィルムアワード助演男優賞など国内外の賞を受賞。主なプロデュース作品に『宮本から君へ』(19)『MOTHER』(20)『ヤクザと家族 The Family』(21)、『空白』(21)、Netflixシリーズ『新聞記者』(21)などがある。昨年、自身で制作プロダクションMou Pro.を設立。

山中瑶子 YAMANAKA Yoko
1997年生まれ。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017に入選。第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待される。ポレポレ東中野で自主配給にて公開し、同館のレイトショー最多動員記録を打ち立てる。
監督作に山戸結希監督プロデュースのオムニバス映画『21世紀の女の子』における一遍、「回転てん子とどりーむ母ちゃん」(2018)、オリジナルテレビドラマ「おやすみ、また向こう岸で」(2019)。最新作は、ndjc若手作家育成プロジェクトにて製作の『魚座どうし』(2020)。現在長編映画準備中。