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最近涙もろくなったよな。

                   執筆者:内田伸輝


昔、親がドラマや映画などを観て涙するたび「え?そんなに泣くところ?」なんてよく思った。
映画やドラマで涙が出るほど良いシーンを誰かと観て、涙が出そうになるのをぐっと堪える事が出来た。
大人になってから、だいたい泣くのは一人の時だった。
あるいは映画館での暗闇とか・・・。
特に思いっきり泣いていたのは、一人暮らしのアパートで、ヘッドフォンをかけて映画を観ている時だった。
周りの目を気にする事もなく、映画に感動してワンワン泣いた。
それでスッキリして、気分も晴れて「ああ、こういう映画をいつか作りたい!」と想像を膨らませていた。
 
それが今は人前でも堪えきれずに涙がこぼれるようになった。
もちろん流石にワンワン泣く事はないけれど、誰かの些細な行動や言葉のちょっとした事にぐっときて、堪えきれずに涙がこぼれてしまう。
「歳のせいか、最近涙もろくなってね」
よく耳にするそんな言葉が頭をよぎる。
え?歳のせいなのか?
僕は1972年の秋に産まれた。
現在50歳。昭和生まれのロスジェネ世代。
まあ、確かに「歳のせいか、最近涙もろくなってね」的な言葉も、少しはハマるようになったんだなあ。って近頃思う。
でも、何故歳を重ねると涙もろくなるんだろうか?
以前は誰かの言葉や行動に、感動する事はあっても泣く事は殆どなかった。
誰かが目の前で泣いて、心動く事はあっても、具体的にもらい泣きする事はなかったのに、
今は「泣くまい泣くまい」って思っても、感動すれば涙が溢れる。
なんでこんな簡単に涙が出てくるようになったんだろうか?
その原因が知りたくて試しに「涙もろい 年齢」とかでググって調べてみると、
「感情抑制を担う前頭葉の機能が低下」
と、ネットに書いてあったので驚いてしまった。
え?涙もろくなるのは、脳の低下なの?
もしかして、脳関係のヤバい病気の前触れな感じなのだろうか?
年齢による涙もろさは、ほかにも「背外側前頭前野が担っている感情抑制機能と作動記憶が加齢とともに減少して、キレやすくなったりする」らしい。
マジか・・・。それは嫌だ!
加齢による低下とはいえ、誰かにキレ散らかすような人には、僕は絶対になりたくない。
「感情の抑制機能の低下」や「記憶の書き込み機能の低下」を食い止めるには脳の作動記憶容量を増やす脳トレが有効とネットには書かれてある。
脳トレ脳トレ、頑張らないと!
て、思うのだが、それをする事で「涙もろさ」も軽減されるのか?と思うと、少し残念な気持ちもある。
更にネットで「涙もろさ」を検索していくうち、歳を重ねるたびに涙もろくなる人は「共感」と「感動」によって敏感に心が動き、涙が溢れるケースが多い的な事が書いてあった。
ああ、それは確かに。
僕自身も「怒り」や「悲しみ」「嬉しさ」を直接体験する形ではそこまで涙もろくならない。
その代わり、怒りを訴える人や、悲しみに涙する人、嬉しくて涙する人に共感して、涙するケースがとても多い。
誰かに共感するから心が動き感動する。
自分の事よりも他人の事で涙する事が殆どで、それがいわゆる「涙もろさ」に繋がっているように思える。
 
色々な人と接していくなかで、何かしらの感情を共有し、互いに共感が生まれ、成長していく。
つまり歳と共に涙もろくなるのは、「老化」だけではなく、人としての「成長の証」なのではないか?と、僕はポジティブに考えてみる。
老化ではない。成長の証。
要するに僕は日々成長しながら映画を作っていきたい。と真剣に思っている。
コロナとか戦争とか地震とか値上げとか、暗澹たる世の中で、すぐキレ散らかしたくなる気持ちも分からないでもないけれど、誰かの言葉や行動に「共感」して「感動」し、涙を流す人生を僕は選びたい。
そして出来る事なら自分が作った映画で、誰かが「共感」し「感動」する映画を届けていきたい。
人は涙を流しながら、いくつになっても成長する事が出来るはずだから。
 
おわり




執筆者:内田伸輝
2010年『ふゆの獣』が第11回東京フィルメックス最優秀作品賞を受賞。ロッテルダム国際映画祭、香港国際映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭など多くの映画祭上映され全国劇場公開。その後劇場公開された『おだやかな日常』は釜山国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、テッサロニキ国際映画祭他、カナリア諸島地球環境映画祭2014にて最優秀作品賞。『ぼくらの亡命』は国内外の映画祭で上映ののち全国劇場公開。2021年映画『女たち』では第43回モスクワ国際映画祭メインコンペティションに選ばれ、TOHOシネマズシャンテ他にて全国劇場公開される。

【IKURA公式サイト】内田伸輝監督ページ
https://www.ikura-vipo.jp/director/30.html