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【日常#1】 30歳手前にしてエンディングノート書いてみたら、あまりにもすかすかな人生でもう少し生きてみようと思った29歳独身会社員の話 - 自殺について/ショーペンハウアー

どうも。いくらと納豆です。
今回は哲学が私を救ってくれたよ、っていう話をします。
闇属性な内容なので、苦手な方はご注意を。あと、自分の気持ちを成仏させるために、めちゃくちゃ長文です。

「生きる意味」とか考えちゃってた20代の私

20代って人生の中でもイケイケキラキラ期なのが一般的なのかな?
かく言う私も、自分自身のことは「根暗・陰キャ」だと思ってはいるけれども、大学生、サークル、指揮者、飲み会、バイト、コール、社会人、タクシー…、今思うと一般的なイケイケキラキラ期を過ごしていたように思います。

しかし、そんなイケイケキラキラな人生は送りつつも、「生きてるの辛いな。」と思ったことが、実は何回かあるんですよね。今の私が過去を振り返ると、その経験は必要なことだったんだな、と自分の中では整理できていますが、正直辛かった。

初めて「居心地の悪い環境」を知った研究室時代

研究室に配属されるまでの人生では、私は先輩にも同期にも後輩にも恵まれて、なんだかんだ「教えてもらい、教えあい、教えていく」という「教育をする」マインドを持った方々が多いコミュニティに所属していました。だから、困った時、悩んだ時、周りに相談すればその先の道筋、みたいなものをちゃんと得られることが多かったんです。

第何希望にしたかも覚えてない研究室に配属。
初めて自分の希望通りにいかない経験をしてショックは受けてはいたのですが、新しい環境ということもあり「頑張ろう!」と気持ちは切り替えていました。

しかし、いざ研究室生活が始まってみると、
「誰も教えてくれない、何をすればいいかわからない」
「自分から聞きにいっても、これといった手応えも得られない」
「なんだこれ、とてつもなく居心地が悪い…」

”研究”ってそういうものなのかもしれないですが、人生で初めて「ここに居たくない…」という気持ちが芽生えたのです。
別に研究室の方々が嫌いだったわけではないのですが、「暖簾に腕押し」な感覚。この感覚が自分にとって違和感だったんだなと今になって思います。その違和感に耐えきれず、サークルに避難することも多かった学部生時代。

でも、そんなんで過ごしてたら研究の結果も大してないまま卒業論文の時期になってしまうんですよね。真面目な性格ではあるので、その状況にも耐えれず、「どうしよう」が襲ってきて「過呼吸」を覚えました。
(この頃に対処法覚えておいてよかったー。)
卒業間際に全身に蕁麻疹。
お医者さんに「よく我慢したねー」と言われる始末。
そんな学部生時代を過ごしてました。

「何か”専門性”をつけるなら3年は同じこと続けないとでしょ。」

こんな事になるとは思わずに同じ研究室で院も進む事に。
修士1年生の時は楽しかった。
自分も研究に慣れたし、その時の研究室には「教えてもらい、教えあい、教えていく」感が少しあったから。同期で研究室に来るのが私一人でも全く問題なかった。

でも、修士2年生の時は本当に辛かった。
楽しく過ごせた方々の卒業。
頼っていただけるのはありがたいけど、私が頼れる人がいない。
いろんな嫌なことも自分で噛み砕いて消化して自分を削ってた毎日。

この頃から「電車にぶつかったらどれぐらい痛いんだろう」ということを考え始めるようになったんですよね…。
そこから私と「きし ねんりょ」くんとのお付き合いがスタート。

今こうやって書いてみると、たくさんの我慢をしてきたんだろうなと思います。偉いぞ、私。

この時、私を唯一救ってくれたと言うか、「もう、荷物全部下ろそう」って声をかけてくれたのが、「大好きなメンバーと大好きな曲で大好きな指揮をしてるのに『音楽やってて何が楽しいんだろう』と思った自分」でした。
あの時、そう思いながら指揮してたこと、本当に申し訳ないと思ってます。あまりにも失礼すぎる。

でも、そこで初めて「荷物を下ろす」ことができたんですよね。それから落ち着いてきて本番楽しく指揮ができて、本当によかった。

初めて「協調性のない組織」に苦しんだ社会人3年目

私の職場はよく組織改変をしていて、部署がくっついたり別れたりします。
ありがたい事に職場で私は「優秀」な方に評価していただけてたようで、部署が別れる時に最後まで私の部署がどこになるか決まらなかったようです。もともといた課と当時たまたま受け持ってた案件を引き継ぐ課が別れることになって、取り合いっこ。(取り合いされてた私、かっこいい。笑)

結局、私はもといた課を希望していたものの、当時受け持っていた案件の課に配属になりました。(まぁ、お仕事は面白かったので嫌ではなかった。)

でも、その組織改変がされたタイミングで、なぜか私がチームリーダーに選ばれる事になり突然部下を持つ事に。あり得ない量と難易度の仕事が控えてたので、もう一つのチームと分担してやらないと地獄が待ってたわけです。

当時のその課のメンバーは面白い人が多く、仕事も楽しくやってたんですが、「協調性」がみんななかった。君たち中学生かよ、いい大人が、とツッコミを入れたくなるような感じ。これは、うまくよいしょして人を動かすしか方法はない…。

全く余裕がない状況だったので、うまくリソース管理をして、私のチームのメンバーが苦しくならないようにタスク調整して、サポートして…ってやってると、どうやら周りから「余裕」があるように見えるんですかね。どんどん私のお財布からリソースちょうだい、と言われるわけです。

そしたら、
「あれ、この案件3人で3ヶ月ぐらいでやってた気がするけど、1人で1ヶ月でやってる気がする…。気のせいか?ん?」
という状況に。

身も心もボロボロになるわけです。
歩きながら泣いて過呼吸になって手足痺れてきて、でも家にはちゃんと帰れる、そしてまた翌日仕事、のエンドレスループみたいな生活をしてたわけです。

この訳のわからない状況になると、とうとう「生きるってなんだろう」とか「生きててなんの意味があるんだろう」とか「死ぬことの何が悪いんだろうか」みたいなこと考え出しちゃう。
この頃のGoogle検索の履歴、気持ち悪かっただろうな。笑

この頃は何かの「救い」が欲しくて、いろいろ調べてました。心理学、脳科学、哲学、宗教、スピリチュアル、その狭間を浮遊してました。

「生きる意味なんかない。考えるだけ無駄だ。」
 → 「じゃあ、なんで死んだらあかんねん…。」
「生きるとはそもそも苦しいことなのだ。」
 → 「んな、あんまりな…。逃げたってええやん…。」
「死んだらどうなるんだろうか…。」
「どういう形で死ぬとどうなるんだろうか…。」

結構、この頃は真剣に「生死」について考えてた。
調べてはツッコミを入れ、心のもやもやがとれないまま、自分の中で納得できる結論が出ないまま、ずっと頭の片隅に「生きるの辛い」が張り付いてた。これが「きし ねんりょ」くんとの2回目のお付き合い。

2回目の「きし ねんりょ」くんとのお別れは、3ヶ月の海外研修からの異動がきっかけでした。行きの飛行機では「このまま落ちてもいいのに。」と思ってたのに、帰りの飛行機では「うわぁーん!日本に帰りたくないよー!」ってなってました。
環境を変える、一人の時間を持つ、ということが良かったんだろうな。

「自殺」を選択肢の一つに認めてくれたっていいじゃん

世の中って「自殺」ってだけで「そんなこと考えるだなんてありえない!」「周りが悲しむからありえない!」って雰囲気ありませんか?

それが私にとっては、とっても窮屈だったんですよね。
苦しいのに、辛いのに、助けてくれないのに、「自殺」を選択肢としてすら認めてもらえない。むしろ、悪者みたいな扱いをされる。
母ともすごい喧嘩した。こんな娘でごめんよ。

でも、
何故、私の人生を私に決めさせてくれないの?
他人が私の人生の選択に指図する権利あるの?ないでしょ?

最初に「きし ねんりょ」くんとお付き合いを始めてから、この意見に納得する反論を見つけられないまま、ずっともやもやしてました。

初めて、この私の考えに「Yes」をくれた哲学者

このもやもやを解決してくれる出会いをしたのが、ちょうど1年半ぐらい前。相変わらずGoogle先生に私の意見を投げかけた結果、私はドイツの哲学者、ショーペンハウアーさんの存在を知ったのです。

いきなり原本のショーペンハウアーの『自殺について』を読むと面食らうと思います。最初の方で「自殺を否定しない」と書いてあるのです。昔これを読んだとき、
(えええっ、おい、哲学者だろ。止めねえのかよ)と驚いた記憶があります。

先日、哲学者の苫野一徳准教授に伺いました。哲学的には、自殺は人間の「自由」の最後の選択肢であり、希望が完全に断たれた時、最後の自由(自己選択・自己決定)の行使として、自殺は認められるでしょう、とのことでした。

死にたくなったら…哲学が語る、「自殺」の前にまず考えるべきこと https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58467?page=2

うぉぉぉ!!
初めて同じ考えの人に出会った!!感激!!
ショーペンハウアーすげぇぇぇ!!!

ということで、秒でこちらの本を購入。

わかるようで、わからない。難しい。
しかし、心をズチャと切り裂かれたのです。

ゲームが上手く行かないと我慢できずに途中で札を放りだし…
ゲームをぶち壊す愚者のようにな

原作 ショーペンハウアー 「自殺について」pp.102 講談社 まんが学術文庫

自分自身を真面目と自負して何事にも情熱を持って取り組まなければ気が済まない連中
そう言う人間はある程度の強い刺激がないと満足を得ない
しかし充分な満足が得られない状態が続くと生への絶望が死の恐怖を凌駕し…
自殺を選択する

原作 ショーペンハウアー 「自殺について」pp.111,110 講談社 まんが学術文庫

ほぉぉぉぉーーーーー!!
私は愚者だったーーーーーーー!!

こうなると原作も読んでみたいと思い、人生初の哲学書を読んでみる事に。

難しすぎる。なるほど、わからん。
でも、ショーペンハウアーさんが非常に”おこ”なのは感じ取れる。
ここが私のお気に入り。

むしろ私は、僧侶どもは一体如何なる理由によって(そのような場合)我々の友人や親戚に犯罪者の刻印をおし、この人達に名誉ある埋葬を拒むのであるか、その根拠を提示するように何としても僧侶どもに要求すべきだ、という意見を有している。聖書には典拠は見出されえない。哲学的な根拠もたしかではない、それにまたこれは教会には通用しない。してみると一体、何によるのか。何によるのか。何によるのか。返事をし給え! 死は我々には余りにも必要な最後の避難所なのであって、これは坊主どものただの命令などで我々からとり去らるべきものなのではないのだ。

ショウペンハウエル著 斎藤信治訳 「自殺について」pp.75 岩波文庫

今まで「自殺はみんなが悲しむからダメだ!」みたいな事しか言われなくてずっと心にもやもやがあったのですが、

「人生の選択肢としては認めるけど、それを選ぶのは愚かだ!」

そう、そう言って欲しかったの。
これを見つけたとき、めちゃくちゃ嬉しかった。

ショーペンハウアーに出会ってから、
「自殺は選択肢の一つだけど、それを選ぶかどうか。」
という自分の考えに自信を持つことができるようになりました。
ここまで約10年悩んでたことが、救われました。長かった。

(その時、一緒に反出生主義というものも知り、これまた面白い考えがあるもんだと思ったのですが、これはまた別の機会に。)

じゃあ、私はどっちを選ぶ?

人生で何回か「きし ねんりょ」くんとお付き合いしてた私。
「生きる」 or 「死ぬ」
「死ぬ」ということがカードになった瞬間、じゃあ、そのカードを切ったらどうなるの?ということを冷静に考えれるようになりました。

「とりあえず、方法を考えてみよう。」
「どれも家族に迷惑かけるなぁ。もう、ぱっとデータ消すみたいに消えたいんだけどな。どっかに失踪したとしても捜索依頼出されたらどんだけ多くの人に迷惑かける?うーん、今のところいい方法がない。」

もう、気持ち悪いぐらいGoogle先生に質問しました。本当にいろいろ。
でも、調べれば調べるほど「自分の死」についてこんな終わりがいいなという欲みたいなものが出てきたんですよね。おかしなことに。例えば、綺麗な形で死にたいなとかね。

もう一つ、「死ぬ」というカードを切りたくないなと思うきっかけになる出来事がありました。

突然、話は変わりますが、私は欅坂46が好きです。
闇が好きなんでしょうね、私。
欅坂46は衝撃的な曲をリリースしたんですよ。

このMVみて、涙が止まらなかった。
苦しい、辛い、もう嫌だ、イライラする、怖い…
世の中の「負の感情」が私を殴ってくる、殴ってくる。

今までは「生きてるのが本当に辛いなら、死んじゃってもいいんじゃないか?」と自分にも他人にも思っていたのに、なぜだか、MVの中に写ってるそれぞれのメンバーに対して、

「助けてあげられるわけじゃないのに、辛い苦しい思いも想像できるのに、でも、でも、死なないでほしい。」

そう思っちゃったんですよね。

平手友梨奈さんが最初の事故現場で亡くなった役で、世の中の辛い人に寄り添う、けど、自分は助けられない、止められない、でも、助けたい、止めたい。
みたいなストーリーに見えちゃったんですよね。初めてMVみた時。
(このMVの考察はすごい面白いので調べてみるのも楽しいと思います!)

「自分がされて嫌なことは、他人にはしない。」
「人に死なないでと思うなら、自分も死なない。」

やっとここで普通の人ならすぐに「NO」を出せる自殺に、自分なりの答えが出せました。

「自分で死ぬことに今はあまりメリット感じないし、もしかしたら明日事故で死ぬかもしれない。だったら、死ぬの待とう、でいいんじゃない?」

私が死んだ後の世界を考えてみることにした

突然ですが、自分が仮に明日死んじゃったとして、自分の死後何をしてほしいか考えてみたことありますか?

「死ぬのを待つ」ということは、つまり、「いつ死ぬかわからない」わけです。

仮に明日死んじゃったとして、
お葬式どうしてほしいかな?
財産どうしてほしいかな?
アカウント関係どうしてほしいかな?
連絡どこまでしてもらおうかな?
とか。

死んだっていいやって思っていた私が、いざ死んだらどうなるかを考えてみたんです。自分のことというより、周りにどうしてほしいか伝えるみたいな感覚。遺言的な何か。

ということで、30歳の誕生日までにエンディングノートを書いてみよう!という企画を自分でやってみたわけです。せっかくなら色々かけるおしゃれなやつがいいよなぁーと思いこちらを購入。

書いた感想を率直に言うと、
「30年も生きてるはずなんだけど、書くところがなさすぎる!!」

例えば、恋愛系の質問は書くこと一切ないでしょー、料理とか残しておきたい味的なものも料理しないからないでしょー、宝物のページそんなにあっても楽器ぐらいしか書くものないでしょー。
しかも、本来のエンディングノートの部分も結婚もしてなければ、家族もいない。つまり、何も持ってないわけです。

「えぇ、余りにも私の人生すかすかすぎんか???悲しくなってきた!!」

結構、自分の人生満足してたはずだったし、今まで「死ぬこと」がテーマで生きてたのに。
ここへきて自分の人生がすかすかで、何も書くことがなくて、悲しくなってきただと…!もうちょい書くネタないもんかね、とか思い始めたわけです。
この心の変化が、あまりにも自分で面白く感じちゃって。
「もうちょっと生きてみようかな」って素直に思えたんです。

「30歳手前にしてエンディングノート書いてみたら、あまりにもすかすかな人生でもう少し生きてみようと思った29歳独身会社員の話」

なんか、アニメとか、自己啓発本のタイトルとかでありそう、ぷぷぷ。
ただ、ただ、これが言いたかっただけ感ありますが。笑

この話を誰かに聞いてもらいたくて、今回は長々と書いてしまいました。

今、本当に苦しんでる人の力になれるかどうかわからないです。その苦しみを代わってあげることはできないし、助けてあげることもできない。

「自殺」は選択肢として認めるけど、でも、その選択に賛成したくない。自分にも他人にも。

自分もすごい悩んだから、無責任なこと言うなと言われそうではあるのですが、でも、これが約10年悩みに悩んだ上での私の結論です。

まぁ、その結論を持ってても「きし ねんりょ」くんはやってくるけどね。でも、前よりも物事が冷静に見えるようになってきた気がします。

もし、私と同じようなもやもやを抱えてる人がいたら、ぜひ、ショーペンハウアーさん、面白い人なのでいろいろ教えてもらうといいのかなと思います。絶対この人女性関係だめだったでしょー、ウケるーってなったりもします。哲学も面白そうだな。勉強しよう。
また、まだ全然何もやってない自分の人生に驚愕するためにエンディングノート書いてみるのも面白いかもしれないです。私は面白かった。

ちなみに、私はエンディングノート書いた1年後は適応障害でぶっ倒れて、この記事を書いてるっていう、おもろい人生送ってます。エンディングノートに書いておこう。

長文読んでいただきありがとうございました。
おわり。

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