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愛がなんだ、愛ってなんだ、25歳の今の所の考え


わたしが過去に恋愛した男は、その精神性から好きだったような気がする。

その精神性を尊敬してた。
学ぶところがたくさんあった。
わたしもそんなふうになりたいと思った。

神格化しすぎているだけかもしれない。
思い出を美化するような。

その人が本当は大したことなかった、って気づきたくなくて、
大袈裟に尊敬しているだけかもしれない。

でも結局、わたしが見たものがこの世界の全てだから。



「愛がなんだ」で、テルコは最終的には「マモちゃんになりたい」(なれてない)って結論づけてた。
もう「好き」とか「愛」とか、そういうのはとっくにすっ飛ばしているように感じた。

わたしはテルコのように、全てのものを投げ打ってでもマモちゃんになりたい、そういうふうには思えなかった。


その代わりに気づいたことがある。

転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたなら
こんな時どうする
わたしの中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった

道 宇多田ヒカル  

テルちゃんほど、好きな男を盲目的に見れない。

けど、わたしの心の中には、宇多田ヒカルの「道」のような、道標となるものがある。

それは、好きな男たちの精神性から学んだこと。
好きだったからこそ、恥じない生き方をしたい。
好きだった男にも、その人を好きだった自分にも誠実でいたい。

ありがたい、君らのおかげだよ。

自分自身に恥じないように生きれるのは。

結局何が言いたいかわかんないけど、わたしは中原寄りの考え方なのかな。

ようこさんを駄目な人にしたくないから離れる、的な。

愛ってなんだーーーー!
わかんねえー!!!!!!

けどけど!
好きな男の思想を持ったまま、人生を歩むってのも悪くない!!よね!?!?!?


しあわせになりたいっすねえ


これに限る!

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