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バレンタインデーの夜に

ペルーを去ってから43日経過した。日本に帰って来てからは1か月と少しだ。そういえば…と、この前のバレンタインデーひと悶着を思い出していた。

バレンタインデー。ペルーでのそれは、夫婦や恋人、友人と夜を共にする温かい一日だ。イメージは日本のクリスマスイブのような。

私も例に習って、友人と楽しいひと時をすごした…かと思いきや、一人で広場でそのみんなの楽しそうな光景を眺めていた。

次の日、ペルーの女友達に爆笑されるくらいのこの寂しい過ごし方、私は嫌いではない。

一応誰か一緒に過ごしてくれそうな人に連絡も取ってみたが、男友達同士で過ごすから…と連絡も入り、家に1人でいるのもつまらないと人が一番集まる広場に1人散歩に行ったのだった。

目の前を手をつなぎながら幸せそうに行きかう、夫婦、恋人たち。

わちゃわちゃと笑いながら楽しそうに友達グループで群れる若者たち。

その光景は、すごく平和な1日だった。

私はそれを見ながら、楽しそう~って思いながらチュロスを食べて過ごした。私は一人でいたけれど、何にも寂しくはなかった。温かい町だった。


実はその日、聖歌隊の練習がある話を受けていた。人が集合しなかったため(そりゃそうだよね、バレンタインデーだもん。)延期になったとの連絡を待ちながら私も過ごしていたのだった。

ぽっと入った連絡には、聖歌隊を仕切る夫婦が2人で教会にいるけれど他は誰も来ていないのよ、との連絡。

じゃあ今日は練習ないのだなと思って、「了解、また練習日決まったら連絡待っているね」と返した。教会に行くことはなく、私は引き続きその幸せそうな光景を眺めるに尽くしたのだった。


あれから3か月経った。

今私の任地は、私が知っている任地ではなくなった。

その延期された聖歌隊の練習は、今もなお行われていない。そしてもう二度と行われることがない。


バレンタインデーになるたびに、町の人々が幸せそうに歩くあの日を思い出すだろう。あの時の、100日後にその町がどうなっていくかを何も知らない無知で罪な自分に戻れたらいいのにと思う。



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