慣れ親しんだものを食べても満たされない
任地200日目。月曜日。
そうか、、任地200日目なのか。。
今日はひたすら待ちぼうけの日だった。先の木曜日に知り合いを紹介してもらえるとのことでコンタクトを取っていて、実際に日曜日から州都に行っていた。
金曜日に連絡すると言われたのに今日まで一切連絡はなく。確認のためメールしたり電話したりも応答はなし。
州都で夕方から別の用があったからそのまま帰るわけにもいかず、ただ連絡を待つという悶々とした時間を過ごした。以下の文章を書くくらいには精神的に結構来たようだ。笑
待っている間、州都にあるスターバックスに入った。クリスマス前なのでベリーのカフェラテがあった。長居する気だったので大きいサイズを選んだ。おいしかった。15ソルした。450円だ。
やはりチェーン店の魅力は、均質化した味、均質化したサービス、予想を超えないけど裏切らない、その信頼だと思う。ちょっと心を落ち着かせたいとき、あえてチェーン店を選ぶ。「失敗しないため」だ。
13時半になっても返事はなし。もうそろそろ連絡が来ても対応できない時間になってきた。おなかが空いたので中華料理屋さんに行ってみた。
そこではMakisを注文。巻きすとは巻き’sである。巻き寿司のことだ。こっちにある巻きはアボガドとかが入ったカリフォルニアロールみたいな感じ。巻き寿司とは違うけど、おいしい。
巻きがあまりにも小さかったので、ワンタンスープも頼んだ。これはあまりおいしくなかった。
任地で普通の定食屋さんみたいなところでお昼を食べるとだいたい7ソル~10ソルくらい。(210円から300円くらい。)
でもたまにはいいかなと思って、今回は財布に謝りながら巻き15ソル450円とワンタンスープ12ソル360円を頼んだ。合わせて27ソル。1000円くらいする。
ランチに1000円なんてありえない。任地では到底あり得ない。豪遊である。
しかしながら、そんな豪遊をし(スタバでコーヒーを飲んで高い中華料理を食べ)ているのに、満たされなかった。悲しくなってきた。だって全然つまらないんだもの。
そこでようやく思った。
1人で食べる任地にはそぐわない値段の任地にはそぐわない食べ物よりも
任地の友達と食べる全然安くて衛生的に大丈夫か?っていう料理の方が満たされることを。
この前、仲良くなった友達が、日本に行く航空券の話をしてきた。日本に行くのって高いんだろ???って。こういう話は日常茶飯事。もう慣れたから日本人としてこの質問には何も思わなかった。
でも日本人としては何も思わなかったけれど、任地に住む者としては、この質問はちょっとしんどかった。
ここに私と彼の壁を感じたからだと思う。
協力隊員も国際開発ワーカーも、多くの人が草の根で活動する。
もらっているお金は現地の平均よりちょっと高いもしくはかなり高い生活費。
そしてたまに日本に帰国する。期間が終わればまた日本での生活を再開する。日本で現地の通貨の何倍もの物価で生活をする。
だいたい海外に行くための往復航空券は10万前後だろう。
でも日本にいる人間として、10万を貯めることは正直そんなに大変ではない。必死に働いて切り詰めて生活すれば、10万円分は数か月で貯金できるかもしれない。
でもその金銭感覚は、当たり前だが任地とは全然違う。
海外の草の根で働く多くの人は、たまに日本食が恋しくなったり、たまにリッチな食事がしたくなったり、日本に帰ったら豪遊したり、心からそんな生活を喜ぶのかもしれない。まるで生き返ったかのように。まるで任地の生活が「一時の我慢」であるかのように。
一時の我慢、、、。
がまんかあ。。。
そして自分が生まれ育ったり自分が安心できる環境にたまに訪れて、「羽を伸ばす」。
でも
今日の私は任地での生活を「我慢」て思っていない自分に気が付いた。そりゃ大変なことはあるけれども。
今日の私は、生まれ育った環境に似たものを食べても「羽なんて伸び」なかった。
きっと理解したくても完全に理解することは永遠にできない。
私が彼らをもだし、彼らが私をも。
州都でのスタバも中華料理も、ただ彼らから私を遠ざけるだけ。それがこんなにむなしいものかと。そういうものを食べれば食べるほど、彼らとの世界に壁を作ってしまうみたいで、なんだか今日はつらかった。。
州都で奮発して高めのものを食べることの背徳感。むさしさ。
任国外旅行という海外旅行をすることの背徳感。謎の申し訳なさ。
公務だとしても飛行機を使って首都リマにあがることの背徳感。しんどさ。
JICAのルールと言って二輪バイクに乗れないことの申し訳なさ。彼らとの間に出来る距離感。
結局日本という経済大国に生まれ育った人間であるのだ私は。
無意識的に上から目線で分析して、無意識的に哀れんだりしてしまっているかもしれない。そんなのは嫌だ…!(;O;)
航空券の話をしたのは最近よくしてくれるアミーゴ。
任地に友達もたくさんいて、慕われている彼。
彼がそんなことを切なそうに言うものだから、私は何も言えなかった。
彼がそんなことを切なそうに言うものだから、私も切なさを感じた。
彼らは私をどう見ているんだろう。
距離が埋まらないことが寂しく感じて、
自分の持っているものを全部捨てて、財産も日本のことも忘れて
そうしたら彼らと一緒の気持ちになれるのかなって一瞬考えた。
そんなことはしないしできないんだろうけれど、
じゃあそんな私は自分の人生をどうしたいんだろう。
「国際協力」??
「海外ボランティア」??
どの立場でそれをやりたいの??
そんな風に思った…ちょっと疲れているのかな?笑
でも彼らのことが本当に好きだから、この最初から最後まで中途半端な立場が、贅沢にも少しうっとおしく思った。中途半端だからこそできることや分かり合える部分もあると思うんだけどね。
お金持っていない人間の「ふり」をして任地に存在していることのむなしさと孤独。
そういうのは、ここに来て感じるものがあるのでした。
帰国した先輩隊員が、任国での生活が「夢みたいだった」って言ってた。本当にそう思うと思う。日本に戻って生活を「再開」して。あの時のあの2年間、夢みたいだったって思うと思う。
でもその夢の形はどんなものなのか。
その夢はもう触ることのできないものなのか、自分の血や身体の一部になってくれるのだろうか。
自分の中に、「彼ら彼女たちの一部」を取り込むことはできるのだろうか?
あと1年半で私はどこまで心を通わせられるのだろうか。
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