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三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

この本を手に取ったとき、私は読むけれど、なぜみんなは読めないのだろう、という考えが頭に浮かびました。でも最後まで読んでみると、あれ、私、ちゃんと読書していると言えるのだろうか、という疑念が湧いてきました。
量の問題、とかではありません。
月に平均して5冊程度読み、読んで感じたことや考えたことなどを、このnoteにまとめています。とりあえず、本が読めない、というのは違うはずです。

著者自身、ずっと本が好きで、給料をもらったらたくさん本が読めると思っていたのに、全く本を読めなくなってしまったそうです。確かに忙しかったけれど、本を読む時間がないわけではない。でも、スマホを見てしまう、というのです。
私も身に覚えがあります。ちょっとしたスキマ時間があるとすぐにスマホです。いい記事に出会うこともありますが、文末の「いかがでしたか」を見てがっくり、ああすぐに本を読み始めるべきだった、などと考えることが頻繁にあります。
著者の周りにもそういう人がたくさんいたそうで、自分だけじゃない、という気付きから、なぜ働いていると本が読めなくなるのか、そして、なぜ疲れてスマホばかり見てしまうのかを考えることになるのです。

この本は、明治時代までさかのぼって、その時にどんな本が多く読まれたか、そして、労働実態に触れながら、日本人にとっての本を読むことについてまとめています。
一見全く無関係に見える、労働と読書が、実は深いところで繋がっていることが解き明かされていきます。
そして、ずっと課題認識されながらもなかなか変わらない日本人の働き方が、読書から遠ざかる原因になっているというのです。

一番印象的だったのは、読書はノイズ、という言葉
です。

社会に適合していくためには、それを妨げるもの、迷いにつながるものは全て排除していかなければいけない。だから、自分が求めている以外のものが入ってくるのはノイズ、読書もノイズだといいます。
一方で、自己啓発書だけはよく読まれるようになっていて、それは、ノイズを除去するものだから、と著者は説明しています。

そこで、ふと気付いたのです。
私は事実として本を読んでいるけれど、ノイズを受け止めるような読み方をしているのだろうか、ということです。
どの本を読んでも、大抵は心地よかったり、インスパイアさせられたり、新しい知見と感じることはあっても、自分の考えを根底から覆すような体験をすることはあまりありません。
それは、ノイズになるような本を選ばないようにしているのか、読む本の半数以上が、今の自分の仕事に直結しているというのもあるかもしれません。
あるいは、ノイズをスルーする読み方をしているのか。

このままの読書で良いのか、と考えたのです。

一方で、ノイズ的なものを感じるのは、あまり気の合わない人たちとダラダラと話すこと。あまり気の乗らない飲み会とか。実は家庭の事情でやむを得ないとはいえ、そうした集まりを欠席せざるを得ないことを申し訳なくも思いつつ、実はほっとしたりもしています。
一方で、どうしても行きたい集まりには、色々と調整して、足を運んだりするわけです。もちろんここでも様々な人と話し、色んな気付きが得られますが、それは、必要なノイズに感じます。
人生の折り返し地点を過ぎた今、自分を大事にしたい、だから自分の心地よさを考えてしまいます。

著者の場合、どうしても本を読みたくて、会社を辞めます。そして、たくさん本を読める時間が取れるようになったそうです。

実はこの本を読むきっかけになったのが、青山ゆみこ「お探し物は図書室まで」でした。
ちょっとした壁にぶつかった、性別も年齢も様々な5人が、図書室で出会った本を読むことで、人生が変わっていく物語です。

読み進めていた期間に、この三宅氏の本の情報をたまたま知り、とても心惹かれました。目次を読んだ時には、スマホは手軽、読書はハードルがあるくらいのイメージだったのですが、全く想像を超える内容でした。

「お探し物は図書室まで」の主人公達が図書館で出会ったものは、まさにこのノイズだったのではないかな、と思います。

三宅氏の本の要約記事を見つけたので、ご紹介します。でも、こういうサービスがあることも、実は、ノイズにまで到達できず、情報をインスタントに得られてしまう理由なのかな、と思ったりもするのですが。

読んでよかったです。私にとっては、ノイズになる一冊だったと思います。

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