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三浦しをん「舟を編む」

人はなぜ仕事をするのだろう。もちろん生活の糧を得るためだ。それだけのため、と平たい気持ちで仕事をできる人もいるのかもしれない。もっと、仕事をしているふりをして、お金をもらおう、というずるい人もいるのかもしれない。でも、いつの間にか、自分のすべき仕事の枠をはみ出して、必死に取り組んでしまうこともある。
純粋に一人で仕事を切り盛りしている人(多分、作家とか、芸術家とか)は、頑張った分だけ、仕事の成果が出るのかもしれない。でも誰かと一緒に仕事をしていると、そういうわけにはいかない。自分の思うようにいかなくて、頑張ったのにそこまで成果が出ないこともあるし、逆に、誰かに助けられて、やり遂げられることもある。そんな風に仕事はでこぼこしてしまうのが当たり前だから、やっぱり、ここまで、という仕事の枠をはみ出したり(時にはそこまでできなかったり)するのではないか。
この物語は、出版社の辞書を作る部門。辞書を作るのは長い年月が必要で、リスクも大きい。ただ、当たれば、長い間利益を生み出すこともできる。辞書の部門の人たちは、新しい言葉や、従前からあった言葉でも新しい使い方だったりすると、用例採集カードに書き留め、整理しておく。言葉は生き物だ。しばらくすると、死語といわれるようになったりする。死語も掲載しないわけではないけれど、使う人がどういう状況でその言葉を理解したいと思うか、類推できたりはしないか、丁寧に考えられる。そういう日々の積み重ねで、辞書が作られているのだ。あとがきは三浦氏に取材を受けた辞書編纂に携わる出版社社員が書いたもので、それによれば、取材を受けた時に話した以上のことが書かれているらしいから、かなりリアルということになる。
編纂に携わった色んな社員の視点で書かれていて、時期も少しずつずれている。辞書が作り上げられるまでの長い年月に合わせて、登場人物たちの状況も少しずつ変わってきている。初老のおじさん、うだつの上がらないコミュ障っぽい30歳前の男性、チャラチャラしたおじさん、おしゃれなファッション雑誌から辞書編纂部に異動して落ち込む女子。どの人も癖がある人だな、と思いながらも、読み進めるうちにひどく共感してしまい、感情移入して心がゆさぶられる。
一人一人の特徴が活かされて、まさにそれぞれのでこぼこが組み合わさって、結果的にチームが作られている。自分の特徴が価値として指摘されたり、自分で気付いたりすると、辞書づくりに取り込まれていく。そこは何か、この世に生まれた以上、人の役に立ちたいという気持ちを誰しももっているからなのではないかという気になってくる。
たくさんのお気に入りの言葉が見つかった本だけれど、そのうちの一つを紹介したい。

辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向き合うようになって、私は少し変わった気がする。岸辺はそう思った。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲の人の気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。
岸辺は『大渡海』編纂を通し、言葉という新しい武器を、真実の意味で手に入れようとしているところだった。

私は言葉にまつわる仕事をしているわけではない。だから、つい無自覚に使ってしまうこともある。けれど私自身、他人に言われた言葉をいつまでも忘れることができず澱のように心の底にとどまっていたり、逆に何気なく発されたのかもしれない温かい言葉に支えられていると感じることもある。
だからできるだけ、言葉を丁寧に選ぶように、心掛けたいと思った。生きている以上、やっぱり人の役に立ちたいと思うから。

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