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【出来ない自分を許すこと】

今日、玄関を掃除していてふと思い出しました。

夫が亡くなる1年くらい前から死別後4年近く、外玄関の掃除が全く出来なかったことを。

普段我が家は夫が外玄関に水を流しデッキブラシで擦り、そしてまた水を流して拭き上げて。とマメに掃除をしてくれていました。

夫は愛車のクラウンが少しでも汚れるのが嫌だったのか、年がら年中洗車をしていました。それは趣味なのかと半ば呆れるほどで。
コーティングもかけているし黒いボディーでも無かったので、特に汚れている感じもしない。それなのに、時間を見つけては洗車をしてピッカピカに磨き上げては満足そうでした。

きっとそのついでに外玄関も洗っていたのでしょうね。私も洗車と玄関掃除はセットだと思っていたので気に留めた事もありませんでした。

しかし、亡くなる1年くらいから前から洗車はしても外玄関まで洗う気力がなくなったのか、水を流してブラシをかけることはしていませんでした。
仕方が無く、私が箒で掃き掃除をしていたくらいでした。
汚れているなと横目で気になるものの、私も夫の看病と自分の仕事で心も身体も限界を超え、水を流しての掃除まではとてもとても手が廻らない日々でした。

結局、夫が他界した後もずっと掃除をすることが出来ず4年が経ちました。

ただ他界して半年した頃、壁と屋根を業者さんに頼んで塗り直して貰った時に、高圧洗浄で外玄関とバルコニーも綺麗にして貰えて、これ幸いと思い少しだけホッとした時間もありました。
しかし、その後外玄関は直ぐに汚れだしました。
気になって気になって仕方が無いのに、横目で眺めるだけで全く掃除をする気持ちにはなれませんでした。

何度も何度もやらなきゃ、汚いから水を流さなければ、ブラシをかけなければと気持ちを奮い立たせても全く出来ませんでした。
しかし掃除をしなければならないという気持ちは、強迫観念のように私に襲い掛かって来ました。
玄関先だけでも綺麗にしておかないと「家の顔なんだから」と気持ちだけはあっても箒で履くのが当時の私は精一杯でした。

同じく、3か所あるバルコニーの掃除も出来なくて。
洗濯物を干すたび眺めては、汚すぎる。でも水を流してブラシをかけるなんてとってもできない。

恐ろしいほどに、掃除をすることに対して気力が無かったんですよね。

なんでこんなことも出来ないのだろう、簡単な事なのに・・・と出来ない自分に対して自己嫌悪に陥ったりイライラする日々が何年も続きました。

死別から4年以上が経ち、ようやくバルコニーも外玄関も水を流しブラシをかけて掃除をする気が起きました。死別前から数えるとトータル5年です。
随分長い時間が掛かってしまいました。

振り返ってみると「やらねばならない」とか「なんで出来ないんだろう」とか、いつでも自分を奮い立たせる事ばかりしていたことが逆効果で、結局自分を追い詰めただけでした。
今思うと、とても無駄な時間でしたよね。

私の性格的な事も影響したと思います。
わりと完璧主義なところがあります。綺麗に出来ない自分はダメな人間だ。
こんな汚いところで生活なんて出来ない。そんな事ばかり考えていました。

追い詰めて掃除が出来ればそれはそれで良かったのかも知れませんが、出来なかった訳ですからね。

時間が経ってやっとやる気になるまで、かなりの年月がかかってしまいました。その時の自分自身をしっかりと受け入れて「今は出来ないんのだから、出来るときまで待とう」とか「今はやらなくていい!」と割りきれれば、もっと早くに気持ちは回復したのではないでしょうか。

「~しなければならない」この考え方が自分を苦しめた原因です。
掃除が出来なくても、どうってことは無いはずでした。
家の中全てが片付けられなかった訳でも無いのだから。

心も身体も元気になれば、掃除なんて一瞬にして終えることが出来るのですからね。

心が弱っている時に、自分自身にムチを打つのはやめましょう。今辛い方、必ず出来る時が来ますから安心してください。








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