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心象

 家を出る前に、着ていた新しいTシャツにお化粧がつかないよう、ハンカチをフェイスカバーにして脱いで、普段つけないエプロンを衣装ケースから引っ張り出した。
 結婚する前、少しの間だけ同棲していたベジタリアンのガイさんが、いつも食事をするとき食べこぼしが多いからと笑いながらつけていたエプロンを思い出す。皿いっぱいのレンチンした野菜と豆腐。ゆっくりと自然を眺めながら食べる背筋の伸びたガイさんの横顔。私も食べこぼしが多い。ブラトップにエプロンという姿で二日前に作った薬膳スープを食べた。読者プレゼントで当てたごまつゆを入れたら、案の定おいしかった。食べ終えてまっさらな新しいTシャツを着た。

 ヌジャベと読むのだと思う。もしくはアルファベット通りヌジャベスか。
 国際的に人気だというが、それもそうだろう。異ジャンルで一見交わりそうにないインストゥルメンタルとヒップホップの見事な融合。リズムとメロディーの心地よい反復。広がり。さらりとした哀愁。それらが人の心の普遍に触れるのだ。
 もう亡くなってしまったというから彼は新しい音楽を生み出せない。でも最近、今を生きるミュージシャンたちが彼の音楽のライブをしていたそうだ。そうやって生き続けることができる。
 彼の音楽が心象を呼び起こしたのは間違いない。深い海に沈殿する記憶の層の砂をそっとすくい上げるように。そして久しぶりに、そのことを書きたいと思った。

 山の一軒家、夜に近所で食事をして帰る道のり、緑地の濃い湿気、つかの間の楽しい時間、帰ってきてくれと(おそらく)書かれた7枚にも及ぶパソコンで打たれた文字、手紙。おそらくというのは途中まで読んで投げ出したからだ。
 あの家は今どうなったのだろう。朽ちたか取り壊されたか。白く塗られたキッチンの棚、ワックスで光る古く狭い廊下、高い位置に取り付けられた食器かご、コウコの作った分厚く平たい皿、その灰色がかった水色と白いうずまき模様、音楽を大音量でかけながらペンちゃんとパステルで絵を描いたこと、緑地で出会った友人たち。私と暮らしたことで孤独だったガイの生活が一変したのだと後から教えてくれた。そういった普段あまり思い出しもしない記憶がよみがえった。
次はこの話を小説にしてもいいかもしれない。

 きのうの日が暮れる前のゆったりした時間、音楽が流れ、澄んだ風がそっと吹き抜けるような感覚。
 未来からやってきた存在が見せてくれる新しい世界に触れ、過去に連れ戻される不思議。 
 新しいTシャツにフランス語で書かれた「みんなありがとう!」の銀色の文字。すっと咲くバス停のハルシオンの迫る存在感。

 家に帰って、久しぶりに書いた。
 さあ、エプロンをつけてかぼちゃのカレーを食べよう。



※トップ画像を使わせていただきました たけひろ・しんじさんの記事を読んで、Nujabesの読み方は”ヌジャベス”と知りました!
私のように知らない方向けに書かれて、音楽も紹介されています。↓


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