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魂のあるところ

私が初めてユング心理学の夢分析を受けたのは、2009年5月。

はじめは私が夢を話し、分析家がその場で書き取るという形だった。

メモ程度のみで記録を取らないと、話した内容を忘れてしまう。

あらかじめ夢を書いていけば時間の短縮になり、分析に時間をかけられるため、数ヶ月してからは、自分のみた夢を自宅でB5程度の大きさの紙に書き、コピーをして分析の先生に渡すというやり方で進めていった。原本はあとからスケッチブックに貼って、先生との会話や気づいたことを記録していくようにした。

「これは、魂ですね」

と、先生が言った夢が確実に一つはあり、もう一度読み返してみようと過去のスケッチブックを探してみたのだが、見当たらない。2015年3月から2016年7月の期間のスケッチブックがない。きっとその中にあるのだと思う。

どんな夢だったかというと、手のひらにおさまるくらいの大きさの、柔らかい低反発素材のボールみたいなものを持っていて、絶対に誰にも奪われるもんかと離さないという夢。途中、小学生の子どもたちが取ろうとしてくるが、「ダメーーッ!」と言って渡さない。

前後はもっと細かくあったと思うが、大まかな筋はそれで、よく覚えている。

その私が大事にしているものは、何色か忘れたが、形がおかっぱの女の子の顔みたいで、目や口みたいなものがなんとなくぼんやりとある。お菓子の「ぷっちょ」に似ていた。 

その「ぷっちょ」を、先生は「魂」と言った。

ユング心理学では、心の中に潜む元型の代表的なものとして、アニマ(女性性)とアニムス(男性性)があり、それは男性であっても女性であっても誰の心のなかにもある。

私の場合は、アニムス=男性性、父性を育てることが分析当初からの大きな課題であった。

この10数年をかけて、内なる父性と出会うことができたと思う。

同時に現実の世界でも、資格を取り、それを生かして仕事をすることで経済的な自立ができた。

内なる父性。それはおもしろいことに、実際の私の父でなく、息子が入っていた高校の野球部の監督として出てきた。私にとって理想的な父性を体現する人だったのだろう。

夢のなかで、私は監督に抱きついてわんわんと泣いていた。近くには監督の奥さんもおり、その抱きつきは性的なものでなく、いままで甘えたくても不在だった「おとうさん」の胸に帰った、という感じだった。


先月のはじめ、コロナで熱を出したときに印象的な夢をみた。

夜、私は実家近くの道路にいる。歩道の一部が地下の物入れのようになっていて、その中にわが家の骨董品が入っているようだった。骨董品をコンテストに出すらしかった。私は上から覗きこんでいるのだが、そのなかに、1mくらいの高さの木彫りの女の子がいたのだ。女の子はおかっぱだった。

歩道の反対側は車道で、そこはプールか池のようになっており、夜の闇のなか、息子の友達の男の子たちが並んで次々と、階段を降りて静かに池の中に入っていく。近所に住んでいて小学校から一緒だった子や高校の友人たち。溺れないように気をつけなくてはいけない。入っていった子はすっぽりと頭まで入水して、見えなくなる。


私は熱が下がり、身体中がバラバラになるような痛みのなか、夢について考えていた。

今までは男性性の獲得が課題であったが、これからはアニマ=魂を探求するときなのかもしれない。

アニムス(息子の友だち)は無意識内(池)に帰り、アニマ(木彫りの女の子)が、同じく無意識内を意味する地下から姿をあらわした。私はそれを引き上げるだろうと。

そして今、私はこの文章を書いている。

夢というのは不思議である。

先生がよく言っていた。

夢は時間軸からはずれているので、過去も現在も未来もないと。


おかっぱの女の子が近くにあった。

息子の部屋の壁。

カネコ アヤノのポスターだ。

バイト先から帰った息子は、ギターで彼女の曲を弾き語りしていた。ギターをかき鳴らし、大声で歌いあげていた。

「いまのわたし いまのわたし

   甘い砂糖と苦いグレープフルーツみたい」






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