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腕時計のない生活

半年ほど前になりますか、腕時計のベルトが壊れてしまいました。

教員をしている頃、腕時計は必需品。
出勤前には必ず身につけて、帰宅すると真っ先に外すという生活でした。
時計のベルトが壊れたらすぐに交換するのが当たり前です。

退職してからも何となく習慣で、
外出するときは腕時計をつけていました。
たとえ犬の散歩でも。
たとえ近所のスーパーでも。

けれども半年前にベルトが壊れたとき、私は考えました。
「もう腕時計いらんのちゃう?」と。

通勤電車の時間も
授業の始まりと終わりの時間も
打ち合わせの開始時間も気にしなくていいのです。
しかもスマホに時計がついている。

そう考えて、腕時計なしで過ごすことにしました。

腕時計をしなくなってそろそろ半年。
いいかげん慣れても良いだろうと思うのですが…
慣れません。

外出時に、左の手首に時計がないと不安…。
時間を確認しないと不安なのです。

時間に縛られるようなことは何もないのにですよ。
縛られるとしたら、ご飯の時間ぐらい。
それなのにどうして時間を確かめたくなるのでしょう?

高校の国語の教材に、『時間と自由の関係について』という内山節さんの文章がありました。

内容をざっくりと書きますと

ー時間には2種類あります。それは、「時計に支配される時間」と「時計に支配されない時間」です。

―昔の学校には時計がありませんでした。
学校で時計が使われるようになったのは産業革命以降。
労働が時間当たりの量ではかられるようになってからです。
経済と教育は直結しています。

ー学校に時計が入ると時間割ができます。
テストはぴったり時間内で行われます。
(1分でも遅刻したら叱られます。「時間を有効に使いなさい」とか「5分前集合!」などと言ってしつけられます。能率的に働く労働者を作るためです。←「かぼちゃ」の補足)

ー現代、人は時計に支配されがちです。
けれども本当は、時計に支配されない時間にこそ、「今を生きている」という実感を感じられるのです。


仕事を辞めるまで、私は「時計に支配されない時間」がどんなものかわかりませんでした。
ましてや「今を生きている」などと実感したこともありませんでした。
「時計に支配されている」のが当たり前になっていましたから。

けれども仕事を辞めてからは時計に支配されることはありません。
ですから「今を生きている」という実感を感じられて幸せなはず。

それなのに、なぜ腕時計がないと不安なのでしょう?

もしかするとそれは、「時計に支配されない不安」なのかもしれません。

自分を支配するもの(たとえば時計、宗教、親、道徳などなど)から突然放たれた時、解放感とともに不安感が襲ってくるものなのかもしれません。

私はもう一度、外出時には腕時計をつけることにしました。
もう本当に要らないと思うときまで。


今日、時計屋さんに行きました。
時計屋さんまでいつもは自転車で行くのですが、雨が降りそうだったので徒歩で行きました。
せっせ、せっせと片道2キロ。

しかし、時計屋さんは…なくなっていました。
しかたなく、汗をふきふき帰ってきました。

帰ってきてアマゾンショップを見てみると、時計バンドがタイムセールになっているじゃないですか。工具付きでも安い…。
サイズを測って、色を選んでポチリ。3分で終わりました。

時計屋さんがなくなっていて良かった、と思うことにします。
ウォーキングもできましたしね!




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