もしも、ASDの人が多数派で、ASDではない人が少数派になったら、世界はどうなるでしょう?
きっと、「ASDではない人」が「障害がある人」と捉えられることになりますよね。世の中多数派が生きやすいように作られますから。
例えば「ASDではない人」に「コミュニケーション依存症」とでも名付けてみましょうか。(もちろんそんなものはありませんよ。全くSFの世界で遊んでいるだけです)
「コミュニケーション依存症」の人の特徴は、こんな感じで定義されるのかな?
ASDの人が多数派になったら、世の中平和になるかもしれません。
でも、ASDの人ばかりでは困ることも起きるでしょうね。
いろいろな個性の人が、お互いに排除することなく、違いを理解しながら社会生活を送れるようにならなければ、「人間に未来はない」と私は思うのです。