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もしも、ASDの人が多数派になったら?

もしも、ASDの人が多数派で、ASDではない人が少数派になったら、世界はどうなるでしょう?

きっと、「ASDではない人」が「障害がある人」と捉えられることになりますよね。世の中多数派が生きやすいように作られますから。

例えば「ASDではない人」に「コミュニケーション依存症」とでも名付けてみましょうか。(もちろんそんなものはありませんよ。全くSFの世界で遊んでいるだけです)

「コミュニケーション依存症」の人の特徴は、こんな感じで定義されるのかな?

(注)しつこいですが、以下、筆者の勝手な空想です
【コミュニケーション依存症】
①文字や正確なことばによる情報交換が苦手で、表情や視線で感情を伝達しようとするため、うまくコミュニケーションをとることができず、本人の社会生活に深刻な影響が及んでいる。

②日々の決まった行動パターンを守ることや、同じ作業を繰り返すことが苦手であるため、社会生活を送ることに困難がある。

③音や光、触覚などの感覚に鈍麻な場合があり、大きな音を出してしまう、急に他人に触れてしまうなどの行動を悪気なく取ることがある。

④興味・関心が多岐にわたり、特定のものへの強い興味を持てず、専門的な知識や技能を習得することが困難である。集中が続かないのは、強い興味を持てないことに由来すると思われる。

※その他、以下のような特徴が散見される。

①年齢や人種、ジェンダー、出身等で上下関係をつけることに固執することがある。自ら設定した上下関係に則り、相手に対する対応を変える場合がある。

②物よりも人間に興味を持ち、一人でいることができない。

③意識的に、または無意識に嘘をついてしまうことがある。

④ルールを守ることが苦手である。

もちろん出典などありませ~ん

ASDの人が多数派になったら、世の中平和になるかもしれません。

でも、ASDの人ばかりでは困ることも起きるでしょうね。

いろいろな個性の人が、お互いに排除することなく、違いを理解しながら社会生活を送れるようにならなければ、「人間に未来はない」と私は思うのです。



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