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黄金遊戯(第三話)最終回

5、
 それは猛禽が狩りをするさまに似ていたと云えよう。上空よりさらに三体の烏人ザレ=ムが飛来したのだった。
 烏人ザレ=ムは、滑空の速度そのままに王子だった化物に激突した。蹴散らされた二体は、追突の勢いで壇の下にまで飛ばされ、逃げ遅れた会衆が落ちてきた化物に押し潰された。化物は頑強で、その闘志は衰えていなかった。幾人いくたりかが伸びきたった脚の吸盤に捉えられ、それらの者はむごたらしくも大腮おおあごの犠牲になった。咆哮を挙げた化物を、烏人ザレ=ムが追撃した。
 日神子ラーズのみが、初撃をかわしていた。飛退とびすさって次の攻撃に身構えたが、その隙に四体めの烏人ザレ=ムが化物の足元からタルスをまんまと運び去った。
 烏人ザレ=ムは器用に風に乗って上昇した。毒で朦朧としたタルスが目を開けると、みるみると壇が広場が、縮んでいくのが映った。せんにも経験済みだったが、烏人ザレ=ムは思いのほか巧緻に飛翔した。羽ばたくだけでなく、上昇気流を上手く利用してトンビのように帆翔はんしょうすることさえ出来るのだった。
 あっという間に烏人ザレ=ムは、渓谷の南の崖を上り詰めた。
 タルスは、南斜面の頂きに降ろされた。崖の上の峠道になっている場所である。運んできた烏人ザレ=ムは、すぐさま谷底の仲間に加勢すべく取って返した。
 ようよう起き上がったタルスに、駆け寄った者がいる。頭と顔に日除ひよけの布を巻き、人相は判らぬが印象的なひとみが覗いている。革のマントに布の細袴ズボンという動きやすい旅装束であったが、声の張りといい身のこなしといい、女、それも少女と云ってよい年頃の娘と知れた。
「無茶しないで」
 少女はタルスの傷を診ると、手早く背嚢から薬草袋を取り出した。
「一世一代の大見得おおみえだったろう?」
 減らず口は叩いたものの、額の脂汗と蒼白なおもては隠しようもない。少女は傷口に火酒を振りかけて消毒し、軟膏を塗った。革袋の水でタルスに、毒消しの丸薬を内服させる。
「怪我する前に逃げられたんじゃない?」
 少女が母親のように小言を述べる。タルスが幼子みたく唇を尖らした。
「あんたが派手に陽動しろって云ったんだせーーアルマナ」
 アルマナが覆い布を引き下げ、柳眉を逆立てた。
 彼女もまた、古代皇国ザレムのすえであった。ただアルマナの血統は、翼を失う代わりに人間ゾブオンに紛れ込むことを選んだ。そして密かに神代かみよの記憶を伝えていたのである。古の詞で烏人ザレ=ムを使役したのは彼女であった。タルスは言わずもがなの一言を慎み、話題を転じた。
「で、トレムの方の首尾は?」
「上手くいったみたい。ヴェジャが報せに来たわ。今ごろはもう、階段宮殿を抜け出ているはず」
 トレムはアルマナの叔父で、隊商を生業としている男である。トレムの隊商仲間がティリケで神隠しにあったのが事の発端であった。いや正しくは、知恵を借りようと打ち明け話をした商人のヴェジャが、胡乱極まりない男であったことがこのたくらみの始まりであったと云えよう。
 ヴェジャとその一味がティリケについて探ると、果たせるかなおびただしい怪聞かいぶんが出てきたという。が、ごく実際的な頭の働かせ方をする南大陸の民は、仇討ちなどという無為な返報へんぽうは考えなかった。代わりにトレムとヴェジャが企んだのが、ティリケの富を掠めとるくわだてだったのである。
 恥知らずなはかりごとの骨子はこうである。タルスがおとりとなって人びとの目を奪っているうちに、トレムら本隊が王宮の宝物庫に忍び込んで黄金を奪取する。辺鄙な小王国が周辺国に併呑されずに済んできたのは、富を産み出す秘密の金鉱とそれを守る天然の要害のゆえである。当然、逃げ出すのにも困難が伴うが、囮役のタルスは、アルマナの使嗾する烏人ザレ=ムで脱出するため安全に逃亡出来ようというわけだ。
「それにしてもあんた、随分とそのーー」
 タルスが詞を探しあぐねているとアルマナが、嫣然えんぜんと微笑んだ。歳のわりに大人びた仕草である。
阿婆擦あばずれになったって?」
「そうは云ってないさ」
 決まり悪げにタルスは口ごもった。アルマナと喋るとタルスは、己れの方が年下であるようにいつも錯覚する。タルスが彼女を山賊の巣窟から連れ出したときはだいぶ初心うぶであったはずだが、そのときもそう感じたのだから、生来の彼女の気質なのだろう。
 とーー。
 二人の居る峠道に、急速に接近する不穏な気配があった。
「アルマナ、伏せろ!!」
 咄嗟に横に跳んだ二人のすぐ上を、巨大な物体が凄まじい勢いで過ぎ去った。峠道に転がった二人は、同時に立ち上がった。
 元は日神子ラーズであった化物が、宙で滞空飛行していた。地球上の生物とはまったく異なる進化の過程を辿ったであろうに、その複眼に忌々しげな瞋恚しんいほむらーーいや憎悪が点っているのが不思議と判った。
 タルスが考えを巡らせたのは、瞬き一つほどの間である。
 仮に彼奴が蜂に似た躰の構造と生態を持っているならば、こちらに体当たりして脚と大腮おおあごでしがみつき、毒針を刺そうとするだろう。彼奴は素早く何度も刺せるし、あっという間に離脱もできる。すなわち捕まった時点で死は免れ得ない。だが拓けた峠道で、空を行く彼奴から逃げ仰せるのもまた不可能事に近い。タルスは毒で弱っており、アルマナの足では追いつかれてしまうからだ。残る一手はこちらから攻撃を仕掛けることだが、自在に宙を舞う敵に正面から挑むのは無謀に過ぎる。何か彼奴の気を逸らす手立てがないものかーー。
 こうしたタルスの思案に先んじて動いたのは、何とアルマナであった。真一文字に襲いかからんとした化物の出端ではなくじいて、一挙動で懐から取り出した物を投げつけたのだった。
 それが当たって砕けると、パッと辺りに鮮烈なが拡がった。化物が横っ面を張られたように身悶えした。
 アルマナが放ったのは球根の形をした陶器で、香油などを容れておく容器である。いまその中に入っていたのは薄荷はっかの精油だった。化物の生態が蟲に近しいならばこの臭いを嫌うはず、アルマナはそこに賭けたのだった。
 無論タルスは、隙を見逃さなかった。
 ほんの二、三歩の助走で、信じられないほどの跳躍を見せた。化物の上方で身をひるがえし、背中に飛び乗った。化物はめちゃくちゃに飛び回って、振り落とそうと猛り狂った。
「止めて!!」
 アルマナの悲鳴にタルスが、にやり、と凄みのある笑みを見せた。縄のように筋肉にくの膨らんだタルスの腕が、化物のはねをむんずと掴んで、容赦なくむしりとった。
 一枚。
 化物の滞空姿勢が乱れ。
 もう一枚。
 ガクン、とその身が揺れた刹那、飛行能力を失った化物とタルスが縺れ合ったまま真っ逆さまに落下した。
「嫌っ!!」
 詮無きことばだった。化物の絶叫が谷に吸い込まれていった。
 アルマナは膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。両手で顔を覆う。
「嫌よ……」
 アルマナを生き地獄から掬い上げたのはタルスだった。そのタルスが目の前で墜ちてしまった。
 気づけば谷底の喚声は鎮まっていた。
 烏人ザレ=ムが心話を用いて報告してきた。下ではすべてのかたが付いたようだった。
 峠道に風が渡る。
 路傍のくさむらが騒いだ。
 烏人ザレ=ムが困惑したように指示を仰いできた。人間ゾブオンのような感情が彼らにあるのか判らないが、何とはなしにアルマナを労っているように感じられた。彼らと共に過ごした時間は短いが、不思議とずっと以前からこうして対話をしてきたように思えた。
 アルマナは深呼吸をして、何とか立ち上がった。ともすれば逃げ出したくなる己れを叱咤して、崖に歩み寄る。
 覚悟を決め、峠道のきわから谷底を覗き込んだ。
 階段状になった斜面の数段下に、タルスと化物が落ちていた。辺りには血とも体液ともつかぬ液体と、おぞましい肉片が四散している。その酸鼻さんびを極める惨状さんじょうの中で蠢いているものがある。
「タルス!!」
 それは捨て身の戦法であった。落ちながらタルスは、地面と衝突する瞬間に我が身を硬化させたのである。化物は地面とタルスは挟まれた。さしもの化物も、三つの頭部すべてが肉塊と成り果てては生きていられなかった。
 タルスが蹌踉そうろうと立ち上がる。アルマナに気づいて、手を上げた。
 アルマナは、今度こそ思い切り顔を両手に埋めた。
「無茶しないでって云ったのに……」
 涙声で呟いた。
 
6、
 このときトレムたちが持ち帰った財宝の中に、ある古文書が含まれていた。それこそがタルスが南大陸にやって来た真の理由、目指す目的地への手がかりなのだった。一掴みの黄金とその古文書を受け取り、タルスは飄然と脊梁山脈を去ったのだった。
 見送ったのはアルマナだけであった。
 
 (了)


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