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【簡単にはいかない 気持ちとからだ】#003 〜息子が学校へ行けなくなり、 そしてまた 「勉強がしたい」と、自分で動き出すまでの5年間を通して〜

前回【きっかけ #002
〜もともと食べ物のアレルギーがあって、花火の煙を吸って苦しい思いをした〜
からの続きです。
しばしお付き合いくださいね。

簡単にはいかない、気持ちとからだ

花火の件以来、食べることに対して不安になった息子は、
その頃、お蕎麦か菓子パンしか食べれなくなり、
夏休みの間、学童でのお弁当は、
気になると食べたものを口から出してしまうということもあり、
みんなとは別、先生の部屋で食べていました。
そして、2学期に入ると、学校への行きしぶりが始まりました。

「身体がとても疲れてだるく、特に腕・足 おなかも痛い。」
「 給食が食べられず、みんなと違うのがはずかしい(特にこの気持ちが強いようです。)」

当時の連絡帳を見ると、こんなことを担任の先生に伝えていました。

このままだと学校へ行くのが難しくなると思い、小児科の先生のところへ相談に行ったところ、入院が決まりました。
入院理由がないと、ということでついた病名は「摂食障害」
励ましながら食べられるようにしていくということで、
1週間もしないくらいの入院では、出されたものが食べられるようになり、
「よかった、これで学校に行ける」と、私は思いました。


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私が安心したのは束の間、退院後、だんだんと朝起きれなくなっていきました。

休む日も増え、行けても遅刻しての登校。
「やだー!」と学校の門まで行ったところで、戻ってきてしまうこともありました。

そしてこの日、私は仕事を休み、息子と学校へ一緒に行こうとしました。
朝、時間になってもなかなか起きない息子を
「朝だよ、起きな、学校へ行く時間だよ」
と、揺り起こしました。
すると、息子が眠い目をこすりながら起き上がり、
ひと言、
「タータン、ごめんね。」

ハッとしました。
これは、ダメなんだ、本当に身体が動かないんだ、と思いました。
このことは、今でも思い出すと、胸がキュッとなります。


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長くなりましたので、
続きは次回に書きますね。

今振り返ってみても、この頃は本当に嵐だったけれど、、、。
今、このような渦中にいる人が、お読みになっている方でいらっしゃるかもしれません。
本当に、その渦中は、くるしいですよね。
でも、
でもね、それはずっとは続かないんだな、と、私は今そう思えているんですね。
どんな風にそう思えていったのか
それは、〜自分が安心していく、ホッとできることを、選択していく〜
そんなことかもしれません。
少しでもここに書けてお伝えできたらな、と思っています。

それでは、次回は、【#004 つながる】です。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。



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