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先出しジャンケン

遠すぎて明確には覚えていない。
多分小学校中学年くらいじゃなかったかと思う。

当時はまだテレビ全盛の時代で、学校での話題は前日に放送されていたバラエティー番組の話題で持ちきりだった。

9時就寝が決まりだった我が家は
10時からのバラエティー番組は見れず、
話題を振られた時は

「あぁ、面白かったよね(汗」

みたいな有耶無耶な空返事で乗り切っていた。

そんな児童時分、センセーショナルなゲームルールが開発された。

FUJIWARAの原西さんの「ウイーンじゃんけん」だ。

相手の出した手を見て、負けた側が手を「ゔぅいぃぃぃぃんん!!」と言いつつ変更できるトチ狂ったルールである。

この9回裏が満塁から始まるような一発逆転ゲームおかげで幾つの給食のおかずを逃してきたか分からない。

そんな僕もアラサーという言葉の定義に半身浴程度に浸かってしまっている歳になった。

お恥ずかしながら結婚を考えるは愚か、パートナーとなってくれる人さえ見つかっていないのが現状だ。

帰省の度に「相手はいづ連れてくんだ??」と優しいでおなじみの東北訛りが鋭く感じるほどのキラーパスを受けるのもそろそろしんどくなってきた。

とは言え、真剣に相手を探しているのかと言われれば答えはNoだ。

相手が欲しくないわけじゃない。
どうしても保身に走ってしまうからだ。

自分で言うのも何だが、割と素直な人間だと自負している。
大学に進学し、一人暮らしを始めるときに親から「マルチ商法と宗教には引っかかんなよ」と言われたのに引っかかった程度に。

だからこそ、いろんな経験を積んで、人を信じることが難しくなってしまったなと感じている。

信じてよかったな、と思ったのは、残念ながらアラサーを迎えた僕の人生でも母親の「大学には行っておきなさい」と自分で選んだ選択肢だけだ。

「なんか困ったらいつでも言って!」

この言葉をかけてきてくれたけど、言っただけで終わったケースにしか出会ったことがないから、余計に信じられるのが自分しかいなくなってくる。

「パフォーマンスなんていらねえんだよ」なんて、その度に思っているからどうしようもない。

性根が腐り切った人間がパートナーを携えるなんて、荒唐無稽な話なのだ。

と言う話を友人としていた。
が、「甘えてねえで嫌だったらマッチングアプリでも何でもやれよ」と冷ややかな意見が返ってきた。

ぐうの音もでないが、その通りだ。
ただ、素性も知らない相手に手の内を明かすのが怖いのだ。
また、都合の良い関係に留められてしまうのではないかと。

だから、親不孝とは分かりつつも恋愛からは何かと距離を置いてきた。

だか、悔しいことに好きなバンドがこんな歌を歌っていた。

信じられないことは
信じることでしか生まれないなんて
今の僕には眩しすぎて

10-FEET シエラのように

僕はビジネス界隈でよく言われる「Give&Giveの精神」が嫌いだ。
与えたものが返ってくる保証は無い、という搾取する人間が作った言葉だと思うからだ。

でも、この歌詞は「見返りを求めてもいいから、先に相手を信じてみなよ。怖いとは思うけど。」って話かなと僕は思っている。

最近「お前は都合いい奴だからな」と言った趣旨の発言を受けたばかりだからこそ、この歌詞の伝えんとしてる恐怖感は身に染みて分かっているつもりだ。

でも、正直言えば今のまま「人を疑って生きる自分」に辟易してきているところもあり、何かしら殻を打ち破るきっかけが必要だとは思っている。

打算的もでもいい。甘えと言われてもいい。
簡単に信じるなんてできないからこそ、何か見返りを求めてもいいと思う。

その上で、見返りを見越した上で、相手を信じる材料として先出しジャンケンで自分を信じてもらう材料を出してしまうことが大切だと教えてくれている。

悔しいがまだそこまでの強さはオレにはない。
けど、言ってることが分からないわけじゃないし、これが出来るようになることを目指さない理由もない。

堂々巡りかもしれないから、挑戦の度に学びを得て修正していきたいとは思うが、いつか「自分以外を信じるのも悪いもんじゃねえな」と思えるように、先出しのきっかけを作ってみようと思う。

今週末の合コン頑張ります。
1:1で割ったハイボール4杯かましたしばふよりお届けいたしました。
おやすみなさい。

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