願ったことは叶うらしいので、私はきっと村長になると思われる件(後編)
キャッシュレスの時代が来たと分かってはいるが、まだニコニコ現金払いも可能な世の中。
私だってギリギリ、クレジットカード支払いまでは使いこなしている。
ただ、昨今の若者のようにスマホと小銭しか持たずに出かけるなんてことはまだ勇気が出ない。
この春、オンラインでの対面セッションに向けてネット環境を整えるために光を導入した。
還元はポイントのみですと言われれば、はいと従うしかない。
よく分からないので電話をかけてみても、音声ガイダンスに阻まれて、なかなか血の通ったやり取りができない。
実際はジリジリと近づいているのだ。
そう…
あの老婦人のようにどのボタンを押すのかも、何を支払っているのかもよく分からないという孤独と不安を抱えながら、人間味のないコミュニケーションを機械相手にする時代は来るのだ。
遡れば、私はずっと孤独感と戦ってきた。
それは子供を産んでからも続いた。
両方の両親は遠方だったし、夫は感情を読むことが苦手でコミュニケーションに難があった。
よく分からないが、自分の特性で嫌な思いをすることが多かったのか?自分の気配を消しながら生きてきた人生も、子供ができるとそうは行かなくなる。
自己肯定力が低いせいか、子育てを協力して行うためには自分の権利を主張しなければならない(有給を申請するetc)場面でも、夫はそれができなかった。
私は夫婦が揃っているのにワンオペだった。
でも私が最も堪えたのは、夫に全く悪気も罪悪感もなく、何で揉めているのか理解できていないことだった。
人にどう見られているかということは人一倍気になるが、自分の世界以外を想像する力がなかった。
私も正職員としてフルタイムで働いていることや、子供が病気で心配する私の気持ちには寄り添えなかった。
長年の感情のもつれは、向こうの両親を交えた席で私が別居を申し出ることになったが、夫は頑として「現状維持で」と繰り返した。
夫の母は、息子が腹痛で倒れている嫁を跨いで「仕事だから寝る」と言った話を聞いて泣いた。
そして離婚は回避したい一心で、一回別居して嫁を楽にしてやりなさいと息子に言ったが、持ち前の不理解さを披露してまた親を泣かせた。
時が経ち、今ではこの結婚や自分の親との関係は、前世からのカルマの解消のために私が用意してきたステージなのだろうと俯瞰して見ることができるようになった。
なぜなら、私の今世の勉強は「愛」だと気づいたからだ。
夫の特性も一つの個性であり、家族という単位で生きるが故に苦しむ。
そして母親も夫も、私と同じく愛が怖い人間だったんだと分かったのだ。
人は近寄れば別れが怖くなる。
いつか来る別れが怖いのは、父親を早くに亡くした母や、嫁姑の狭間にいた夫が無意識に植え付けたブロックなんだと、ある朝急に私は気づいた。
そのブロックの原因が、溢れんばかりの愛からできているなんて、
「滑稽じゃないか!」
愛を隠して生きなければならないなんて、もったいない事この上ない。
私はある朝、モーレツに全身からそう感じたのだ。
あのATM前の老婦人や、友達や、私が出会っているコミュニティの仲間や、その他生きていれば増える人の繋がりの中で、
「助け合うことを遠慮する世の中」
は、今までの地の時代の負の遺産だと目を覚ました方がいい。
本当は遥かレムリアの時代から、家族なんて単位ではなく、垣根を越えた愛で溢れた関係性があって、皆が助け合っていたはずだ。
むしろ家族という単位で縛ろうとするから歪みが生まれているのだ。
もう、目覚めた人達は原点回帰に動き出してもいい頃ではないだろうか。
みんなが世間の常識を恐れず、村を作れればいい。
それは実際同じ土地に住むのではなくても、そんな感覚を持つ人間がいる事を発信する事から始まると私は信じている。
今世、自分の居場所を作りにきたことに気づいた今年の8/8のライオンズゲートに合わせて、長い長い下手くそな文章を宇宙へのコミットに変えて残します。
読んでくださってありがとうございました。
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