ついに言っちゃおうと思った話④
前回までの話
もちろん!
育児にも協力的、産後に体やメンタルの変化に柔軟に対応できる旦那さんは、世の中にはたくさんいる。
ダメージの多い時期だが、旦那さんの笑顔を見て癒される褥婦も多いし、小さなサポートでも嬉しいものだ。
赤ちゃんを愛おしそうに抱く旦那さんは、それだけで尊い。
私が主張しているのは、
産後のホルモンバランスを欠いた時期に、
旦那さん側にも働くというミッションがあり、
明らかにマンパワーが足りないのにサポートを得られない場合、
他人に頼る必要がある。
それはおかしい事ではない。
という事だ。
母だ妻だと言って頑張りすぎなくて良いのだ。
いくら諸先輩達に怒られようが、嫌味を言われようが、異性に睨まれようが、同性に疎まれようがだ。
女性として生きる上で、自分の身を削いで渡す行為はもうしなくて良い。
女性はもっと自立して良いし、するべきだ。
以上!
夫は夫で、働き家族を養おうとしている。
そこにはちゃんとリスペクトはある。
限られた時間の中で、家に重心を置けない生活は、夫も苦しいのかもしれない。
居を別にする事で、その間父性が育たない問題もある。
では、どうやって褥婦の健康を守り、赤ちゃんを健やかに育てて行くか。
だからコミュニティで暮らす!(原点回帰)
小さな家に家族だけがギュウギュウと暮らすのは息苦しい。
みんながフレキシブルに、垣根を低く暮らす。
この映画のタリーは、夜間お腹が空いて泣いた赤ちゃんを抱いて、夫婦の寝室に入り、そっとオッパイに赤ちゃんを置いてくれる。
我々日本人の、現代の垣根の高い生活感覚では、ヘルパーが夫婦の寝室に入り、いびきをかいている他所の夫の寝顔を見るのはとても抵抗があるだろう(笑)
ただプロのヘルパーとしては、自分の母子のサポートという仕事に矜持があり、いびきくらい雑音程度なのだが、当の夫本人がごちゃごちゃ言いがちだったりする。
だったら別室か別居はどうですか?
という話なのだが。
愛とは結婚という縛りよりもっと大きいものだ。
夫、妻、子だけが愛ではない。
「伴侶」に執着しては、愛の本質が歪んでしまう。
愛の第一ステップはまず自分を愛することだ。
子供は色んな大人の背中を見て育つ。
産みの父母だけが親ではない。
大人は天に戻る日まで、自分のスキルを使い果たす。
スキルこそ個人が生涯獲得した財産だ。
使っても使っても減らない素晴らしいもの。
愛は無限。
どの子も自分の子。
どの年寄りも自分の親。
どこの旦那さんだって愛だ(感覚伝われ)
私が得た人生スキルが生きるなら、いくらでも差し出そう。
愛の波紋はどんどん広がる。
私は貴方で、貴方は私だから
終わり
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