一級建築士試験対策 建築作品実例集【住宅編】
一級建築士試験で問われる、住宅に関する建築事例を写真と過去問付きで分かりやすくまとめました。
一部順番を入替えていますが、ほぼ年代順での記載になります。
過去問の出題年と問題番号は、特記無い限り基本的には一級の計画のものになります。
また、誤りの選択枝については、正となるよう改変してある為、ここに記載の過去問の解答はすべて正となります。
日本の住宅
土浦亀城邸 (土浦亀城-つちうら かめき)1935年
(H24年 No.12)
土浦亀城邸(1935年)は、「白い箱」型の外観をもち、内部は居間の吹抜けを中心とし複数の床レベルによって構成されたモダニズムの木造住宅である。
前川國男邸(前川國男-まえかわ くにお)1942年
(H29年 No.12 改)
前川自邸は、戦時中の物資の無い中、限られた資材と建坪100㎡以下という制限の中で建てられた、吹抜けのある居間(サロン)を中心に、書斎や寝室、ロフトが配置された木造モダニズム建築である。
立体最小限住宅(池辺陽-いけべ きよし)1951年
(H20年 No.8)
立体最小限住居(池辺 陽)は、工業化住宅の試みとして発表された「15坪住宅」であり、吹抜け空間を設けることで、狭小性の克服を目指した住宅である。
増沢洵邸(増沢洵-ますざわ まこと)1952年
(R4年 No.13)
増沢邸[自邸](増沢洵、1952年)は、3間×3間の9坪の平面プランをもつ2階建ての計画であり、3坪の吹抜けに面して設けた南面大開口部の障子を通して、柔らかな光を室内に取り込んだ住宅である。
(H24年 No.12 解説)
増沢洵邸は、池辺陽の立体最小限住宅とともに、戦後の極限的小住宅の先駆けとなった事例で、1.5×1間を構成単位とし、吹抜けの全面開口からは、障子を透して柔らかな光を採り入れた住宅である。
斎藤助教授の家(清家清-せいけ きよし)1952年
(R4年 No.13)
斎藤助教授の家(清家清、1952年)は、テラス、廊下、居間が連続する開放的な平面に、移動畳等を配置し、場面に応じて空間を設える「舗設(ほせつ)」の概念を具現化した住宅である。
(H18年 No.9)
「斎藤助教授の家」(清家清、1952年)は、テラス、廊下、居間・食堂を連続させた開放的な空間とし、可動の家具を配置することで、空間を状況に応じて変更することができる。
ヴィッラ・クゥクゥ(吉阪隆正-よしざか たかまさ)1957年
(R4年 No.13)
ヴィッラ・クゥクゥ(吉阪隆正、1957年)は、コンクリートの特性を生かした形態と彫りの深い開口をもち、外部に対して閉じることにより「閉鎖性」をつくり出したワンルーム形式の住宅である。
スカイハウス(菊竹清訓-きくたけ きよのり)1958年
(H24年 No.12)
菊竹清訓邸のスカイハウス(1958年)は、4枚の壁柱によって正方形の主室を空中に持ち上げ、HPシェルの屋根を設けた構成で、住宅生産の工業化の利点を生かし、設備等の更新を可能とする「ムーブネット」を取り付けた住宅である。
(H20年 No.8)
スカイハウス(菊竹清訓)は、メタボリズムの考え方に基づき、一辺約10mの正方形平面の生活空間とHPシェルの屋根が、4枚の壁柱で空中に支えられた住宅である。
正面のない家(坂倉建築研究所)1960年
(H18年 No.9)
「正面のない家(N氏邸)」(坂倉建築研究所、1960年)は、敷地全体を壁(塀)によって囲い込み、四つに分かれた庭が各室に採光と広がりを与えているコートハウスである。
から傘の家(篠原一男-しのはら かずお)1961年
(H8年 No.9)
から傘の家(篠原一男、1961年)は、正方形の単一空間を住機能別に三分割した平面構成が特徴である。
(H11年 No.10)
から傘の家(篠原一男)は、方形屋根で覆った正方形の単一空間を用途によって分割した、造形性の高い全体構成をもつ。
(R4年 No.13改)
から傘の家(篠原一男)は、襖を開くことでワンルームとなる正方形平面に方形屋根を架け、傘の骨のように組まれた木材を内部に現した住宅である。
軽井沢の家(吉村順三-よしむら じゅんぞう)1962年
(H8年 No.9)
軽井沢の家(吉村順三、1962年)は、片流れの屋根と2階の居間を中心とした平面計画が特徴である。
塔の家(東孝光-あずま たかみつ)1966年
(H18年 No.9)
「塔の家」(東孝光、1966年)は、小面積で不整形な敷地条件に対し、住空間を機能別に積層して構成した都市住宅である。
(H29年 No.12 改)
「塔の家」(東孝光、1966年)は、都市部の約20m2の狭小な敷地に、住空間を機能別に積層し構成した住宅である。
夫婦屋根の家(山下和正-やました かずまさ)1968年
(H8年 No.9)
夫婦屋根の家(山下和正、1968年)は、1階を生活部分、2階を仕事場に分けた明快な平面構成が特徴である。
(H18年 No.9)
夫婦屋根の家(山下和正、1968年)は、1階を生活部分、2階を仕事場に分ける明快な空間構成とし、2階のアトリエとピアノ室は、それぞれトップライトのある寄棟屋根としている。
まつかわぼっくす(宮脇檀-みやわき まゆみ)1971年
(H18年 No.9改)
「まつかわぼっくす」(宮脇檀、1971年)は、中庭を取り囲むように分棟が並ぶコートハウスであり、RC造の内側に木造を納めた混構造住宅である。
原広司邸(原広司-はら ひろし)1974年
(H24年 No.12)
原広司邸(1974年)は、玄関からバルコニーまで降りてゆく中央の吹抜けの両側に居室を配置し、トップライトから自然光を取り入れ、住居の中に「都市を埋蔵する」構成を意図した住宅といわれている。
(H29 No.12)
原自邸( 原広司 )は、玄関から吹抜けを通過してバルコニーまで降りてゆく廊下の両側に居室を配置し、トップライトから自然光を取り入れた住宅である。
住吉の長屋(安藤忠雄-あんどう ただお)1976年
(二級 H19年 No.1)
安藤忠雄が設計した住吉の長屋(1976年、大阪府)は、ファサードに玄関以外の開口部がなく、住宅の中央部に光庭を設けた住宅である。
シルバーハット(伊藤豊雄-いとう とよお)1984年
(H18年 No.9)
「シルバーハット」(伊東豊雄、1984年)は、鉄筋コンクリートの柱の上に鉄骨フレームの屋根を架け、コートの上部に吊られた開閉可能なテントにより通風や日照を調節することで、コートを半屋外の居間空間として利用することができる。
海外の住宅
ロビー邸(フランク・ロイド・ライト)1908年
(H20年 No.8)
ロビー邸(フランク・ロイド・ライト)は、プレーリーハウスの典型例とされ、軒を深く出して水平線を強調し、煙突の垂直線と対比させた住宅である。
シュレーダー邸(G.T.リートフェルト)1924年
(H20年 No.8)
シュレーダー邸(G.T.リートフェルト)は、無彩色と青・赤・黄の三原色とが組み合わされたデ・ステイルの構成原理を具現した住宅である。
サヴォア邸(ル・コルビュジェ)1931年
(H20年 No.24)
ル・コルビュジェは、「近代建築の5原則」として、ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサードを提示し、この原則を具現させた作品は、「サヴォア邸」である。
ガラスの家(ピエール・シャロー)1931年
(R5年 No.12)
ガラスの家(ピエール・シャロ―、フランス)は、南北全面を半透明のガラスブロック壁とし、間仕切り壁にガラスやパンチングメタルを使うことで、内部まで明るい一塊の空間とした住宅である。
ガラスの家(フィリップ・ジョンソン)1949年
(H11年 No.10)
ガラスの家(フィリップ・ジョンソン)は、広大な敷地の中に立つ別荘で、暖炉とコアによる明快な平面構成をもつ。
バラガン自邸(ルイス・バラガン)1948年
(R5年 No.12)
バラガン自邸(ルイス・バラガン、メキシコ)は、庭と分かち難く結びついた内部空間をもち、居間の奥には庭に面して大きな窓を設け、積極的に外部を内部に取り込んだ住宅である。
イームズ自邸(チャールズ&レイ・イームズ)1949年
(H28年 No.12)
イームズ自邸(チャールズ&レイ・イームズ)は、再組立が可能という理念のもと、形鋼やスチールサッシ等の工業製品を用いて建築された住宅である。
クルチェット邸(ル・コルビュジェ)1949年
(H28年 No.12改)
クルチェット邸(ル・コルビュジェ)は、不整形敷地に建つ地上4階建ての医院併用住宅であり、台形の平面をもつ医院と矩形の平面をもつ住居は、中庭のスロープによって繋がれている。
ファンズワース邸(ミース・ファン・デル・ローエ)1950年
(H29年 No.12)
ファンズワース邸( ミース・ファン・デル・ローエ )は、広大な敷地に建つ週末住宅であり、H形鋼の柱に溶接された梁を介して屋根スラブ及び床スラブを取り付けた構造に特徴がある。
落水荘(フランク・ロイド・ライト)1963年
(二級 H19年 No.1)
フランク・ロイド・ライトが設計した落水荘(1936年、アメリカ)は、2層の床スラブが滝のある渓流の上に張り出し、周囲の自然の眺めを味わえるように意図された住宅である。
フィッシャー邸(ルイス・カーン)1967年
(H28年 No.12)
フィッシャー邸(ルイス・カーン)は、二つの矩形のボリュームが45度の角度をもって接合され、一方には2層の個室群が配置され、もう一方には2層分の高さの居間をもつ、幾何学的な構成の住宅である。
バワ自邸(ジェフリー・バワ)1958年-1968年
(R5年 No.12)
バワ自邸[Number11](ジェフリー・バワ、スリランカ)は、4軒長屋を改造・改築することにより、路地を長い回廊に置き換え、アプローチから建築物の深部に至るまでに坪庭が随所に設けられた住宅である。
夏の家(E.G.アスプルンド)1973年
(R5年 No.12)
夏の家(E.G.アスプルンド、スウェーデン)は、切妻屋根の2棟が組み合わさった形状であり、主棟に対し、居間棟をずらして配置することで、主棟にあるホール(食堂)からも海を見渡せるようにした住宅である。
ヒラルディ邸(ギラルディ邸)(ルイス・バラガン)1975年
(H28年 No.12改)
ヒラルディ邸(ギラルディ邸)(ルイス・バラカン)は、ショッキングピンクの外観で、壁のスリット、室内のプール、中庭などが設けられ、光が室内の様々な色の壁や水面に降り注ぎ、光と色が競演する空間となっている。
ゲーリー自邸(フランク・O・ゲーリー)1920,1979年
(H28年 No.12)
ゲーリー自邸(フランク・O・ゲーリー)は、既存の木造住宅に、安価な材料である金網やトタン板、ベニヤ板の断片等を組み合わせて増改築を行った、ポストモダンを代表する住宅の一つである。
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