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インプットとアウトプットと〇〇プット

インプットとアウトプットの間にあるものについて考えた。

インプットは、情報を入れるということで、アウトプットは情報を元に答えを出すものだと、とらえている。

アウトプットは正解を出さないといけないと思っている傾向があり、間違えていると思うと、アウトプットができなくなってしまう。

よくあるあるだと思うのだけど、インプットしたことをアウトプットしたときに、他者から「それ、違うよ」とか「こうなってるから、こうなんだよ」とか、フィードバックが飛んでくる。(特に会社なんかだと多いか)

他者は親切心で教えてくれているのだと思うのだけど、アウトプットした側からすると、否定された気分になり、気が下がってしまう。気が下がるのがいやなので、アウトプットしなくなる。もったいない現象だ。

インプットしたことをアウトプットするからこそ、知識や体験が自分のものになる。でも他者のヒトコトでつぶれてしまう。ぼくもそんな経験が多くあるし、また、つぶしていることもあったと思う。

先日、合気道の稽古で、教えてほしいと言われ、自分なりに理解したことをお伝えした。その伝え方として、「自分の理解では・・・」とか「これはぼくの仮説だけど・・・」と枕詞をつけて伝えた。

合気道って、正解があってないような武道で、これだって言い切れないところがある。(言い切れるほどできていないだけだけど・・)なので、こうではないかという仮説を伝える形になる。

仮説を伝えたときに気づいたことがあって、あくまで仮説なので、仮説として自信もって伝えていた。伝えた内容が間違いかどうかは検証中であって、間違いは確定していない。なので、誰からも否定されるいわれはない。

この気づきはぼくの中では大きくて、うぉーマジか!ってちょっと興奮した。

この仮説効果は、仮説として人に説明するので、自分なりに言語化しており、かつ、伝わるように考えているため、仮説の検証が具体的にやりやすくなることなのだ。

実際、仮説説明したのちの稽古では、言語化したことを身体化するプロセスが発動し、めちゃくちゃ稽古の身になった!

この仮説状態を人に説明することを、インプット、アウトプットに対して、【仮説プット】と名付けた。

仮説なので誰からも否定されようがなく、仮説として自信をもって説明ができ、言語化から身体化への検証を可能としてした【仮説プット】をどんどん実践していきたいと思う。

と、高校生の息子に話をしたら、「意味は理解できていいとは思うけども、【仮説プット】って、ダサいやん」と言われた。個人的にはこのダサさがいいと考えている。


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