【特撰記事#11】ごきげんをマネジメントする
前回まで2週にわたりケイゾクについて書いた
今回はすこし目先を変えて、マネジメントについて考察してみたい。
これまで、ケイゾクするための管理、いわゆるマネジメントをセルフで課していた。
セルフでマネジメントといっても、「せねばならない」のエネルギーを使い、自分で自分の尻をたたいて管理する形である。
これが、つづかない要因の一つであると考えている。また、つづいたとしても次の問題にぶち当たってしまう。
それは、ケイゾクのケイガイ化である。ぼくの場合、ケイガイ化のほうが問題であるといってもいい。
モノゴトをはじめて、ケイゾクはできるが、そのうちにおこなっていることが目的となってしまい、ケイゾクしているそのものをヨシとしてしまう傾向があるのだ。
要は、中身がないままにつづけてしまっているのである。
おこなっていることが、意味をなさなくなっていることをうすうす気づいていながら、これまで取り組んできたことがご破算となってしまうことに恐怖を感じている。これまでの時間はなんだったのだ、と。
意味がなかったと認めたくないという気持ちが発動する。だから、ケイゾクする。認めたくないという気持ちがケイゾクするためのモチベーションとなってしまい、本来の目的からますますズレていってしまう。
あー、最悪の循環。無駄な時間を過ごしているとわかっていながら、やめることができない。。。誰か助けてくれい、と叫びたくなる。
先だって書いたKゾクとGゾクの記事にあたり、気がついたことがある。それはGゾクへとつながる話になる。
もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。