見出し画像

【仮説プットその7】終わりをなかったことにすると化けて出る

仮説プットとは、

インプットとアウトプットの間には考えたことがある(はず)。その考えた段階で発信することを【仮説プット】と名付けました。(だっさいネーミング)仮説状態でプットすることがアウトプットの精度を上げるものであるという考え方になります。詳しくは過去記事をお読みください

始まりがあると、終わりがあります。逆にいうと終わりがあるから始まりがあるともいえます。

「終ったことは、水に流せ」「終わったことに、くよくよせず、次だ」と言われることがあります。少なくとも、ぼくはそのように言われて育ってきました。

人間って、無意識に前を向くように設計されていると考えています。
例えば、中学校を卒業し、高校へ進学します。これから始まる高校に入る準備で意識がいっていて、すでに終わった中学のことには意識が向いていないと思うのですね。むしろ思い出したくなかったりしますよね。

「新しい、始まり」には自然と意識が向いていて、「古い、終わり」には意識が向きにくいと。

年齢がいくと、中学生活のことってあんまり覚えていなかったりするんですね。なんだったら、「なかったこと」になっていたりします。前へ前へ行こうとする意識が無意識に働いているのではないかと。

「終わり」は「なかったこと」ではなく、「終わり」を「なかったこと」にしてしまうと、形を変えて、同じような経験をさせられるようになると思うのです。

化けて出るって感じ。

過去と似たようなことが起こる経験ってないですか。同じようなことで夫婦喧嘩する、親子喧嘩する、友達を仲たがいする、などなど。いいこともあると思いますし、よくないこともあったと思います。

でも、それら現象が終わったあとって、総括的なことをしていないケースは多くないでしょうか。それどころか、「なかったこと」にしていないでしょうか。(少なくともぼくはそうです。。。)

「終わったこと」を総括し、よかったこと、よくなかったこと、どう感じたか、今後の対応など、自己の内面に目を向けることが大切であると思うのです。

「終わったこと」を「あったこと」にし、「あったこと」を意識化に上げることで、「経験」として昇華し、前に目を向け歩みだします。

前に目を向けるのは無意識にやってしまうことですが、後ろに目を向けるのは意識的に行わないとできません。

「終わり」に目を向け、「あったこと」を見て、「経験」として前に歩む。

「なかったこと」にすると、形を変えて、化けて出ますよ。

「また、お前かよ」と。



「こらんぷ亭一教@LUCK GO!ごきげん場活道」
メルマガ登録アドレス
https://winning-crafter-4888.ck.page/db7e1396c1​

申し込み後自動返信メールがとどきます。
「今すぐクリックして購読を完了させる」をクリックで登録完了です。


感想はこちらから
https://note.com/ikkyo_note/message

もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。