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カルビーポテトチップス。うす塩味。

こんにちは。こんばんは。おはようございます。
土反です。
過去のすごく悔しかったことをここで発散させて下さい。


私の父は、これまでの人生の中で出会ってきた誰よりもケチです。
彼よりも凄まじいケチがこれまでの人生の中に潜んでいた可能性もありますが、それは知らぬが仏でございます。

そんな彼を反面教師にして私はそうでない振る舞いを試みています。
(ケチが悪いということではありません。私の父が悪いのです。)

そんな自称兼願望大盤振る舞いを目指しているのが前提です。


これは私が大学2年生だった時の出来事です。

あるグループワークの授業の最終回でプレゼンテーションをすることになりました。

プロ野球チップスを模したものを制作したかったのですが、ポテトチップスとその包装までは着手できませんでした。

なので、既存のカルビーポテトチップスうす塩味を購入し、それに制作物を付けてデモンストレーションをしようということになりました。

なんやかんやで発表は終わり、解散する流れになった時
この未開封のポテチはどうするかということになりました。

みんないらない、食べないと遠慮を含めた拒否をし合い。
私自身も貧乏性のくせにカッコつけていらないと一回は言いましたが、
結局私が持ち帰ることになりました。

同じグループの友人たちと一緒に帰ろうということになったので、
どうせならみんなで食べようと提案し、つまみながら帰路に着くことになりました。(いや、お前ら食うんかーい)

私はさながらポテチ奉行かのごとく
あんぐり口の開いたうす塩様を持ち、
学内を練り歩いていました。

そんな時、たまたま通りがかった友人が

「美味しそう!頂戴。」

そう言ってきました。

拒むわけがありません。
この大盤振る舞いポテチ奉行こと土反。
何者も貴賎なくポテチを振る舞います。

そしてあんぐり開いたポテチの口を友人に向け、
得意げに

「あいよ!」

その瞬間です。後ろから。

「一枚じゃなくて全部あげれば良いじゃん。元々私たちいらないんだし」

この一言、未だに高解像度でリフレインする。

刹那に私は気付いたのです。
私は大盤振る舞いポテチ奉行ではなく、
ポテチ・キリストだったのだと。

この晩餐会にはユダが出席していました。

程なくして私は全てのポテチを譲り、そそくさと帰りました。

財産ポテチを手放した瞬間の私の顔は思い出すだけで恥ずかしくなります。(いつからそんな大事なものになってたんだーい<CV.にしおかすみこ>)

なぜ全てあげるということがすんなりできなかったのだろうか。
求めている人に食べられた方がうす塩様も嬉しいに決まっている。
なぜその考えが一番に浮かばなかったのか。

何度も何度も私は帰り道上記を頭の中で反芻しました。
私は私とユダの大盤振る舞い経験値の違いを見せつけられたようでとても悔しかったのです。

そして、それと同時に父のケ血が私にも流れていることを改めて感じ、脳裏に父の笑顔が焼き付いていくようでした。


以降、コンビニで俺が一番だと言わんばかりに指を天に刺したあの芋を見かける度これを思い出すのです。

大盤振る舞スターに俺はなる!


土反 一木



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