自転車とバイク
自転車とバイクの事故を目撃
いつだったか、首都圏の国道をベスパで流していたとき。
自転車のロードバイク(以下、ロードバイク)と自動二輪の大型スポーツバイクが、同じ方向を走行中に接触したのか両方とも車道左端で転倒している交通事故に遭遇した。
事故瞬間を見たわけではないけれど、事故直後と思われる現場を通りかかったのだ。
大型スポーツバイクのほうは心当たりがあった。
事故現場少し手前で、やや渋滞しかけていた車列をウィンカーも付けずに右へ左へと頻繁に車線変更し、左側から抜いたり右側から抜いたり、少々荒っぽいすり抜け走行をしていたバイクだ。
今ドキのスポーツバイクの車種は詳しくないけれど、車格からして大型クラスの排気量と思われた。
方や自転車であるロードバイクのほうは、チーム名が入ったピチピチのサイクルウェアを着ていて、以前なら「ローディ」と言われていたような、ガチなロードバイク乗りに見えた。
ヘルメットは被っていたけれど手足が擦りむけているようで痛々しかったから、車道左端を結構な速度で走っていたのだろうか。
ボクは中央寄り車線をベスパで走行していて周囲の交通量も比較的多かったから、ヘルプ出来ずに通り過ぎて終わったのだけれど、自転車とバイクのどちらに非があるのか、事故原因はわからない。
恐らく、どちらにも非があるのではないか。
自転車のリスク
ボクは昔からロードバイクにも乗っていて(ガチレベルではない)世間からの評判が良くないピチピチのサイクルウェアも着るけれど、どこであろうと一般道を走るのは今でも怖いと感じている。
ロードバイク=自転車は軽車両。
原則として歩道ではなく車道を走行することが、ようやく世間に認識されてきたのは良いこととしても、クルマ側にしてみれば「自転車は大人しく歩道を走っとれ」と言いたいだろうし、歩行者側にしてみれば自転車に猛スピードで歩道を走られたらたまったものじゃない。
そんな板挟みというか肩身の狭い自転車に「自転車専用通行帯(自転車レーン)」や「自転車道」など自転車用に整備された道があるならまだしも、そうではない一般国道や県道などの交通量の多い車道左端を走ることは、リスクの塊でしかないと思っているから怖いのだ。
ロードバイクはタイヤ幅が細くタイヤ空気圧も高い。
その恩恵で、平坦路で50cc原チャリ同等か、下り勾配ならそれ以上のスピードを出せてしまう一方で、タイヤ幅の細さが仇となって道路と平行するような段差や亀裂、轍(わだち)にはめっぽう弱く、迂闊にフロントタイヤがそれらに嵌ってしまうと、直進していても転倒しやすいのだ。
加えて、車道は降雨時の水はけを良くするために道路幅の両端に向かってゆるく傾斜しているから、道路の端は不安定なだけでなく、道端に転がっているゴミや小石などの異物を走行中に踏んでしまったり、車道と歩道にまたがるようなマンホール蓋や金属製の路面排水溝にタイヤが乗っかってしまうと、あっけなく転倒してしまうこともある。
ロードバイクはまた、ペダリング効率を高めて人力パワーロスを少なくするために、スキー板のようにペダルとシューズ裏を金具(ビンディング)でガチッと固定することが可能だ。やはりスキー板同様に足を横方向に捻ることで金具が外れるようになっているし、金具どうしが噛み合わさる固定強度も調整できるものの、転倒の仕方によっては金具がスグに外れなくて人車一体で〝イク〟こともあるのでやっかいだ。
幸いにもボクは公道でそのような転倒経験はないけれど、そんなロードバイクのすぐ脇をバイクやクルマ、トラックが結構な速度差で抜いていくのだから、じつのところ危険極まりないのである。
ついでにいえば、道端にタクシーが客待ちで止まっていたり路駐のクルマがいたりすると最悪で、仕方なく自転車が路駐を避けて車道右側へ大きく膨らみつつ、脇を走行中のクルマに割り込むものなら、例えば急に割り込まれたことで「あぶねえなぁ」と腹を立てた心ないバイクやクルマから幅寄せされたり煽られることもある。
バイクのすり抜けをしなくなった
そんな「自転車乗り」を我ながら端から見ていると、バイクのすり抜けも危ないなぁと思う。
なので、今ではバイクですり抜けを基本的にしなくなった。
「しなくなった」のなら以前は「していた」ということ。
それは20代の頃にバイク好きが高じてアルバイトでバイク便をしていたことがあるのだが、当時は「すり抜けこそバイクの特権! 燕のようにスイスイと舞うすり抜け上手なヤツほど〝早くて〟エラい! ヘタなヤツは道端を大人しく走っテレ!」などと吹聴し、すり抜けテクニック云々を得意げに話していたという、今思えば若気の至りというにも恥ずかしい大ばか者だった。
バイク便なので同業他社との競争もあり〝速い〟ではなく〝早い〟ことが第一だったということもあるけれど、それ以降も、少なくとも初代ベスパに乗るまでは〝すり抜けは良くないけど皆しているから良いよね?〟という感覚だったかな。
今では、真夏の長いトンネル内や渋滞に嵌ったりして排気ガスや高温などで意識が朦朧としかけたりするなど身の危険を感じるときは、異常事態とばかりに止むを得ずすり抜けをすることがある。
それでも、すり抜けするときは白実線やイエローラインを跨がないように、あるいは左側からの追い抜き追い越しをしないように、色々と交通法規は心がけているけれど、オヤジ年齢だし身体能力的にも若い頃のようにすり抜けできなくなったと実感しているし、ましてや燕のように舞うなんて、今じゃとんでもない。
ボクはムリしない
ロードバイクに乗っていると、身体能力の衰えを「オートバイ」よりも肌で感じられる気がする。
自身がペダルを漕ぐエンジンであると同時に、そもそもロードバイクじたいが総重量で10kg未満だし自身の体重より格段に軽いのだから、そのぶん身体の動きに対するレスポンスがダイレクトに伝わるためだろう。
その意味では良くも悪くも己の限界を悟りやすいのだ。
先に述べたように、ロードバイクは外的な危険要素がたくさんある中で、サッと後方確認してハンドルがふらついたり、ちょっとシフトチェンジをミスってバランスを崩したりの「サッと」「ちょっと」を身体が反射的にリカバリしてくれるレスポンスが、若い頃のようにはいかないことを痛感することが多くなった。
一方でオートバイは、歳を取りバイクの重さや取り回しが辛いと感じることはあっても、スロットルを捻って走り出してしまえば、200kgとか重たい車体もろとも異次元に連れて行ってくれるデビル(悪魔)が潜んでいる気がする。
コーナー進入からコーナー出口のライン取りをミスったとしても、たまたまブレーキングポイントをミスっただけだからね、とデビルが囁いてくれる。
そうして自身の衰えを実感しないまま反射神経の限界値を超えてしまっているような気がしてならないのだ。
ボクと同世代あるいは年配者が大型バイク(に限らず)でツーリング中に事故って死傷するという痛ましい報道を見聞すると、そんなことを考えてしまう。
そう、ボクは小心者。
でも、ボクはムリしない。
だからビビってスクーターのベスパに乗るということではないし、ベスパはベスパとして好きだから好んで乗っているのだけれど、これから先も身の程にあったバイクに乗っていようと思っている。
よく雑誌だったかブログだったかで「好きなバイクに乗って死ねたら本望」なんてワードを見たことがある。
バイク好きを象徴する例え話だとしても、ボクは違うな。
「好きなバイクにずっと乗っていたい」から、ムリはしない。
なんだかんだ言って、どんな乗り方をしようが、どんなバイクライフがあろうが、
バイクは楽しい。
これだけは疑いようがない。
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