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写真に残す意義

昨日、父から電話がありました。

だいぶ前に亡くなった、
母、祖父母の写真を処分したいので、
欲しいものがないか、
確認してほしいとのことでした。

引っ越しのたびに、
毎回たくさんの写真を
持っていくことを考えると、
どこかで処分しなければならない、
という話です。

別に近々、
引っ越す予定ではないのですが、
せっかちな父の性格的には、
そういうことになるのでしょう。

もう60代なので、
いろいろ考えるところが
あるのかもしれません。

翻って、私のことを考えると、
うちには自分たちの
写真が少ないことを
思い出しました。

今は携帯電話に、
カメラが付いているので、
写真をプリントする機会も少ないです。

撮った写真のほとんどが、
デジタルデータとして、
携帯電話などに保存されています。

こう考えると、
便利な世の中になったものですね。

しかしながら、
父のこの話を聞いて、
「どうせ自分もいつかは、
いなくなるんだしなぁ」
という気持ちも出てきてしまいます。

普段から、写真を撮る機会は、
そんなにありませんが、
どんなに思い出を写真に残しても、
それを大事に思うのは、
自分が生きている間だけです。

寂しい考え方かもしれませんが、
うちには子どももいないので、
余計にそう思ってしまいます。

一応、実家には、
一度写真を確認しに行こうと、
思っていますが、
どれを残して、どれを捨てるのか、
という判断は難しい気もします。

でも、たしかに父の言うように、
全部とっておいてもしょうがない、
という気持ちもわかります。

デジタルデータにすれば、
全部とっておくこともできますが、
時間をかけて、そこまですることか、
とも思うのです。

そうしたところで、
そんなのしょっちゅう、
見返すとも思えませんし。

冷たい考え方かもしれませんが、
写真を残すことの意義を
改めて考えさせられる話でした。

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