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雑誌『宝島』『ポパイ』『遊』

久々に雑誌を読んで
雑誌のことを語りたくなった
という記事を書きました。

その続きです。

前回の記事では、
日本の雑誌の
歴史を語るうえで、
外せない三誌として

『宝島』『ポパイ』『遊』を挙げ、

その三誌に影響を与えた
アメリカの雑誌
『ホール・アース・カタログ』を
紹介しました。

今回は、この三誌について
書きましょう。


『宝島』

'73年に晶文社から創刊しました。
(のちに JICC 出版局、
 宝島社と出版元が変わっていく)

当初は『ワンダーランド』
という誌名で、
「評論家・植草甚一」が
「責任編集」を務めました。

(3号目から『宝島』に変更)

この植草甚一氏は、
文学、映画、音楽の評論家で、
雑誌『キネマ旬報』などを通じて、
海外の作品を多く紹介した方です。

私はどこかで、この方の
書斎の写真を見たことが
あるのですが、

狭い部屋の中に、
これでもかというほどに、
本が積み上げられており、
その光景に圧倒されました。

ちなみに『宝島』は、
名義上は植草氏が
「責任編集」という
ことになっていて、

当時としては、
それが一つの売りでも
あったわけですが、

実質的には、
編集に深く携わることはなく、
たまに編集部に顔を出す程度
だったようです。

しかしながら、
創刊当初から『宝島』が
注目を集めるうえで、

「植草甚一」の名は
外せない要素だったのでしょう。

内容はサブカルチャーに
特化したもので、
ドラッグや精神文化にまで
及ぶものでした。

そんな同誌も時代によって、
変化していき、'80年代には、
パンクやニューウェイヴの
音楽やファッションを特集したり、

それらのシーンで活躍する
ミュージシャンも紙面に
登場していきます。

'90年代に入ると、
また内容が変化し、
今度は「アダルト雑誌」へと
変貌を遂げました。

日本の一般雑誌ではじめて
ヘアヌードを掲載したのも、
『宝島』だったんですよね。

'00年代に入ると、
再びリニューアルし、
今度はビジネス誌に変化、

'10年代には、裏社会に着目した
アンダーグラウンドな
雑誌になっていきますが、
'15年に休刊となりました。

『ポパイ』

'76年に平凡出版から創刊しました。
(現・マガジンハウス)

同誌はアメリカのライフスタイルを
日本に紹介した雑誌で、
その後の若者文化をリードしました。

姉妹誌として
『ブルータス』('80)、
『オリーブ』('82~'03)
といった雑誌も創刊、

『ポパイ』『ブルータス』は
現在も続いています。

『遊』

'71年に工作舎より創刊しました。

『宝島』や『ポパイ』は
どちらかというと、
若者のライフスタイルを
提案した雑誌でしたが、

『遊』は、それらと違って、
哲学的なテーマがメインにある
アカデミックな雑誌でした。

芸術、自然科学、
果ては神秘主義まで
非常に幅広い題材を
扱っていたんですよね。

デザイナーとして、
杉浦康平、鈴木一誌、
戸田ツトム、羽良多平吉、
祖父江慎などを起用し、

洗練されたデザイン性の高さも
特徴的でした。

'82年に休刊しました。

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