見出し画像

映像が好きだからこそ、厳しく見る場合もある

前回の記事では
「作り手目線に近づく楽しさ」
と題して、

私がさまざまな映像作品を
観てきた結果、
作り手の目線に近づくことが
できたという話を書きました。

誤解を与えるかもしれない
とも思うので、
引き続き「映像」のことを書きます。

過去に何度も書いていますが、
私は映像にはうるさい方だと思います。

「うるさい」と言っても、
なんでも凝っていればいい
というわけでもなく、

割とスタンダードな形で
編集された映像の魅力も
わかっているつもりです。

スタンリー・キューブリック監督
みたいな凝った映像も好きですし、

『2001年宇宙の旅』
(1968)
『時計じかけのオレンジ』
(1971)

ドラマでいえば
『3年B組金八先生』とか
『北の国から』みたいな
スタンダードな映像も好きです。

『3年B組金八先生
(第2シリーズ)』
(1980-1981)
『北の国から』
(1981-1982)

一方で、私が苦手なのは、
全編にわたって凝りまくりの
映像が延々と続く映画ですね。

特に、MV 出身の若い映像作家に
ありがちなのですが、

肩に力が入り過ぎていて、
映像の凝り方が逆に
作品の邪魔になっている
場合があるんです。

そんな作品に
出くわした場合でも、
私は必ず最後まで付き合いますが、
観ていて疲れてしまうんですね。

いくら私が「映像重視」
といっても、

なんの意図も感じられない
ただのテクニカルな映像は
付き合える長さに限界があります。

MV だったらいいです。

長くても数分程度なので、
凝った映像ばかりで構成しても、
観ていて疲れませんし、

なんだったら、
それが大きな魅力になります。

しかし、MV のような調子で
1、2時間やられたれたら、
たぶん、ついていけるお客さんは
ほぼ皆無でしょう。

つまり、経験の浅い
映像作家の作品は、
独りよがりになる傾向が強いです。

直接、こういった場で、
批判することはありませんが、
(そういうのが好きな人も
 いるかもしれないので)

観客としての私は、
そういう作品に対しては、
厳しいと思います。

例えば、先日紹介した
『1989年のテレビっ子』
志村けんの番組のことが
書かれていました。

『加トちゃんケンちゃん
 ごきげんテレビ』にしろ、

『加トちゃんケンちゃん
ごきげんテレビ』
(1986-1992)

『だいじょうぶだぁ』にしろ、

『志村けんのだいじょうぶだぁ』
(1987-1993)

志村けんの番組では、

1時間の尺の中で
前半にコントを入れ、
後半は別のコーナーを
入れていたんですよね。

これは志村けんの提案だそうで、

「コントだけで1時間
 埋めてしまうと、
 観ている人が持たないから」
という理由があったそうです。

(なので、もっとも視聴者が
 集中して観ることのできる
 前半に本人が観てほしい
 「コント」を入れている)

「テレビ番組」という
メディアの違いも
あるかもしれませんが、

志村けんのこの視点には、
「お客さん目線」が
入っていますよね。

観る人に最良の状態で、
作品を楽しんでほしい
という配慮があります。

一方で、前述したような
凝った映像でほぼ2時間を
埋めてしまう若い映像作家は、
この視点が足りないと思うのです。

もちろん、どんな作品があっても
自由なんですが、

どちらかというと、
「映像重視」で作品を観るような

私でも辟易するような
映像に仕上がって
しまっているわけですから、

それは技術不足と、
(映像の魅力が足りない)
お客さんへの配慮の足りなさから
くるものでしかないと思うんです。

私はそういう作品には
「作家性」を認めません。

未熟であり、
クリエーターとして謙虚さも
欠けているとしか
言えないからです。

もちろん、そういう監督も
キャリアを重ねる中で、
変わっていくことがあるので、

たった一作で、
私は見捨てることはありませんが、
(その監督の作品は観ないとか)

しかし、そういう監督には、
この志村けんの姿勢を
知ってほしいんですよね。

映画界の中には、
個性的な映像を作る監督が
たくさんいますが、

彼らの作品も観ていて
決して疲れるものには
なっていません。

それはそのバランスの調整や
構成のしかたがうまいからです。

そういう部分こそ、
評価されるべきだと
思うんですよね。

私がここで多くの作品を
紹介するのは、
他のお客さんが
見落としていそうな

そういう部分を拾い上げて、
わかりやすく解説する意図が
あります。

私自身も、そういった
プロとアマチュアの中間のような
視点で書かれた評論を読んで、

多くの作品に対して、
目を開いてきたからです。

私もいい歳になってきたので、
少しでもそういう視点をシェアして、

もっと多くの人に
いろんな作品を
楽しんでほしいんですよね。

それが私のような
プロとアマチュアの中間で語る
「ソムリエ」としての
役割だと思います。

なんせ、多くの作り手というのは、
自分の作品の種明かしを
好んではしません。

なぜならば、本来は
企業秘密だからです。

でも、そういう部分が
埋もれてしまっている作品は
多くある気がするんですよね。

そういう作品も
ここで紹介していけたらいいな
と思っています。

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。