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芸術は哲学を探究させる

「芸術性の三要素」について
書いてきました。

誤解のないように、
何度も言いますが、
私なりの解釈です。

芸術性の三要素
・普遍性がある
・言葉で表現できないもの
・哲学的な題材

二つ前の記事、
一つ前の記事で、

「普遍性」
「言葉で表現できない」
という項目について
書いてきました。

最後に「哲学的な題材」
という項目について
書きます。

哲学的な題材

ここ最近の記事では
「芸術性」の反語のように
「娯楽性」と言う言葉を
出してきました。

ここでも「娯楽性」を
引き合いに出すと
話がわかりやすいかも
しれません。

「娯楽性」の高い作品は、
「哲学的」なテーマから
遠い場合が多いです。

「哲学」
人生・世界、事物の根源の
あり方・原理を、
理性によって求めようとする学問。

Oxford Languages

なぜならば、哲学的なこと
というのは、
すごく難しいことで、

一般的には避けたい
話題でしょう。

考えると頭が痛くなる
という人も多いかもしれません。

こういった問題は
簡単に答えが
出るものではないからです。

私たちはネットというものを
手にしてから、

ここのところを
勘違いしがちのような
気がするんですね。

ネットで検索すれば、
あるいは AI に聞けば、
なんでも簡単に答えが
手に入ると思いがちです。

答えがわからないもの、
人によって正解が
異なることについては、
考えたくもない、

そういう人が
多いのではないでしょうか。

なので、そういうものを
排除した作品の方が、
多くの人に親しみやすい
作品になります。

「正解」が簡単にわかる。

結末がはっきりしている。

善悪がはっきりしていて、
最後に悪が滅びる、
みたいな作品の方が
大衆に支持され、

商業的にも成功するので、
そういう作品が
世の中に溢れています。

(やはり、ここでも
 「勝敗」が出てくる)

こういう作品は
「娯楽性」が高いですね。

初心者でもすんなりと
楽しむことができます。

それが悪い
と言っているわけではないですし、
私もそういう作品を
楽しむことがあります。

でも、何か物足りなさを
感じてしまうこともあるのが
正直なところです。

私のように、
何十年もそういう作品に
触れながら育ってきた
人間からすると、

あまりにもそういうものに
慣れ過ぎてしまって、

「もっと深いものを
 感じたい」
と思ってしまうんですね。

欲張りかもしれませんが、
「一時の楽しさ」だけではなく、
一生、心に残る何かが欲しいのです。

そういう欲求を
満たしてくれるのは、
やはり、もっと難しい作品、

「哲学的な題材」を
含んだ芸術性の高い作品です。

例えば、私が最近、
触れた作品の中だと、
やはり『進撃の巨人』が
それに当たりますね。

善悪がはっきりしておらず、
簡単には答えが出ない
奥深いテーマが多分に
含まれた作品でした。

こういう作品に触れると、
「生きる」とは何か、
「人類」とは何か、
と考えざるを得ません。

そして、その答えは
やはり、簡単に出るもの
ではないんですよね。

だからこそ、
こういう作品は
何度も読み返すことに
なるのでしょう。

私は純文学の世界は、
まだあまり知らないので、

これからそういう作品と
出会えるのを
とても楽しみにしています。

「芸術性」について、
書いてきましたが、

最後に「娯楽性」についても
ちょっとだけ
書いておきましょう。

ちなみに、非難するために
書くのではなく、

それぞれの違いを
理解するために
書くだけです。

個人的には
どちらの方向性も
おもしろい世界だと
思っています。

(それぞれの個性の違いが
 またそれぞれの個性を
 引き立てる)

「娯楽性の高い作品」は、
「芸術性の高い作品」と
真逆になります。

再び、私が思う
「芸術性の三要素」を
挙げておきます。

芸術性の三要素
・普遍性がある
・言葉で表現できないもの
・哲学的な題材

これと逆なので、
娯楽性の三要素は、

娯楽性の三要素
・時代性が強く限定的
 (ローカル)
・言葉で表現できる
・わかりやすい

つまり、
今流行っている事象や
一部の人に強く
支持されているものを
題材にして、

言葉でわかりやすく説明し、
難しくない表現をすれば、

案外、多くの人に
受け入れられる作品が
作れるのかもしれません。

パッと思い浮かぶのは、
YouTube の動画ですかね。

わかりやすくて、
何も考えずに楽しめる
コンテンツ、

そういうのが
たくさんありそうです。

もちろん、
そういうものも楽しいですね。

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