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坂本龍一が「売れるポップス」に苦悩した時代(2)マーケティング的失敗

昨日の記事では、
’90年代に坂本龍一が「売れるポップス」に
注力するに至った経緯について、

娘・美雨を経由しての
小室哲哉の影響を挙げました。

前の記事で紹介したように、
ビーイング系の音楽プロデューサーは、
「声の聴きやすさ」
「声の音量」を重視していました。

一方の坂本が
「売れるポップス」を作るために重視したのは、

「ボーカル」
「メロディーの覚えやすさ」でした。

これは小室ファミリーや
ビーイング系アーティストが活躍した
当時の J-POP シーンがカラオケの文化と
密接に絡んでいたことに由来します。

「覚えやすければみんなが歌うだろう」
というのが坂本の着眼点でした。

しかし、ビーイングの話と比較すると、
着眼点は同じでも、
注力した部分の違いがわかります。

ビーイングのプロデューサーが
「声の聴きやすさ」「声の音量」に
意識を傾けたのは、

「歌」を聴いてもらい、
「歌詞の良さ」を知ってもらうためです。

ところが、坂本の打ち出した
「売れるポップス」のために打ち出した
ポイントの中に

「歌」はあっても、
「歌詞」の重要性は
入っていませんでした。

過去に坂本の
インタビュー記事で読んで
個人的に共感した話だったのですが、

彼の楽曲の中では
「歌詞」のウェイトが低いのです。
(代表曲はいずれもインスト)

彼に言わせれば大衆が好む
「共感できる歌詞」というのが、
理解できないのです。
(私もほぼ同感。
 まれに歌詞がいいと思うこともある)

たしか「人の心に土足で入ってくるような感覚」
とまで言っていた気がします。

これは坂本のようなテクノ系出身の
アーティストでは、
珍しいことではありません。

過去に電気グルーヴの
石野卓球も似たようなことを
インタビューで言っていました。

そう考えると、
坂本の打ち出した
「覚えやすいメロディー」というのは、

音楽的には理に適ったアプローチでした。

しかし、これが
大衆に受けることはなかったのです。

そもそも、多くの人は
歌ものの音楽を聴く時に
「音楽」そのものではなく、

「共感できる歌詞」に注目していたのです。

また、「歌もの」に注力したと言っても、
歌っているのが坂本本人という楽曲が多く、
(さらに英語による歌詞も多め)

必然的に大衆受けする楽曲には
なりえませんでした。

▲坂本のポップス路線第一弾(‘94)

私は坂本のボーカルが好きですが、
一般の人が好む歌声ではない
というのはよくわかります。

(ちなみに YMO の細野さん、
 高橋幸宏も坂本のボーカルが
 好きだと言っている)

はっきり言って、
「売れるポップス」を作ることに
腐心していた’90年代の坂本龍一の作品群は、

音楽的な趣向という点では、
贅の限りを尽くした作品
と言っていいです。

(海外の大物ゲストが多く、ヒップホップなど
 当時の最先端の音楽も
 意欲的に取り入れている)

▲坂本のポップス路線第二弾(’95)

実際、私自身も
それらの作品を聴くようになったのは、

いろんなジャンルの音楽を
たくさん聴いてからのことだったのですが、

いわゆる
「マニア受け」する音楽だと思いました。
(それでも坂本のファンの間でも
 それほど人気は高くない気がする)

この頃のアルバムは
坂本の作品群の中では、
売れた方のアルバムだとは思うのですが、

当然のごとく、
商業的には J-POP のヒットチャートを
賑わせるには、程遠い結果となりました。

【‘94~’95年の坂本作品オリコンランキング】
アルバム『sweet revenge』(‘94)最高7位
シングル『二人の果て』(’94)最高50位
アルバム『Smoochy』(‘95)最高28位

まず、この頃の坂本の
ディスコグラフィを見ると、
シングルが非常に少ないですね。
(国内発売は今井美樹をボーカルに据えた
『二人の果て』のみ)

「音楽はアルバムで楽しむもの」
というのは、
やはり音楽マニアの発想です。

はじめて「売れるポップス」に注力した
’90年代の坂本龍一の作品群は、
商業的には坂本の思うような
結果がでませんでした。

誤解のないように言っておきますが、
この2枚のアルバムが音楽的に
素晴らしいのは間違いありません。

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