春馬と過ごした14年(7)2009年~2010年、10代の最後に座長の意識が芽生える
※この記事は、
2020年7月25日に書いた記事に
加筆修正をしたものです。
2019年のラストにはドラマ
『サムライ・ハイスクール』で
主演を務めました。
(2009年10月~12月放送、
日本テレビ)
冴えない高校生の主人公が
先祖の武将の霊が憑依した時だけ
サムライのようになって、
悪者を退治することができる
学園ドラマでした。
本作が放送されていたのは、
日本テレビの土曜日21時の
ドラマ枠です。
このドラマ枠は、
Kinki Kids の堂本剛主演
『金田一少年の事件簿』
(1995~1996)のヒット以降、
旬のアイドルや若手俳優が
主演を務めることが多く、
若年層向けのドラマ枠でした。
(かつては春馬も同枠の
『ごくせん』に出演経験があった)
そんなこともあって、
これまでの春馬の主演作に比べると、
コメディー要素が強く、
少年マンガのような
軽いタッチの作品です。
それまでの作品では、
シリアスな演技が多かった
春馬ですが、
コミカルな演技も
しっかり板に付いています。
先祖の武将が憑依した時の
時代劇的な重厚な演技、
アクションシーンでの見事な殺陣は、
舞台での経験が活かされていますね。
また、その後、
多くの作品で共演し、
親交を深めることになる
盟友・城田優とは初共演でした。
私は本作ではじめて
城田優を知ったのですが、
あんなにがたいがいいのに
(身長190cm)
気弱ないじめられっ子の役
というギャップで印象に残っています。
当時から世間的には
『ブラッディ・マンデイ』の方が
話題作で人気も高かったのですが、
個人的にはコミカルな春馬が
観られる本作も大好きな作品でした。
『ブラッディ・マンデイ』から
そんなに間を置かずに抜擢された
主演ドラマでしたから、
周りには順風満帆にしか
見えない状況でした。
しかし、そんな状況とは裏腹に
当の本人は、本作の収録期間には、
それまでには
感じたことのなかったほどの
不安や疲労感があったそうです。
俳優を辞めて、農業をやろうか
真剣に考えた時期もあったほどでした。
(野菜好きだったので
農業をやろうと思った)
2012年に出演したトーク番組
『本音日和』で、
対談相手だった先輩・寺脇康文に
この当時の心境を告白しています。
▲寺脇康文とは舞台などでも共演
『サムライ・ハイスクール』は、
春馬にとって、
初の主演ドラマではありませんでした。
ところが、それまでの出演作と比べて、
出演シーンがかなり多く、
出ずっぱりの作品だったのです。
確かに『ブラッディ・マンデイ』を
思い返すと、
登場人物が多く、
いろんなところで起こる出来事が
同時進行で、
複雑に絡み合っていく物語なだけに、
主演でも、出ずっぱりの状況では
ありませんでした。
傍目に見れば、
『サムライ・ハイスクール』だって、
素晴らしい演技をしているじゃないか
と思うんですが、
本人は自信も喪失していて、
「周りの役者さんたちばかりが
輝いて見えた」
と言っています。
こういうことってあるんですよね。
周りから見ると、
すべて上手くいっているように見えるのに、
自分では納得できずに
自信を喪失する時が。
こういう時にはいくら本人が
「自信がない」と言っても、
周りには「謙遜しているのだな」
と思われてしまうんです。
このギャップの辛さはよくわかります。
そして、これは俳優に限らず、
若くしてスターになった人の多くが
経験するようです。
(同じようなことを言っていた人を
何人も知っている)
こういった不安定な精神状態は、
売れたことによる
極端なライフスタイルの変化、
極度の忙しさが
引き起こすのかもしれません。
『サムライ・ハイスクール』の後には、
『ブラッディ・マンデイ Season2』が
はじまりました。
(2010年1月~3月放送、TBS)
若手俳優が
2クール連続で主演を務めるのは、
異例のことでもあり、
やはり、傍目には
順風満帆に見えました。
この年の4月に
二十歳になる春馬は、
発表会見でも
「これが10代最後のドラマ。
10代の集大成になるよう
ガツンとぶつけていきたい」
と力強いコメントを残しています。
しかしながら、
まだ精神的に辛い状況は
続いていたようで、
前述した『ホンネ日和』でも
「セリフをまったく覚えずに
現場に行ってしまったことがある」
と告白しています。
その時、監督に
「座長なんだから、しっかりやってくれ」
と叱責されたそうです。
「座長」と言うと、
劇団のイメージが強いですが、
ドラマや映画でも主演を務める人が
座長のような立ち位置で
リーダーシップをとり、
時には場を和ませたりして、
現場の空気を作る
と聞いたことがあります。
(バラエティー番組のホスト役も同じ)
元来、春馬は内気で、
人付き合いが得意ではなかったそうで、
この時にはじめて
「座長」というものを
意識したようです。
それでも、すぐには
上手くいかなかったことでしょう。
『ホンネ日和』でも、当時を振り返って、
みんながいないところで、
悔し涙を流したこともあった
と言っています。