見出し画像

身体に沿うて生きる

本格的に 決める 探す 取り入れる が
面倒くさーーーーっ
ってなってきたなぽぺんです

出発点がね、基本「自分には何か足りない」
だった気がする
唐突だけど。

自分にはなんか足りない。人と違う。
足りないものを埋めなきゃ
足りない何かを探さなきゃ
っていつも「何かを探す」癖がついていた

もうこの時点で「自分と何か」を比較しているんだけど
しょうがない
そういう教育、環境で日々生きてきたからね

点数、成果、順位
これらが全部悪いわけじゃない

どうやっても社会は30点以上とられんなぁ・・
とか
そんな張り切らんでも、走るのはなんとかなるなぁ・・
とか
なんとなく自分が搭載しているエンジンがわかるからね

これをこのまま「あーそっかー」って受容するだけならいいんだけど
「このままではいけない」
「社会でもっと良い点をとらなくては」
「○○ちゃんは算数も社会も100点だった」
「私はダメ人間だ」
という思考回路になると

できないことにフォーカスして
できないことを「できるようになる」ことが
素晴らしいこと 努力の証 自信がつく
だと思う

眠くなるくせに
「自由自在 社会」なんて分厚い参考書を広げて
(今は自由自在ないのか)
案の定眠くなって、寝ちゃって
「あー やっぱり私はダメな人間だ」
「どうしたらダメ人間じゃない人になれるだろう」
とダメなところの根本を探し出す

家庭環境が悪いだの 親がどうとか
人のせいにしてみたり
自分の意志の弱さを嘆いてみたり

「ダメなところ」をなくして「完璧な大人」になろうと
獅子奮迅の努力を 何十年してきたことか・・

今だって同じ年頃で仕事で成功しているとか
めちゃオシャレでグッドルッキングな奥様を見ると

は~~・・すごいな・・

と尊敬するし、憧れる

料理もうまくて、仕事もできて、見目麗しいとか・・・

なんだよ、それ

明らかに搭載エンジンが違う

自分がどんなエンジン積んでるか、なんて
自分でなかなかわからない

そして、そのエンジンが全然自分の理想とは違ったりする

理想・・これもまた幻想

理想の自分になろう!とか どうなのよ?
無責任にあおらないで欲しい

私はこんな年までしょうもなく、できない自分と格闘してきたけど
格闘しないほうが幸せだ、とさすがに気づいた

外の世界と勝手に分離して
勝手に戦って
足りない自分におびえて
生きていけないんじゃないかと震えていた

しかし 私にはすんごいエンジンが搭載されていることに
気づいた
これは私に限らず すべての人に搭載されている

身体 である

人の身体ってすんごいシステムで動いている

奇跡の領域

懐も広い 私の味方で全面的サポーター

身体の言うこと聴くほうが
よっぽどそこらの啓発本読むより有意義

だって一番の私の味方だからね

私を生かそうと日々毎刻働いてくれている
なんと尊い存在

よくねtiktokで人体の中の動きを映像化しているやつを
見るんだけどね
永遠に見ていられるくらい美しい・・
これが私の中にもある・・・

内臓、美しく保存したいなぁ・・
骨、綺麗な配列に機能していただきたいなぁ・・

ブラックペアン2で天城先生も
「心臓は美しい」って言っている

それ以外にも身体は感情も記憶している

昔懐かしい何かを見ると、胸がじわーんとなって当時の暖かいものが蘇る
そして血流が良くなり、身体の力が抜ける

反対に昔あった嫌な出来事を想起する何かに出会うと
血管がキュっと締まって、鼓動が速くなる
その嫌な出来事を経験した時と同じ状態を、身体が再現する

無自覚にその感覚を保有していると
「あいつの顔みるだけでムカつく!」
とか
「どうしてもあの一件だけは許せない!」
とか
なんだかわからんけどムカつく感情をもつことになる

単純に「昔あった嫌な記憶を想起する何か」
をその対象人物か対象事象がもっていたりするだけだったりするんだけど

対象人物に罪はない


そんなわけで身体の記憶にひっぱられて生きてるような私たち

長く生きてると 身体の記憶が満タンになってきて
嫌な記憶とかが消化されずに貯蓄されていくと
病気になったり 頑固になったり するんじゃないかなぁ
って思う

罪悪感が一番手ごわい気がする


話が飛びに飛んだ気もするが

そんなわけで身体の「どうしたい」を優先していくと
「幸せを感じる能力」上がる
自分の一番サポーターの声だからね
聴いていくと 明らかに幸せに生きる道が見えてくる

私の身体が「いらない」ってものをとらないようにする
私の身体が「この記憶持ってると重いんすよね」ってものを消化していく
(記憶をなくすのではなく しっかり感じて 良い形の記憶にかえる)

すると「いらないものだらけ」に囲まれてるのに気づく
それに慣れているから なくすのもちょっと残念に思ったりする

また手放していく作業も 慣れないと面倒くさい・・

しかしこれを続けていくと
自分の発露の出どころが変わってくる

「これをやらなきゃダメになる」という思考を根本エネルギーとして動くか
「これやったらいい感じする」という体感を根本エネルギーとして生きるか

同じことするのでも 全然ちがうじゃない

もうできないことはそのままで
自分を生かそうとする、身体に沿うてやっていこう
正直 自分追い立てるの疲れたし 全然楽しくない

息してるのを味わう
食してるのを味わう
あとは寝る

実はこんだけで全然幸せだったと気づいたのだ











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?