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ニキ・サントス・クルーズ

1.  わたしの手

 わたしの手はよくはたらく。マニラにいたときは鉄くずをひろったり物乞いをしたり食器をあらったり橋の下の家をそうじしたりお金をかぞえたり家族のためにはたらいた。自分のためにも少しだけはたらいた。絵をかいた。字もかいた。でも学校へはかよえなくなった。中学で終わり。
 中学は好きだった。とくに友だちのニコル。かのじょは利口で気がきいて友だちおもいだった。彼女の家は橋の下じゃなかったけどばかにしなかった。すごくあいしょうがよかった。「イシンデンシン」って感じ。勉強もきらいじゃなかった。物乞いしてるより新しい知識をまなぶほうがずっと好きだった。先生もやさしかった。ヘヴィースモーカーのおじいちゃん先生。わたしは成績がいいので高校へ進んだほうがいいといってくれた。お母さんに話してくれた。お母さんは「行かせてあげたいけど……」といった。「でも無理です」。先生は煙草をすいながらしばらく考えていた。でもなにもいわなかった。無理だっていうのはさいしょからわかっていたのだ。でもいってみるだけでもいってみた。きっとそういうことだろう。
 文章をかくのは好きだ。ひろったノートに物語をかいた。でもノートはそんなに落ちてなくて物語はとちゅうで終わった。しゅじんこうの女の子が男の子と恋をするまえに終わった。夜はろうそくのあかりでかいたのに。あのノートはどこへ行ったんだっけ。すてたんだっけ。
 ああ、ちがう。橋の下の家からおいだされたときになくしたんだ。わたしの手はノートをさがした。あちこちさがした。でも見つからなかった。ノートはそんなに落ちてなかった。わたしはしゅじんこうの女の子をしあわせにしてあげたくて紙切れをひろって物語のつづきをかいた。この女の子はしあわせになりました。そのけつまつがかきたかったんだけど文章をよみかえしたらうそっぽくてやぶってすてた。そうかんたんにしあわせにはなれないのだ。女の子がしあわせになるにはいろいろな苦労がある。どっさりある。
でもやっぱりしあわせにしてあげたほうがよかったかもしれない。わたしは物語の女の子にしっとしていたのだ。いまは思う。せめて物語のなかだけでも女の子はしあわせにならないと。
 日本へ来ることをすすめてくれたのはジャスミンさんだった。ジャスミンさんは東京でせいこうして家族に2階建ての家をプレゼントした。すごい。ジャスミンも橋の下でくらしてたのに。ジャスミンのおかげで家族はしあわせになった。ジャスミンさんはわたしたちの英雄だ。「わたしにも家が買えますか?」。「買えるよ。むこうでちゃんと稼いでいい男をつかまえればね」。
 わたしは東京へ行くことをきめた。ジャスミンさんにしょうかいしてもらったダンススクールに通った。費用は東京での稼ぎからひかれる。そのときもわたしの手はよくはたらいた。肌の手入れ。けしょう。いしょう選び。ぜんぶわたしの手がやった。もちろんダンスも。手をひらひらさせて、その手でからだをなでる。「セクシーに。セクシーに」とダンスのこうしはいった。「あなたはやせてるからもっとセクシーに」。わたしはいわれたとおりにやった。セクシーに。セクシーに。もっとセクシーに。
 東京へ行くにはりょひがひつようだった。それもぜんぶ借金だ。お母さんははんたいしなかった。「ごめんね」といった。「お父さんが生きてればね」。でもお父さんが生きていてもわたしは東京へ行っただろう。しあわせになるにはお金がいるのだ。わたしは身にしみてしっている。弟のフランシスが死んだのだってお金がなかったからだ。物乞いから帰ったらフランシスがだるそうにしてた。お母さんが額に手をあてたらすごい熱だった。うちには電気もきてない。冷蔵庫もない。お母さんは冷蔵庫のある家をまわって氷をもらってきた。氷はすぐにとけた。お母さんはずっとぐるぐる氷をもらいにまわってた。高熱はひかなかった。1週間もしないうちにフランシスは苦しんで死んだ。息をひきとるときのふしぎそうな目が忘れられない。きっとふしぎだったのだろう。なぜこんなことになったのか。
 お金さえあれば医者にみせられた。薬も買えた。お金はいのちなのだ。役所はなんのたよりにもならない。国もたすけてくれない。かれらは金持ちの味方だ。わたしたちを橋の下からおいだそうとやっきだった。「おれたちが守るのは金持ちのだんな方さ。貧乏人のことは生きようが死のうが、しったこっちゃない」。くそくらえ!

ニキ①

 東京にきて店がかりてる新宿の1DKのアパートにはいった。はじめてもったじぶんの部屋。なんにもなかったけど少しずつ家具をそろえた。はじめてもらった給料で買ったのは冷蔵庫だ。高かったけどそれはきめてた。東京に行ったらまずしんぴんの冷蔵庫を買うのだ。ぎょうしゃがはこんできて部屋においたとき、フランシスのふしぎそうな目を思い出してわたしはなにかにふくしゅうした気分だった。
 東京でのわたしの手はマニラよりもはたらいた。お酒をつくる。客の太ももにてのひらをおく。わざとらしく見えないようにしぜんに胸をもちあげる。わたしはやせているけど胸はけっこう大きい。ダンススクールのこうしは「武器」になるといった。そのいみはすぐわかった。客の男たちはずっとわたしの胸を見てる。さわりたがる。顔をうずめたがる。わたしはかれらの思うようにさせてやるようにみせて、させてやらない。きょぜつはしない。でもうけいれもしない。店のマスターは「スンドメ」といった。おもうとおりにさせてやると客はもうこない。なんとかしたいとおもってかよいつめる。
 ダンスタイムにはステージのうえでこの胸をたっぷりあじわわせる。でも席にもどったら「スンドメ」だ。おかげでわたしにはけっこう客がついた。すきな客ときらいな客ができた。金払いがよくてしつこくない客はすき。お金もつかわないのにいやらしいことばかりする客はきらい。でもお金をつかわなくてもせいかくのいい客はすき。カンちゃんはそういう客だ。いつもおどおどしてる。ひとがいい。でもアフターにさそうと回転すししかいかない。仕事はなにをしているのかしらない。店ではそういうことはあまり聞いてはいけないのだ。でも金回りがよくないのできっとちいさな会社とか工場とかではたらいているのだろう。
 わたしの手を見てマニキュアをプレゼントしてくれた。赤いマニキュアだ。けっこう高い。みえをはったのかもしれない。でもうれしかった。さっそくこのマニキュアをぬってあげたらカンちゃんはよろこんでいた。「にあうよ」とおどおどしながらいった。「でしょ」とわたしはいった。この夜カンちゃんはずっとニヤニヤしていた。わたしもニヤニヤしていた。ふたりでニヤニヤしていた。
 「上客だよ」とマスターがいった。わたしに指名がはいったのだ。アルマーニのスーツを着たハンサムな若い男だった。赤井といった。さっそくドンペリをいれてくれた。アフターに連れてってくれたのは目のまえでシェフが肉をやいてくれる鉄板焼きの店だった。2、3週間に1回ぐらいきてカンちゃんの1年ぶんぐらいのお金をつかっていった。プラダのさいふとバッグを買ってくれた。「逃がすなよ」とマスターがいった。これはもとめられたら寝ろということだ。じつはわたしはそれまで男の人と寝たけいけんがなかった。さすがのはたらきものの手も男の人のあれにふれたことはなかった。ジャスミンさんの言葉が思いうかんだ。「いい男をつかまえれば親に家がプレゼントできる」。だれだっていつか処女じゃなくなる。わたしはだんだんこころをきめた。わたしの手にはたらいてもらおうと思った。
 でも赤井は店に来なくなった。ぴたっと来なくなった。あれだけ通っていたのに。ほんとにぴたったと。マスターはわたしのせいにしたけどわたしに心当たりはなかった。店の先輩が、「あんまり金回りのいい客は、たまにそういうことがあるんだよ」と教えてくれた。たぶん仕事がうまくいかなくなったのだ。
 それからわたしのおなじみさんはカンちゃんだけになった。かれはあいかわらず通ってくれた。アフターには回転すしに行った。ま、いいかと思った。おなじみさんがひとりもいない子もいる。わたしにはカンちゃんがいるから。
 ある日アフターが終わって回転すしの店を出たとき、「このあとどうする」といった。どうするってかえるんでしょ。もうおそいし。かれは上着のポケットから鍵をだして「部屋とったんだ」といった。わたしにはいみがわからなかった。カンちゃんとそういうことが結びつかなかった。でもおどおどしているかれを見てわかった。カンちゃんも男だったのだ。女はだれだっていつか処女じゃなくなるときがくる。カンちゃんでいいかと思った。「いいよ」とわたしいった。カンちゃんはさきにたって歩き出した。怒っているようにもくもくあるいた。わたしは小走りについていった。
 思ったよりおおきなホテルだった。こんなところに部屋をとるなんてゴージャスだ。カンちゃんはエレベーターにのってわたしもおくれないようにのった。ずいぶん上の階でとまった。カンちゃんがさきに部屋へはいってわたしがはいった。窓からの夜景はとってもきれいだった。観光地の絵はがきみたいに。
 わたしはどうしていいのかわからないのでベッドに腰かけていた。カンちゃんは窓ぎわのテーブルのところでなにかしている。よく見るとちゅうしゃきをだしている。「なにそれ?」。「これやると気持ちがいい」。ドキンとした。わるいクスリだ。ちょっかんでわかった。「いや」とわたしはいった。「そんなちゅうしゃしない」。カンちゃんは上半身はだかになっていてだまってちゅうしゃをよういしていた。「いやよ。わたししない」わたしはくりかえした。
 「だまれ!」カンちゃんがどなった。ちゅうしゃきをもってこっちへきた。目がへんだった。ちがう人みたいだった。こわかった。わたしのうでをにぎってちゅうしゃをしようとした。ふりはらったら頬をぶった。あまりつよくぶたれてわたしはベッドにたおれこんだ。からだがぶるぶるふるえた。なみだがでてきた。にげようとしたらカンちゃんが馬乗りになっておさえつけてすごくなれたかんじでわたしにちゅうしゃした。それからわたしはレイプされた。長いじかんかけてレイプされた。わたしの手がはたらくよちはなかった。

2. 捨てられたテーブル

 日本人はなんでもすてる。このテーブルもゴミおき場にすててあった。こんなゴージャスなテーブルなのに。マニラの橋の下でくらしてたときじぶんのばしょがほしかった。わたしの橋の下の家はひろってきた板切れや材木をくみあわせてつくってあった。窓なんてない。橋が屋根がわりだ。頭の上をトラックが走るとがたがたゆれる。ちいさなころ夜中でもとびおきた。ママと弟とわたしがはいるといっぱいの家だった。橋の下にすんでいるのはわたしの家族だけじゃない。貧しいひとたちがなん家族もすんでた。ふつうの家をかりることのできない人たちだ。みんなじぶんだけのばしょがない。家族がかたまっていっしょにいる。生まれたばかりのこねこが母ねこのおっぱいにぶらさがってあつまってるように。それはそれでたのしいんだけど、大きくなってくるとやっぱりじぶんだけのばしょがほしくなる。こういうテーブルがあればそこがじぶんのばしょになっただろう。ボランティアの人たちの路上図書館でかりた本をよんだりひろったノートに物語をかいたりするばしょ。ゴミおきばでこのテーブルを見つけたときこうふんした。大きさもいい。色もいい。シックだ。ところどころとそうがはげてるけどぜんぜん気にならない。わたしにはもう1DKのアパートがあるけどなにかたりない気がしてた。このテーブルを見たとき数学のせいかいにたどりついた気がした。橋の下の家にくらべると1DKのアパートはひろすぎる。このテーブルくらいがちょうどいいんだ。わたしはおりたたんであるあしを出してみた。4ほんともちゃんとしてた。またあしをたたんでそのままもってかえった。タオルでみずぶきして窓じゃなく壁ぎわにおいた。やっぱりちょうどいい。じぶんのばしょだ。おちつく。ぼーっとしててもいいし考えごとをしてもいい。生活ひのけいさんもできるし本もよめる。もしかしたらまた物語をかくかもしれない。「じぶんのばしょ」とこえに出しみた。じぶんのばしょ――すごくいいかんじだ。
 わたしがじぶんのばしょをもてなかったのは貧しかったからだ。わたしが生まれたから貧しくなったんじゃない。ママはこどものころから貧しかった。ほかのこどもと遊んだきおくがないそうだ。おもちゃはひとつもなかった。はたらいてばかりいた。野菜をいれた竹かごをあたまにのせて村じゅうを売ってあるいた。家では水くみやそうじ。13のとき親せきをたよってマニラに出てきた。都会ならいい仕事があるかもしれないとおもったからだ。ベビーシッターをしたり家政婦をしたりお金になることはなんでもした。村で野菜を売ってたときよりましだった。ほんとは夜学へいきたかったけど生きてくのがたいへんでいけなかった。1日じゅうはたらいて夜はねむくてしかたなかった。それでママは字の読み書きができない。英語はぜんぜん話せない。それで人にだまされたりずいぶんくやしいおもいをしたらしい。だからわたしを中学までかよわせてくれた。
 ママは17で村を出て結婚した。となりまちのジョセフっていう若者。すぐ2人のこどもが生まれた。そのうちの1人がわたしでもう1人が弟のフランシスだ。ジョセフはわがままな人だった。電球をつくる工場ではたらいていたけどお金を家にいれないでぜんぶのんじゃう。だから言いあらそいがたえなかった。ジョセフはママに言いまかされるとぼうりょくをふるった。こどもまでなぐる。それでママは離婚しておばあちゃんのいる村にかえった。おばあちゃんは農場で働いていたので口をきいてもらってママもいっしょに働いた。2人のこどもをそだてながら働くのはたいへんだったけど貧しい人たちはみんなそうしている。こそだては楽しかったそうだ。わたしはしゃべるのがはやかったからおもしろかったらしい。3さいの女の子とせけんばなしするのはおもしろかったらしい。「ニキはテレビのアナウンサーになるかもね」とママはいった。そのころわたしはテレビを見たことがなかったし、まだ3さいだったのでいみがわからなかった。でもそのことばはきおくに残っている。わたしが5さいのときママはまた結婚した。こんどはジョン。おなじ村で育った若者だ。ジョンも1かい離婚していた。ジョンはマニラに出ようといった。それから橋の下でのくらしがはじまった。ジョンは兄さんのカルロの家にころがりこんだ。カルロはわたしからみればおじさんだ。
 橋の下の家であかんぼうが生まれた。モニカだ。でも生まれて2カ月めにひどい熱が出て死んだ。そのあとまたあかんぼうが生まれた。ジェーンだ。ジョンはおおよろこびだった。ママもよろこんだ。2人のおとながよろこんでいるのを見てわたしとフランシスもウキウキした。でも橋の下の家はいっぱいだった。カルロおじさんんの家族。ジョンとママ。わたしとフランシス。ジェーン。寝るときはそれぞれの家族がかさなりあって寝た。家族がふえるのはうれしいけど家はせまい。ジョンはじぶんの家をつくることにした。カルロおじさんがてつだってくれてトタンや板切れや古い材木で1日でつくった。わたしとフランシスはじぶんたちの家ができてはしゃいだ。でもやっぱり寝るときは家族がかさなりあって寝た。
 小学校にはいったときはうれしかった。教科書は古かったけどえんぴつとノートはジョンが新しいのを買ってくれた。かばんも買ってくれた。そのころからわたしはジョンのことをパパってよぶようになった。それまでは「ジョンおじさん」とよんでた。パパってよばれてジョンはてれてた。かわいかった。ある日、小学校からかえったら橋の上の大通りがごったがえしてた。大人たちが物乞いをしていたじぶんのこどもの手をひいてつれかえろうとしてる。「いまさっき、マイカが車にはねられたんだよ」とママがいった。橋の下の家の子だ。サンパガギータの花輪を売ってたらしい。大人たちが車をおいかけてナンバープレートをたしかめようとしたけど車はにげていった。見ると路上図書館の準備でやってきたボランティアの男の人が血まみれのマイカをだいて立ってる。橋の下からマイカのパパとママがとびだしてきた。パパが「びょういん、びょういん」とさけんでママはひめいをあげてる。まだ大通りにのこっているこどもたちに橋の下のおじさんがよっぱらっていいきかせてた。「いいか。橋をわたるときは気をつけろ。事故にあっても貧乏人は病院へいけない。棺桶だってただじゃない」。貧しいものは死んでもくろうする。

ニキ④

 ママが路上図書館のボランティアの女の人にこえをかけた。
「きょうはここで路上図書館やらないほうがいい。やるならこっちで」
 ママはボランティアの女の人を近くの家にあんないした。そこには庭があった。ママはそこの人にじじょうを話して庭のせんたくものをかたづけて路上図書館のばしょをつくった。大通りのさわぎがおさまるとこどもたちがあつまってきた。ボランティアの女の人は物語をよみきかせてくれた。そのあとお絵かきをしたり歌をうたったり。だんだんみんな事故のことはわすれていった。そうめずらしくないことなのだ。
 橋の下にもどると死んだ女の子の棺桶がおいてあった。あの棺桶のなかにいるのがあの女の子でわたしではないことがふしぎだった。そうだ。わたしがあそこにはいっててもおかしくない。なんでわたしでなくてあの子なんだろう。こたえは出なかった。こどもにわかることじゃないんだ。もう少し大きくなったらわかるかもしれないと思った。わたしは考えるのをやめた。ジョンはどこからか花をもってきて棺桶のうえにおいた。そういう人だった。はたらきものでやさしい。朝から晩まで手押し車をおしてはたらいた。はたらきすぎて心臓まひで死んだ。ママはわたしとフランシスとジェーンを1人でそだてることになった。ジョンのそうしきが終わったらジェーンがひどい熱をだした。ママはモニカを死なせてるから狂ったみたいになった。病院へいくお金はない。ジェーンをだいて大通りにでて「たすけて、たすけて」とさけんだ。そしたらジョンとなかのよかったポールが車で病院へつれてってくれた。病院だいもはらってくれた。ジェーンはたすかった。
 このことがあってママはポールと結婚した。3度目。ポールは17のときふりょうのトラブルにまきこまれて人を殺してけいむしょにはいってた。ほんとは殺したのはいっしょにいた親友でかれが国外ではたらくことになってたから罪をかぶったらしい。無期懲役になったけど大統領夫人のたんじょうびのおんしゃで出られた。でもやとってくれるところがなかったからじぶんでリサイクル材を売る仕事をしてた。ママと結婚してからはもっとはたらくようになった。大通りでキャンディーやタバコやパンケーキや茹でたピーナッツを売った。それからロウェナが生まれた。わたしは4人きょうだいの長女になった。
 突然、ポールが死んだ。殺されたのだ。死体は野原にすてられてくさりかけてた。けいさつはほとんどとりあってくれなかった。なにかトラブルにまきこまれたかまえに殺した相手のなかまにふくしゅうされたか。どっちにしても捜査はしてくれなかった。ママのおなかにはポールのこどもがいた。「わたしはついてない」とママはつぶやいた。たしかに誰だってそう思うだろう。でもママは生きようとした。強いとか弱いとかそういう問題じゃない。とにかく生きようとしたのだ。
 テーブルをひろってきれいにみがいてわたしは新宿の紀伊国屋書店へいった。そこで『アラバマ物語』の英語のペーパーバックを買った。この本は中学のおじいちゃん先生がわたしにくれたものだ。高校へいけないとわかったとき記念にくれた。学校へいけなくても本はよめる。本をよんで英語がしゃべれたらいろんなことが学べる。そういった。大切にしてたんだけど橋の下をおいだされたときなくしてしまった。この本はわたしのきぼうだった。だからじぶんのばしょをつくって最初に買った。かえりみちスタバでカプチーノも買った。テーブルにむかってあんきするほどよんだ『アラバマ物語』のページをひらいてよんでるうちにどうしてだか涙がながれてとまらなくなった。わたしは泣いた。ひからびるほど泣いた。カプチーノはすっかりさめてあじけなかった。なんばいも水をのんだ。
 サンパガギータの花輪を売っていて車にはねられて死んだのが、なぜあの子だったのかいまもわからない。

3. 小さな犬のぬいぐるみ

 ぼくがたかいねつを出したときママは氷をもらうのに近所をはしりまわった。からだがだるくておもくてどうしようもない。ひたいを氷でひやしてもらうとすっとした。でもすぐにとけた。なんかいひやしてもらったかおぼえてない。なん日ねつを出したかおぼえてない。ママはしってるかぎりのひとからお金をかりて病院へつれてってくれた。そこのベッドでふっとからだがかるくなっていきをはくとママが「フランシス」と大声でよんだ。ぼくは死んだのだ。
 橋の下にすんでる人たちは死ぬとかそうするお金がないのでうめられる。ぼくも夜にこっそりうめられた。そのまえお姉ちゃんはぼくの髪をきってかたみにした。橋の下のいえにかえってひろってきたちいさな犬のぬいぐるみに髪をいれた。それにひもをつけていつも首からさげてた。東京へいくときももってった。いまは首からさげることはなくなったけど部屋においてある。
 お姉ちゃんはぼくのことをいいあいぼうだっていった。としがひとつしかちがわないのでいつもいっしょに遊んだ。いちばんよくおぼえてるのはヒミツをあつめたことだ。これはお姉ちゃんがいい出した。「フランシス、ヒミツある?」。「なに、ヒミツって」。「人にいえないことだよ」。ぼくはかんがえた。ママにもお姉ちゃんにもいえないことってあるだろうか。なかった。2人にはなんでもいえる。「ない」。ぼくがいうと「こどもね」とお姉ちゃんはいった。ヒミツをもつと大人になるんだとお姉ちゃんはいった。「お姉ちゃんはヒミツあるの?」。「あるよ」。「どんな?」。「ばかね、いえないからヒミツなんじゃない」。それからちいさなこえで「ヒミツ、あつめようか」っていった。「だれのヒミツ?」。「まちじゅうの人の」。「どうやって? だってはなしてくれないでしょ、ヒミツなんだから」。お姉ちゃんはすこしかんがえて「だからおもしろいんじゃない。人にはなせないヒミツをさぐってあつめるのよ」。「どうやってさぐるの?」。お姉ちゃんはまたすこしかんがえて「まずはなかよくなることね。そうしてヒミツをはなすようにしむけるのよ」。
 ぼくらは橋の下のこどもたちからはじめた。まずぼくらとなかのいいとしうえのノエル。すこしいっしょに遊んで「ヒミツある?」ってきいた。「あるよ」。「どんな?」。ノエルはあっさりこたえた。「パパのだいじにしてた腕時計なくしたの、おれなんだ」。「それパパしってる?」。「しらないよ。わかったら殺される」。それからノエルはぼくらに「ヒミツだぞ。ばれたらおまえらのせいだからな」。ノエルとわかれてからぼくらははなしあった。「ノエル、かんたんにヒミツばらしたね」。「こたえはふたつね」ってお姉ちゃんはいった。「ノエルがばかなのか、あたしたちがすんごくしんようされてるか」。ノエルはばかじゃない。だからぼくらがすんごくしんようされてることにした。「お姉ちゃん」とぼくはいった。「お姉ちゃんがぼくにヒミツおしえてくれないのはしんようしてないからなの?」。お姉ちゃんはこまったようなかおをした。そしていった。「そこまではしんようしてないかも。だってフランシスはママになんでもはなすでしょ」。「おしえてくれたらはなさない」。「ぜったい?」。「ぜったい」。「いいよ。おしえてあげる」。お姉ちゃんはふーっと息をはいて、あたしエリックのことすきなんだっていった。エリックは橋の下のこどもでちゅうがくにかよってるおとこのこだ。ぼくらとはあまりなかよくない。「ふーん」とぼくがいうとお姉ちゃんはがしっとぼくのりょううでをつかんで「だれにもいっちゃだめよ、いったらた殺すよ」」っていった。「いわない」。ぼくはやくそくをした。
 そんなふうにぼくらはヒミツをあつめた。ぼくみたいにヒミツをもってないこどももいた。でもお姉ちゃんがいうようにおとなはたいていヒミツをもってた。そしてたいていおしえてくれなかった。おしえてくれたひとはたぶんほんとはヒミツのうちにはいらないヒミツだったとおもう。
 ぼくらがあつめたヒミツのうちでとっておきのやつはミゲルじいさんのヒミツだ。ミゲルじいさんはいつもリサール公園にいる。木にもたれてじべたにすわって缶ビールをのみながらけいたいラジオをきいてる。あめのひいがいはいつも。だからしらないひとはいない。でもだれかとはなしてるのは見たことがない。ミゲルじいさんはリサール公園のどうぞうみたいなものだ。いつもそこにあるからひとはきにかけない。でもぼくらはちがった。「ねえ」とお姉ちゃんはこえをかけた。「ここにすわってもいい?」。ミゲルじいさんはぼくらをじっと見て「いいとも」っていった。「いいお天気ね」とお姉ちゃんはいった。ミゲルじいさんは缶ビールをひとくちのんで「ああ、いい天気だ」とわらいながらいった。それからすこしいろいろなはなしをしてお姉ちゃんは「あのさ、ききたいことがあるんだけど」っていった。ミゲルじいさんはタバコをすって目をほそめた。「なんだい?」。「あのさ、おじいさんはヒミツある?」。ミゲルじいさんは目をほそめたまま白いけむりをはきだして「あるよ。とっておきのヒミツ」とこえをひそめた。「なに?」。ミゲルじいさんはまわりにひとがいないことをたしかめて「このラジオは死人のこえをきくことができる」っていった。すごい。ぼくはどきどきした。
 ミゲルじいさんはひとさしゆびをたてた。「いま流れてるのはエルビスのうただ。やつはとっくに死んでる」。「はん」てお姉ちゃんはいった。「ばかにしないで。それはレコードでしょ」。ミゲルじいさんはタバコの灰をおとして「いまのはためしてみたのさ」っていった。「おじょうちゃんたちがちゃんとヒミツをうけとめる頭をもってるかどうか」。「じゃ、わかったでしょ」ってお姉ちゃんはいった。「あたしたちはばかじゃない」。「そうらしい」ってミゲルじいさんはいった。「おしえて、ヒミツ」。「だからいっただろ。このラジオは死人のこえをきくことができるんだ」。「だからあ、それはレコード……」。ミゲルじいさんはまたひとさし指をたてて「ほんとなんだよ。ほんとに死人のこえをきくことができるんだ」。ぼくらはだまった。すこしたってお姉ちゃんがいった。「きかせて」。ミゲルじいさんは首をふった。「いまはだめだ」。「どうして? うそだから?」。「ちがう。ほんとだ。でも満月の夜じゃないとだめなんだ」。ミゲルじいさんはまじめなかおをしていった。ぼくとお姉ちゃんはかおを見あわせた。「じゃ、こんど満月の夜にくる」ってお姉ちゃんがいった。「いいとも。こんどの満月の夜だ。おれはいつでもここにいる。おじょうちゃんたちがきたら死人のこえをきかせてやろう」。「だれのこえでもきけるの?」。「こえをききたい人がいるんだね」。お姉ちゃんはうなずいた。「やってみよう」。「じゃ、こんどの満月の夜ね」。「ああ」。

ニキ②

 ぼくは満月の夜がまちどおしかった。まいにちママに「きょうは満月?」ときいた。ママはまいにち首をふったけど、ある日、「あとみっつねたらね」といった。ひとつ。ふたつ。みっつ。そして満月の夜がきた。ぼくとお姉ちゃんはみんながねむってからこっそり家をぬけだした。リサール公園へいくといつもの木にもたれてミゲルじいさんがラジオをきいてた。ちかくにがいとうがあるのであかるい。ミゲルじいさんの影がながくのびてる。へんないきものみたいだ。「きたわよ」とお姉ちゃんがいった。「こんやは満月だよね」。ミゲルじいさんはうなずいた。「だれの声をききたい?」。「おばあちゃん」とお姉ちゃんがいった。「イザベルっていうの」。「かわいがってくれたのかい?」。お姉ちゃんは首をふった。「あったことないの。あたしが生まれたときにはもう死んでたから」。ミゲルじいさんはそうかとつぶやいた。「だから声はわからないの。それでもきける?」。「やってみよう」とミゲルじいさんはいってそれからひそひそごえで、おれは死人とはなせるんだっていった。ミゲルじいさんは木のねっこにおいてあるラジオをもちあげてチューナーをまわした。ざざーざざーっていうおとがした。ざざーざざー。ざざーざざー。やがてチューナーをとめてひとさし指をたてた。ざざっーていうおとのあいだにちいさなおんなのひとの声がきこえる。  「これだ」とミゲルじいさんはささやいた。ぼくらにはなにをいってるのかわからない。お姉ちゃんはラジオに耳をちかづけた。
 「なんていってるの?」。ミゲルじいさんは目をとじたまま「よくきてくれたね」っていった。「ふたりともおおきくなって」。「ちょっとまって」とお姉ちゃんはいった。「あたしが生まれたときには死んでたのよ。どうしておおきくなったってわかるの?」。ミゲルじいさんは目をあいた。「死人はちゃんとみてる。わかるんだよ」。「じゃあたしがきょうなにしてたかわかる?」。「きいてみよう」。ミゲルじいさんは目をとじて耳をすませた。うんうんとうなずいた。「ママのてつだいをしてたね」。お姉ちゃんは目をぱちぱちとした。「なんでわかるの?」。「いったろ? 死人はちゃんとみてる。わかるんだ」。「ふーん」とお姉ちゃんはかんしんしたようにいった。
 その夜はイザベルおばあちゃんといろんなことをはなした。おばあちゃんはぼくとお姉ちゃんのことをきにかけてずっとみまもってくれてたことがわかった。ミゲルじいさんがいった。「さあ、こんやはこのぐらいにしよう。よがあけちまう」。「つぎの満月の夜もきていい?」お姉ちゃんがいった。「いいとも。おれはいつもここにいる」。それからぼくらは満月の夜になるとこっそり家をぬけだしてリサール公園へいった。ママたちはひるまはたらいてつかれてるから、いちどねむったらおきなかった。ひるまママにきいてみた。「イザベルおばあちゃんはどんなひとだった」。「やさしいひとだったよ」とママはいった。そのとおりだ。リサール公園ではなしをするおばあちゃんはいつもやさしい。ぼくはうれしかった。おばあちゃんができたのだ。でもきゅうにあえなくなった。ミゲルじいさんがリサール公園からいなくなったのだ。満月の夜にいったときいつもの木のところにいなかった。公園じゅうをさがしたけどいなかった。つぎの日のひるまにもいなかった。つぎの日もつぎの日もいなかった。ミゲルじいさんはきゅうにいなくなった。でもぼくらのほかにそれをきにかけてるひとはいないみたいだった。リサール公園にはリサールのどうぞうが立ってて、ベンチにはかっぷるがすわってて、はとがあるいてた。「びょうきになったのかもね」とつまらなそうにお姉ちゃんはいった。「死んじゃったのかも」。
 ミゲルじいさんはどこへいったんだろう。ぼくはお姉ちゃんにはなしたいことがたくさんある。 

4. パンケーキ

 このカフェはきつえんルームがあるのでよく利用する。きょうは店の女のこたちとパンケーキをたべにきた。これがランチだ。アンナはフルーツパンケーキをたのんだ。ミッシェルとわたしはリコッタパンケーキをたのんだ。パンケーキがくるまでわたしたちはたばこをすいながらはなした。「ねこをひろったのよ」とわたしがいった。「うちらのアパート、ねこかえたっけ?」とアンナがいった。「かえない」とわたし。「だから外でかってる」。「外って?」ミッシェルがきいた。「朝と夜、ほら、自転車おきばあるでしょ、あそこで名前をよぶと、やってくるの」。「そういうの、かってるっていうの」アンナが笑った。「えさ、やってるだけでしょ」。「いつから」ミッシェルがきいた。「1しゅうかん……10日ぐらいになるかな」。「ぜんぜんしらなかった」とアンナがいった。「ヒミツにしてるから」。「どうして?」ミッシェルがきいた。わたしは笑ってこたえなかった。タバコのけむりをふーっとはいた。そのうちパンケーキがきた。わたしたちはタバコをけして食べた。
 「あの男、こなくなったね」とアンナがいった。「やっぱりジゴロだったのよ」。カンちゃんのことだ。カンちゃんはあれからもお店にやってきた。やっぱりおどおどしながらアフターに誘うのだけれど、わたしはきっぱり断った。そういうことがなんどかあってこなくなった。アンナにちゅうしゃのことを話すと、「それ、ジゴロの手口だよ」といった。「シャブづけにして離れられなくさせて、お金を巻きあげるの」。カンちゃんとジゴロは結びつかなかったけど、どっちにしてもわたしはもう手をきると決めていた。たぶんあのちゅうしゃはシャブなのだろう。ほんとをいうとものすごく気持ちよかった。からだじゅうの神経がものすごくするどくなってちょっとふれられただけで、しぜんと声がでる。カンちゃんがはいってきたときは痛かったけど、痛いのさえ気持ちよかった。ぜんしんがかいらくのかたまりになったような感覚だった。レイプされているくつじょくとものすごいかいらくがまじりあって、わたしのこころはよろこび狂っていた。でもカンちゃんがジゴロだとしたら、シャブやそんな男とかかわりあっているよゆうはない。わたしは家族をやしなわなければいけないのだ。それには稼がないといけない。わたしたちの稼ぎはすくない。まちがいなくさくしゅされている。わたしのすいそくではお店のとりぶんが70%、わたしたちのとりぶんは30%だ。でももんくはいえない。ダンススクールの受講料もフィリピンからのひこうきのチケット代も、ぜんぶお店がはらっている。「ぜんぶ店持ちだぞ」とオーナーはいう。「わたしは君たちにチャンスをあたえてるんだ。それをものにするかどうかは君たちしだいだ」。
 カフェを出てわたしたちは映画をみにいった。ハリウッドのれんあい映画とアクション映画を2ほんみた。ゆうごはんにラーメンを食べてアパートへかえった。部屋では本をよんだ。夜になってキャットフードをおさらにいれてミルクのパックをもって外へでた。自転車おきばでねこをよんだ。「フランシス、ごはんよ。フランシス」。すこしするとアパートのたてもののうらから黒いちいさな影があらわれた。ゆっくりわたしのほうへあるいてくる。白と黒のぶちのちいさなねこ。フランシスだ。わたしはおさらをじめんにおいた。フランシスはいつものようにキャットフードを食べてミルクをのんだ。それからしばらくわたしたちはいちゃいちゃした。フランシスの頭やのどやせなかをなでてやって、フランシスはわたしの手をなめた。
 フランシスはまだこどもだ。母親からすてられたのかまいごになったのか。10日ぐらい前、お店からかえってきたらまるでわたしをまってたみたいに、ここにすわってた。わたしが、「どうしたの?」ときいたらじっとみあげてた。おなかがすいているのかもしれないとおもってアパートの部屋からおさらにいれたミルクをもってきたらぜんぶのんだ。ほんとは部屋につれていきたかったけどペットはかっちゃいけないので、「おなかがすいたら、またおいで」と頭をなでてわかれた。ふりかえってみるとおなじところにすわってた。わたしは胸がきゅんとなった。

ニキ③

 つぎの日の夜、お店がおわってアパートへかえったとき、こねこのすがたはなかった。わたしはおもいついて、「フランシス」とよんでみた。「フランシス、おなかすいてない? ミルクあげるよ」。そうしたらアパートのたてもののうらからあらわれたのだ。わたしはいそいでおさらにミルクをいれてもってきた。こねこはぜんぶのんだ。「フランシス」とわたしは頭をなでた。「ここでまってられる? キャットフードかってくるから」。私はいそいできんじょのコンビニへいった。もどってみるとフランシスはまだすわってた。わたしはおさらにキャットフードをいれてやった。フランシスはがつがつ食べた。よほどおなかがすいてたのだろう。なん日も食べてなかったのかもしれない。せなかをなでてやりながらかわいそうになった。「あしたの朝もおいで。ここで待ってるから」。つぎの日の朝、ふだんはおそくまでねてるけど、はやめにおきておさらにキャットフードをいれて自転車おきばにきた。「フランシス」とよんだ。「朝ごはんよ。フランシス」。するとやっぱりアパートのたてもののうらからあらわれた。どこでねてるんだろう。隠れ家があるのかもしれない。その日からフランシスはわたしのねこになった。
 わたしは早おきになった。10時には自転車おきばでフランシスに朝ごはんをあげる。夜はお店がおわってからだから1時だ。フランシスはまいにちあらわれた。頭のいいねこだ。どこか隠れ家にかくれていてそれかあちこち街をうろついていて、時間になるとやってくる。わたしがはなしかけるとじっときいてる。にんげんのことばがわかるみたいだ。
わたしはアンナやミッシェルよりもフランシスとはなしをした。フランシスはおなかがいっぱいになってもわたしがはなしているあいだはすわってた。そしてわたしがまんぞくするころ隠れ家へかえっていった。ほんとに頭のいいねこだ。
 フランシスと出会ってから1ねんいじょうたって、お店からかえって晩ごはんをあげようと思って、「フランシス」とよんだ。フランシスはなかなかこなかった。わたしはちょっとふあんになった。「フランシス」ともういちどよんだ。するとアパートのたてもののうらから大きな灰いろのねこがあらわれた。フランシスじゃない。フランシスはどうしたんだろう? 「フランシス」わたしはまたよんだ。すると灰いろのねこのうしろからフランシスがやってきた。フランシスの母親だろうか。わたしはキャットフードのはいったおさらをじめんにおいた。灰いろのねこはとうぜんのように食べはじめた。フランシスはよこからすこしずつ食べた。フランシスがすこしおさらに顔をつっこむと灰いろのねこはじゃまをした。フランシスはおびえたように顔をあげた。なかなかキャットフードを食べられなかった。けっきょくほとんど灰いろのねこが食べてしまった。いちぶしじゅうをみていてわたしは2ひきの関係がわかった。おおきな灰いろのねこものらなのだ。たぶんねこにはなわばりがあって、灰いろのねこはほかのところにいたのだ。ここはフランシスが見つけたなわばりだった。そこへ食いつめた灰いろのねこがわりこんできたのだ。わたしはからになったおさらをもって、さらをふりあげて灰いろのねこをおいはらった。ひとのなわばりをうばおうなんてゆるせない。しかもこんなこねこの。そいつはわたしのことをにらむようにしてからすばしっこくはしりさった。
 朝になって自転車おきばにくると、よびもしないのに灰いろのねこがすわっていた。「フランシス」とわたしはよんだ。「朝ごはんよ」。なんどよんでもフランシスはあらわれなかった。灰いろのねこがおいはらったのかもしれない。灰いろのねこはわたしがおさらをおくのをまってた。このねこも生きるために必死なのだ。わたしはじめんにおさらをおいた。「こんどだけよ。つぎはないからね」。灰いろのねこはがつがつ食べた。それからフランシスはすがたを見せなくなった。朝ごはんも晩ごはんも灰いろのねこのえさになった。フランシスはなわばりをおいはらわれてよそへいったのだろうか。わたしをおいて。でもわたしはキャットフードをもってくるたびにフランシスをよんだ。4、5日目の夜、灰いろのねこがキャットフードのはいったおさらに顔をつっこんでいるところへ、フランシスがあらわれた。「フランシス!」とわたしは声をかけた。「かえってきたのね!」。すると灰いろのねこが顔をあげて、ふーっとうなり声をあげた。フランシスはびくっとして足をとめた。うーっと灰いろのねこがうなる。フランシスが動きをとめると灰いろのねこはまたおさらに顔をつっこんだ。フランシスが足をすすめる。ふわぁーっと声をあげて灰いろのねこはフランシスにとびかかった。わたしはいっしゅんはいていたサンダルをもって灰いろのねこをなぐろうとしたけれど、やめた。ここはフランシスがたたかうべきなのだ。生きるためのたたかいなのだ。
 2ひきはにんげんのあかんぼうの泣き声みたいなすごい声をあげてぐるぐるからまりあって、たたかった。わたしのこころはふしぎなことにしんとしずまっていた。ここで灰いろのねこにやられるようならフランシスはいつか死ぬだろう。それがしぜんなのだ。生きるということなのだ。灰いろのねこはフランシスにのしかかって腹をかんだ。フランシスは声にならない声をあげた。そして前あしで灰いろのねこの目をついた。灰いろのねこはぴょんとうしろへとんでぐるぐるまわった。そしてうずくまって前あしでしきりに目をこすった。たぶん目が見えなくなったのだ。フランシスはたおれたままだった。わたしはフランシスをだきあげた。腹から血がでていた。ひふがやぶれてないぞうみたいなぬるぬるしたなにかがみえている。わたしはデニムのポケットからスマホをだして夜もやっている動物びょういんをしらべてタクシーをよんだ。ぐったりしているフランシスの腹をタオルでおおって、「がんばったね。がんばったね」と声をかけてやった。フランシスはわたしの手をなめた。
 灰いろのねこのきばはフランシスの腸を傷つけていた。動物びょういんではきんきゅう手術をした。いしゃは、「こんやがやまですね」といった。フランシスはベッドにのせられてますいで眠ってた。わたしは朝までつきそうことにした。ほうたいを巻かれたフランシスの頭をずっとなでてた。その日もお店はいそがしかったのでつかれてた。いつかうとうとしてた。そのときわたしはゆめを見た。リサール公園でミゲルじいさんと会ってた。わたしはフランシスとはなしがしたいといった。ミゲルじいさんは、「やってみよう」といってラジオのチューナーをまわした。ひとさし指をたてて、「はなして」といった。「フランシス、あたしよ。わかる?」。ざざーざざーという音のあいだからこどもの声がきこえた。なんといっているのかよくわからない。わたしはラジオに耳をちかづけた。「……」。分からない。「なに? なんていったの?」。
「お姉ちゃん」
 はっきりと耳元でフランシスの声がきこえた。はっと目がさめた。
「フランシス?」
わたしはまわりを見まわした。目の前には腹にほうたいを巻いたフランシスがよこたわっていた。朝になっていた。いしゃがやってきた。フランシスのようだいを見て、「だいじょうぶみたいですね」といった。フランシスはたすかった。
 わたしはフランシスをだいてタクシーでかえった。アパートにつくと空はどんよりくもっていた。フランシスはまだねむっていた。すーすーというねいきがかわいらしかった。

(完)

参考文献:『橋の下のゴールド スラムに生きるということ』(マリリン・グディエレス著、泉康夫訳、高文研)


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