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私たちは近づき過ぎると傷つけ合うヤマアラシ

スマホから投稿したのでかなり誤字脱字があり修正しました(9/17)。仕事では徹底的に校正しているため、プライベート&無料の記事では力を抜いております。いつも緊張し続けることがないようにするため(自分を守るため)です。また、あえて、敬体と常体を混ぜたりもしています。

距離が大切だ。
なにごとも。

人との距離はもちろん
自分自身との距離さえも。

心が病んでいるとき
私たちは
【ジブン】に入り込み過ぎている。

自分のことばかり考えて
逆に、自分が見えていない。

2,000人以上にインタビューをしてきて
わかったことがたくさんある。

今日の話題について2点挙げると
専門家だからこそ見えていないことがある
ということ。

そして、
人は自分が話したことを覚えていない
ということ。

録音している音源を聞いて
言葉を起こした原稿を校正チェックに回すと
「僕はこんなこと言ってません」
と言われることは意外にある。

一言一句、そのままのときさえ
そう言われることがある。

こちらには「音源」という証拠があるが
それはもちろん突きつけることはしないし
「そうなんですね」と流す。

意外に人間って
考えながらしゃべるときに
思わぬ言葉を使っているものだ。
考えていることと
話していることは別なのだ。

ときには
真逆のことを話して
いるときさえある。

たとえば
「雨が降ってきたときに
 傘をささずに歩くのが嫌いなんです」
と言った人が
「雨が降ったときに
 傘をささずに歩くのが好きなんです」
と言ってるつもりだった。

……なんてことがたくさんある。

おそらく本人は
「雨が降るとき、すぐさま傘をさすような、守りに入る人生が嫌いなんです」
なんていう意味のことが
言いたかったのかもしれない。

頭のなかで文章を組み立てるとき
否定の言葉をどこに入れるか
どこを強調させるべきか
話しながら迷うことがあるものだ。

そうした、「言ってるつもり」は
人生にはたくさんある。


近いからこそ見えない

それだけじゃなくて
周囲からしか見えない自分
というものが
必ずある。

言動はもちらんのこと、
実際に、自分の背中、うなじ、後頭部
自分の内臓、見た目の雰囲気
たくさん知らないことがある。

だから
自分のことは
一番自分が知っている

なんてことは絶対にない。

だから、人に指摘されたとき
「それは私じゃない」と
誤解を解くことも大切だけど
そう見られるんだなと
受け止めることも
同じだけ大切なんだと思う。

誤解は悲しいけどね。

人は意外に自分を肯定している

人と関わると
必ずこうしたトラブルがつきもの。

人と人は
近づき過ぎると必ず
傷つけ合うものだ。

ヤマアラシのように。

お互いに
ある程度のスペースが
必要なのだ。

それは、親子でも
夫婦でも恋人でも
大切な友人でも。

そして、
先ほども書いたように
自分自身との距離もだ。

悲しみ
憎しみ
怒り
恨み
などの感情に
ドロドロに巻き込まれて
いる状態のときは
人はジブンとの距離が
酔うほどに近い。

近過ぎて
自分を客観視できない。

自分を否定しているわりに
自分の感覚や
自分の考えを
恐ろしいほど肯定する。

自分なんか!
と言ってるわりに
人の助言に耳を傾けず
すぐ否定してしまうものだ。

他責にしろ自責にしろ
実は、自分の感覚や考えを
信じているからこそ
できることではないかと
渦中から目が覚めた
今は、そう思う。

自分の思う通りに
行動してくれない人を
否定するということは
自分の判断や
自分の好みを
信頼しているということ
ではないかと気づいたのだ。

それって
めちゃくちゃ
自己肯定してるよね?

それだけ肯定できるなら
いい方に肯定してみることも
できるのではないかと。

「自分の心は治るのだ」
「治すためにやるべきことを
 まだ見つけられていないだけだ」
と、自分に暗示をかけてみる。

ということを、私はやってみた。

心療内科に行かなくても
薬を飲まなくても治る人がいる。

乗り越えた私自身が優秀だと
言っているのではない。
自他の優劣の話ではない。

ただ、私は試行錯誤が好きなのだ。

知識を学ぶだけで
心が健康になるのなら
日本人がこれだけ
病んでるわけがない。
みんな勤勉だもの。

日本人に圧倒的に
足りていないのは
「体験」や「発想」だと思う。

私が治せたのは
発想力と「やってみよう」という勇気が
人より多いからだと思う。
そこについては自負している。

学んで行動する。
試してみて観察する。
これが好きだ。

優劣でいうと
持続力については
ADHDの私には備わっていない。

試行錯誤が大切なのは
「やってみる」ことによって
知見を得ていくことが
心と向き合うには
大切だから。

精神科医も
臨床心理士(公認心理師)も
心の専門家ではあるが
自分と長年つきあっているのは
自分自身だ。

この世に生まれてくると
決めたのは自分自身だ。

それなら
底力を信じてみない?

「ジョハリの窓」
によれば、
・自分も他人も知っている自分
自分は知らないが他人が知っている自分
・自分は知っているが他人が知らない自分
・自分も他人も知らない自分

が存在するという。

自分が知らない自分が
2つの窓にある。

あなたの知らない
あなた自身は
もっともっと強い。
まだ、あなたのなかに
あなたの見えていない
強い自分が必ずいる。

弱い分だけ、強い。

思考のシフトチェンジは
自分しかできない。

そして、
考え続けるだけでは
心の病は治せない。

考えればなんとかなる。
努力すればなんとかなる。
日本人はそう洗脳されている。

だけど、それは
イコール【生きる力】ではない。

むしろ、
心の病を治すには
「考えないこと」が鍵になる。

人は、動いて
生きる動物だ。

身体の動きを止めると
思考ばかりになる。
思考し続けると
心は病む。

心のことを学びながら
一方では
必ず身体を動かしていくこと。

掃除、畑仕事など
なんでもいい。
毎日動く。

動くことで
どんな変化が
自分に現れるのかを
観察していくこと。

禅に影響を受けた
森田療法や
ゲシュタルト療法(NLPの源の一つ)では
その大切さを教えている。

そして、アート。
クリエイティブなことを
していない人は
どれだけ身体を動かしても
しんどくなる。

食養生
運動
睡眠
クリエイティブ
それが、人間が生きる
必須条件だ。

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