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母を許せたが、母のしたことは許せていなかった。

「エホバの証人」の児童虐待が問題になっている。

下着を取られてムチでぶたれたのだそうだ。だが、私も実の母に、幼少期によく下着を取られてお尻をぶたれていた。

お尻は手でぶたれていたが、姿勢が悪いからと食事中によく50cmの定規を背中に入れられていた。ひんやりと冷たい感触がまだ記憶にある。

「毒親」って言葉を使うと「尊敬すべき親に……」と責めたがる人もいるが、圧倒的に体格差のあるオトナが後ろから追いかけてきて身体を掴まれ下着脱がされて手でぶたれた挙句に「こちらも痛い思いをしてる」「あなたのためを思ってしつけている」と正当化される。一度言ったら二度とするなと叱られて、約束を破ったとぶたれる。を繰り返していた。

だから、やっぱり「毒親」って言わせてほしい。

しかも、幼少期に打たれた理由が「人前で感情を出したから」

お誕生日会とかで親族が集まっているときに「叱られて拗ねてる」とか「その後、恥ずかしいからテーブルの下に隠れてる」とかが、ぶたれる理由。

母は、3歳や5歳の私に、「怒っても自分の部屋で気持ちを鎮めてからリビングに出てきなさい」「怒らない」「泣かない」ととにかく感情表現を嫌悪していた。

だから、それだけで打たれるのだ。
泣いても怒っても怒られる。理由より先に「泣いた」ことに対して母は睨んでくれる。感情を出した私を幼少期だろうと許さない。

いまだに「理不尽」が辛い

先日、「ちょっとした理不尽なこと」に激怒する自分……に気づかされたできごとがあった。私のなかにまだある「怒り」。

幼少期からびっしりとこびりついた、母からの理不尽な対応が、まだ私を苦しめている。そこに気づいたことは大きい。

母という存在を許せた。
だけど、あのころの母にされたことへの悲しみと怒りはまだある。

そこに気づけたことは、あらたな光。

私は、母のことが大好きで、だから許したかった。
母のことが大好きで、大嫌い。
私にとって彼女は、天使であり悪魔だ。

でも、母のことが好きだから、亡くなってからもずっと、恨みつらみをいつまでも持ち続けたいわけではない。頭ではわかっているけれど、まだまだ、私は私を大切にしなければ、この怒りは消えない。

だから、私は、歌う。
歌うことは、ポリヴェーガル理論的にも、自分のトラウマを癒す大きな鍵だ。

歌うことで、自分を癒し、歌うことで、自分の魂の望みを叶える。

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