人生は「気づきのRPGゲーム」と気づいた35年前
人生に起こる「困ったできごと」「不幸なできごと」。
それは、人生における「宿題」ではないか。
そんな風に自分が思っていることに気づいたのは、やはり小学生のころのことだった。だれに教えてもらったわけでもなく、私は、不思議と困ったことに直面するとは「さて、どうしたものか」と、考えていた。
私には「不幸が降りかかった」という感覚がなかった。
だから「えー、なんで私だけ?」とも思わない。
もちろん日常生活における「えー、なんで私だけ?」はたくさんある。例えば、以前にも書いた「複数でやったいたずらなのに、私だけが叱られる」というできごとが、驚くほど多かった。
そのときにはさすがに「えー、なんで私だけ?」だ。
でも、「人生」においてすべてが不幸だという話ではなく、自然と「自分よりもっと大変な人が世の中にはいるはずだ」ということを知っていた。
そう、私は「自分だけじゃない」ということを知っていたのが相当の強みだったと思う。
なぜ知っていたのか。おそらく、私は「多くの難関を今回の人生においてすべて『復習』として乗り越えて、その実感したことから人になにかを伝える役割」という筋書きを、今生(こんじょう)のプロットに書いていたからだろうと思う。
そのためには人より「俯瞰力」がないと、耐えられない。
さて、こんな話をしていくにあたって、根本的に私が20歳ぐらいまでに気づいた(思い出した)さらなる「経典」について書いておこうと思う。
人生はPRGゲームのようなもの
これに気づいたのは高校生だった1980年代。当時のわが家は、父が詐欺事件被害に遭った後で極貧だった。もちろんゲームなどない。友人宅で初めてファミコンをしたときだ(古いね)。名前は覚えていないけれど、たしかドラゴンボールがテーマだったような気がする。
冒険RPG風のゲームだった。私は、あまり詳しくもないし得意でもないのだけれど、名前を決めて、冒険して、アイテムを手に入れては次のステージに上がっていくさまは、まさに人生だ!と思った。
プレイヤーとして自分のコントローラーを持っているのに、あまり上手に動かせない。もどかしい。まさに、リアル私そのものだった。実際、私はよくこけるし、自分の足に引っかかってこけたこともあるほどだからだ。
いまのわが家にも新しいゲーム機がなく、古いスーパーファミコンだけがあるのだけれど、たまに家族で懐かしみつつ遊ぶことがある。
「ドンキーコング」をやっていると、一人で勝手に谷間に落ちて死ぬし、「ボンバーマン」をやっていると、自分で自分の爆弾によって退路を絶って自爆してしまう。見ている家族はそれが面白いらしくて「いっしょにゲームしよう!」と誘われる。だいたいがムードメーカーになってしまう。
そんなボケた私だが、洞察力だけは人並外れていた。
「真正面から見ているだけではわからないこと」に気づいて、立ち向かうチャレンジャーだ。だから、小学2年で、男女平等ではない理不尽さを作文に書いたり、紺色の習字道具のために男子にからかわれて黒板消しで叩き返すという暴挙にも出ていた。ただ、なにしろ不利。私は「体操体系に開け!」でいつも腰に手を当てて「不動」の位置にいたほどのちびっこだったのだ。
それでも、自分の「信念」のようなものが小学生なりにいろいろあって、男子とのトラブルも、女子間のトラブルも、その「確固たる信念」のおかげで、どうもうまくいかない(笑)。女子グループではすぐに浮くし、男子の男尊女卑には立ち向かう。そして、最後に泣く。それでいて勉強はいつも学年でも有名な賢女として知られていた。かなりの変人キャラ。漫画でもドラマでも自分のようなキャラをあまり見たことがない。あ、キャラとしてはハーマイオニーが近いかな。ただし、当たり前だけれど、あんなにかわいくないし、あんなに素直でもない。
人生のトラブルはなにかメッセージをくれている
さて、話を戻そう。
人生がゲームだとして、なにをクリアしていくのか。ゲームだと「敵」がやってくる。
でも、この「敵」は人ではない。と私は思った。
人ではなく「状況」を相手にすべきだとなぜか思っていた。
そして、それはひいては「自分自身」に繋がるのだが。
だからミッション系の短大で「罪を憎んで人を憎まず」という聖書の言葉に「あ、やっぱり!」と思ったものだ。
だから、前回の記事に書いたように、叩いてくるヤマナカ君を「敵」だとは思わなかった。もちろんなかには本当に悪意剥き出しの人として「敵」のような者もいる。そういう人と仲良くなるかどうかは、直感というか本能的に見極めていたんだなと、いまとなっては思う。ヤマナカ君には悪意がなかった。だから仲良くなれた。でも、ミチヨちゃんには悪意があった。だから、仲良くならずに遠ざけた。無理をして仲良くなる必要はない。
さて「状況」を相手にしてどうするのか。
なにか困った問題が起こる。すると、そこで必ず「胸がザラザラする」ことが起こる。それを合図として受け止め、自分の心に聞くのだ。このザラザラを無視してはいけない。
だいたい、いつもこうだ。
①マコちゃんがあんなこと言った〜(涙)
②マコちゃんは本当にイケズだな。怖いよ。
ここで終わったら、ただ「敵を見つけた」だけで終わってしまう。
③でも、マコちゃんはなんであんなに怒ってたんだろう?
ここから始まる自問自答。これが非常に大切なのだ。
なるべく自分が悪いとは思いたくない。
そりゃそうだ。
被害者のほうでいたほうがラクだもの。
だけど、それを「大いなる存在」は許してくれない。
マコちゃんの言動、前後の会話を思い出す。いつもマコちゃんはどんなことに怒っていて、どんなことに悲しそうにしているのか。私になにを求めているのか。とことん追求していく。アドラー心理学の「課題の分離」に近いですね。
すると、どこかで気づくのです。
1)なんだ仲良くしたかっただけなのか
2)なんだ私の家庭環境(母親が縫い物や料理が得意)が羨ましいのか
3)あ、私がその前に言った言葉にマコちゃんがちょっと悲しそうな顔したっけ?
反省すべき点が見つかることがある。すると、謝るか、もしくは、心の中で謝る。直接謝罪したほうが、確実に上のステージに上がれるが、難しいときやわざわざぶり返すほどではないなら、心の中で謝る。
でも、彼女の「怒りの理由」が見つからないことがある。
そのほとんどが「不安」であり、女性の場合は「自分たちに合わせる気がない」ことへの怒りか「嫉妬」ゆえんの怒りである。
つまり「安心して関係性が築けない人」を、人は嫌うのだ。
理不尽だね。それだけで敵扱い。ただ、このことについては最近読んだ書籍で「人間の生物学的な理由による」とわかったので受け入れている。またこのことも書きます。
……とまた、少し話が逸れましたね。これも重要ポイントなので書いたまま残しておきますが、このように「トラブル」からなにかに気づきます。それで任務は終了。
どれだけ相手がひどいことをしようと、どんなことに巻き込まれようと、「ここで学ぶべきことはなにか?」をちゃんとクリアすること。それが重要です。
自分の人生の筋書きは生まれる前に自分が書いた
これも、私が「知っていたこと」であり、そうは思えない人もたくさんいると思います。
「こんなひどい人生、自分が書いた物語の訳がない!」。
うん。私も、何度もこれは疑った。胃痛で脂汗が全身から出るほど、集団無視を繰り返されていた中学時代。さすがに「これはきつい」「死にたい」と何度も思った。「登校しない」という選択肢はわが家にはない。私の両親は厳格で、そうでなくても私の中学時代、両親の夫婦関係が破綻していることが子どもの目にもわかるほどだったので、言い出せなかった。いじめられていることは親には内緒にしていた。とりあえず学校に行って、胃痛が耐えられなくなると保健室に駆け込んだ。
小学生のころはただ学校で先生の話を聞いて、家で宿題さえすれば放置していてもクラスのトップだった成績も、見事に落ちていった。小学生時代「このままで学区のトップの高校に行ける」と言われていたのが、精神的な疲弊がひどく、授業中に話が耳に入らなくなっていき、毎日やたらと眠くなるようになっていた。おかげで3番目の偏差値60台半ばの高校に行くことになった。それでも、もっと下よりはマシだった。これ以下だと母が許してくれない。
いまのように「SNSによるいじめ」などは、さらにひどいことが起こっているのだろうと思う。想像を絶する怖さだ。私たちの時代は、それが無い代わりに、助けを求める場所も、味方を見つける場所も、吐き出したり似た体験をした人の話を聞く場所もなかった。
どんなこともそうだが、一方からの側面だけ見ていると不幸に見えることも、別の方角から見ると、救いはある。
ただ、やっぱりこれだけ体験してきたいまも、思うのです。
自分の人生のプロットは、自分で書いてきた。と。このあたりのこと含めて、また続きのいろいろな宇宙の法則、「経典」のようなものについて書いていこうと思います。ちなみに「無宗教」であり、ここで書いていることはスピリチュアル系のどなたかの入れ知恵ではありません。念のため。
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