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ルーツ

こんにちは。
今回はエッセイ的な内容となります。日記というよりは。

今年の3月くらいに、1人で岐阜へ行きました。

父方の祖父母が住んでいます。だから子どもの頃、毎年のように帰省シーズン、というかお盆は岐阜で過ごしていました。
足踏み入れるの何年ぶりでしょうか、というくらい、じいちゃんにもばあちゃんにも顔見せてあげられてませんでした。

父親と母親が離婚して、俺は母親の方について、父親とほぼ絶縁状態となった自分にとって、じいちゃんにもばあちゃんにも、油断できない状況でした。

父親との関係性についてはこちらで長々と書いています。興味があれば

別居してすぐ、俺らが「逃げた」と早々にわかったのか、母親のスマホが鳴りまくっていた気がします。
じいちゃんもばあちゃんも、すぐに事情を知らされたらしく、俺の携帯にも着信がありました。新居に来て数日はそういうことが続いたように思います。

だけど、話したくても話せなかったです。
何か話したら父親にも情報が漏れて、自分たちのいる場所がバレて、追ってくると思ったから。
追いかけられて殴られたり、追い詰められて結局前の家族に逆戻りする夢見て、夜中に何度も起きて、別居後の数ヶ月間はどうにかなりそうでした。

まあ、そういうことがあって、俺と父方の家族との繋がりは、ここ数年、絶たれたも同然でした。
心底嫌でした。俺はじいちゃんのこともばあちゃんのことも好きなのに、その関係性まで捨てなきゃいけないことになったと思って。

何より、ガキの頃からあんなに可愛がってもらって、仲良くしてもらっていたのに、突然何の連絡も無しに縁を切るなんて、俺には耐えられそうにありませんでした。

もう追いかけてこない、もう自分に危害は及ばない、と安心できるようになってから、じいちゃんにSMSや電話で連絡とって、「久しぶりに会いたいから家に行ってもいいか」と。
じいちゃんは最初、詐欺電話だと思ったらしく(そういう類の連絡が大量に来ていたらしい)警戒してましたが、俺の声で、俺の電話番号だとわかって安心したみたいでした。
会ってからLINEの使い方を教えましたが、じいちゃんにとっては未だに難しいようです。デジタルネイティブは、どうしても非デジタルネイティブの視点に立てないんだと思います。頑張ったけど、それでも教え方が拙かっただろうなと

父親もたまに帰省するようなので、そのタイミングと自分が行く期間が被らないよう、前もって相談をして向かいました。もう興味が無くて、今更出くわしたくなくて。
青春18きっぷ使って、熱海とか旅行しつつね。

本当に、そんなことが書きたいわけじゃないんですけどね。こうやって前置きしておかないと、後々「何でコイツこんなシリアスな話し方してるの」となっちゃうので。

じいちゃんとは連絡とれてたから良いけど、ばあちゃんはどうしてるのか、ずっとわからないでいたので、俺のことを前みたいに変わらず迎えてくれるのかどうか、不安でした。
今は、そうした不安が杞憂で済んで良かったと思っています。


墓参り行ったり、毎日のように銭湯連れて行ってもらったり、子どもの頃と全く同じことさせてもらえて、少し懐かしくて、勇気出して行ってよかったなと今でも思います。
なにより、じいちゃんとばあちゃんと俺で、揃って酒飲めたのが、あー良かったなと思ったところでした。
大人の仲間入りして、でもガキの頃の話とかもできて、立場が変わっても関係性は変わってないなって認識できて安心しました。

久々にスガキヤにも連れて行ってもらいました。

俺にとって昔から思い入れのあるフードといえば、これです。
物心ギリギリついたような小さい頃には(下手するともっと前から?)、これを食べてました。なんだかクセになる味で、「スガキヤ行きたい!スガキヤ!」とゴネたこともあったそうです。
もちろん今でも美味しいと思いますけど、池袋とかで食べる豚骨ラーメンの方が、まあ美味いでしょうね。
程々の美味さっていうのが安心できるんだと思います。

後は、じいちゃんが前々から行きたかったらしい喫茶店に、一緒に行きました。

岐阜って何が有名だと思いますかみなさん。
モーニングです。
美味いんですこれが。朝からフレンチトースト咥えてコーヒー飲めて、新聞読めて
こんなに文化的な生活していいんだ、という気持ちになりますよ

店の中が全体的にデジタル化してて、受付の端末とか注文端末とか、じいちゃんは全く操作方法がわからないようだったので、連れて来てもらって良かったなと思います。

孫としての自分と一緒にいて楽しそうな顔を見るだけで元気をもらえます。
常々、何かに対してポジティブな想いを自覚しても、「これは取り繕っているだけで、嘘の感情だ」と思うのですが、じいちゃんやばあちゃんと話している時だけは、そうした自分の卑屈な部分を忘れて、純粋でいられるような気がします。
こうしてつらつら書いていて、俺は自分が思っているより、祖父母に対して強い思い入れがあるのだと感じます。
だからこそ、家族まるごと絶縁してはいサヨナラ、は嫌でした。

故郷じゃないけど、旅の中で好きな1枚

俺のルーツというか、ずっと前からの先祖がそもそもどこで暮らしてきたのかって、ネットにも全然地名が載ってないような辺鄙な場所というか、モロに田舎なんですよ。
実際行ってみると、今はかなり寂れてしまっていて、ほとんどシャッター閉まってるし、そうじゃなくても、営業してるのか最早わからない店も沢山あります。でも大好きです。理由聞かれたら困っちゃうけどな

墓も表札も、自分と同じ苗字の人が沢山いて、仲間がこんなに沢山いるんだと心強い気分になります。ピカチュウの森みたいな。
みんな遠い親戚っぽいのですが、もちろん話したことも無いし、本当のところはどうかわからないです。
でも、自分の仲間がそこにいるって、かなり心の支えになってます。どこかで誰かと繋がってるんだって、人間にとっては大事な感覚なんでしょうね。
心を理解できない悲しい化け物みてえな表現の文章。

いつかそこに住んでみたいな、とぼんやり思ってはいるのですが、生活も人間関係も、たぶん結構、不便でしょうね。その不便まで愛せるかどうかは、ちょっと今のところわからないです。
でも、せっかく田舎から出て都会で暮らすようになった子孫の中から一人、先祖と同じ場所に戻って生活するのって面白いと思いませんか。俺はそれやってみたいな、と思っちゃった。

それくらい、岐阜のことを愛しているし、岐阜と千葉どっちか取れ、と言われたら苦しいけど岐阜にします。千葉県、ごめん。千葉大好きですけどね。チーバくん可愛いし(浅すぎ)。やっぱりどっちかなんて選べないや

そういう背景があって、近郊に住んでても、シティボーイでは全然ないんですよ。
どこか奥底の部分は田舎臭くありたい、都会に染まりきりたくない、みたいな気持ちがうっすらあるかも。
無駄に広い景色だったり、山や川の壮大さだったり、自然がもたらす脅威を人の力で抑制しようとした結果の設備だったり、そういうのって本来的な居場所に居るような気がして心が落ち着くんですよね

岐阜だって全体的に見たら本物の田舎とは呼べないと思いますけどね。新しく引っ越してくる人も多いようだし、比較的に発展してる方だと思います。
でも、それだって一部に過ぎないです。みんなが知らないところで、どんどん廃れてしまっている地域もあるようです。山奥は特に。

人があまり入っていかない地域が限界集落になっていくのって正直、仕方がないと思います。特に今の社会では。
でもそういうところで暮らしている人がいて、誰かにとっては思い入れのある地域だということは忘れたくないなと思っています。
別にこれは問題提起じゃないですよ。

貼ると特定されそうな写真ばっかりでもう出せる画像無いから、ここらへんで終わろうと思います。
今回は俺の岐阜愛を知ってくれればそれで良いです。

文章ばっかりだと読みにくいし、途中で読者も飽きると思うのでね。それは俺も現在進行形で卒論を書いていて心底思っています。
また書くことあったらチョット頑張ります。
では。

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