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子どもがいらない理由

久々の投稿です!今回はおふざけ無しなのでおふざけ期待してたらもうちょっと待ってね

今回は血縁上の親について話そうと思います。真面目回です。
ようやく自分で整理がついたと思った矢先に病んだんですけど、むしろネガティブな気分でいる時じゃないとまともに書けないと思ったので丁度いい機会かもしれません。前々から記事にするつもりでいました。ようやく決心がついたというか、モチベが出てきました。
同情とか共感をしてほしくて書いてるのではなく、大部分は己の心情整理のために書いてるつもりです。いずれ役に立つかもしれないので。少なくとも誰かに気持ちがわかると伝えられたところで素直に受け止められる気分ではありません。
自分の醜いところも全部含めて、なるべく漏れのないように偽りなく書きたいと考えていますが上手くいかないかも

本題

ちょうど一年前くらいに家族で血縁上の父親と別居しています。原因は大きく書けばモラハラです。母は父と離婚しようとして色々手を尽くしていますがあちらが頑なに拒否するので円滑には進んでいません。

高校生の頃に自分はうつ病の診断書をもらっていて、母親は適応障害の診断書をもらっています。弟は一時期目が見えなくなったといって、診てもらうとストレス性の可能性があると診断されました(小学生なのに)。大学生になった今、少なくとも自分の病気は治ってるのかどうかわかりません。寛解はしたと考えていますが、不安定になりやすいことを踏まえると、内実は違うのかもしれません。また余裕があればカウンセリングか何かに行こうかなと考えていますが、金をかけるのが勿体無いと思って億劫になっています。
心の病気にかかったから酷い家庭だったと書きたいんじゃなく、あくまで指標だと思ってほしいだけです

小さい頃から「○○しなければダメな子になる」と言われ続けてきた記憶があります。息子の自分が失敗すると「鈍臭い」、趣味が気に入らないと「気持ち悪い」、外に行きたがらないと「インドアな人間はクズだ」、振る舞いが気に食わないと「誰がこんなダメ人間に育てたんだ」等、父親はずっと昔から嫌味の絶えない人でした。つまり、価値観を押し付けてくるタイプの親です。
人格否定をする、被害妄想する、責任転嫁する、そういった性質で、とにかく自己中心的であり、そうした性質を家族に押し付けていました。しかし恐らく外では誠実で社会的なフリをして、家族の存在を利用して“良いパパ”を演じて振舞っていたんでしょう。

女々しい振る舞いや女性が嫌い?いつも見下しているようでした。妻(こちらから見れば母親)の振る舞いが一々気に入らないのか、二度と俺の前で笑うなと言い放ったり、売女と罵ったり、何がそんなに不満なのか、彼がどのようにしてそこまでミソジニー的になったのか、わかりません。

自分が頭ごなしに否定されるのも嫌でしたが、一番嫌だったのは夫婦で喧嘩していない日が無かったほど家庭そのものが険悪な雰囲気だったことです。なるべく中立的な立場で書きたいのですが中々難しいです。これに関しては父親が悪かったとしか思えません
とにかく自分が正しいと相手に認めさせたいらしく、こっちの方が建設的、ロジカルな議論をしているんだとアピールして、都合が悪くなると論点をずらし、小声でグチグチ何か呟くし、可哀想と思ってもらいたいのか相手に譲歩しているフリをするし、一旦波が落ち着くとすぐに自分の部屋に引きこもります。母と父のどっちが正しいと思うかを子どもの自分に聞いてきたこともありました。そういう家庭で育ちました。だからか、論理的に正しくないこと、理屈として相応しくないものに対して嫌悪感を覚えるようになってしまい、克服しようとしても中々改善しない日々が続いています。感情的なものを受け入れようとしたら、今までされてきたことに対する怒りが爆発しそうで、どこに向けて解消したらいいのかわからなくて、たまりません。適応機制を活用しようにも限度があります。
それに、このように大体同じことを夫婦間だけでなく親子間でもされていたので、昔からまともな話し合いはできませんでした。自分の中では全く納得いっていないのに、父親はトラブルが解決したと思い込んで毎回“和解の証”とでも言いたいのか握手を求めてくるのです。自分はその段階では大体もう話し合いをしたくないほど理屈で詰められて憔悴して、握手をして解決した体を装うことに渋々付き合っていました。たとえ自分が正しいと思っていても相手が正しいと認めなければ否定され続ける環境、もしかしたら自分が間違ってるのかなと考えさせられる親子関係でした。だけど純粋なうちはそうして“仲直り”が成立する度に今度は親子関係が上手くいくだろうと信じていました。尽く裏切られていくわけですが
まだ家庭の仲を諦めていなかった頃、両親が喧嘩するとよく仲裁に入ろうとして、1階に引きこもった父親と3階で溜息をつく母親を行き来していた記憶があります。その努力は報われなかったし、今となっては無駄でバカなことをしたと思ってます。

あとはとにかく子どもに怪我をさせる人でした。被害を受けた自分は物心ついてない時期で覚えてないですが、抱かれた時に柱に顔をぶつけて眼球辺りを怪我してしばらく内出血したというし、自分が確かに見たものでは弟の幼児用の椅子をしっかり固定しなかったせいでひっくり返って、幼い弟の頭が勢いよく床にぶつかって、弟がしばらく泣きもせず固まってしまって「これはまずいんじゃないか」と子ども心に焦ったことは覚えてます。そういう時でも父親は決して自分の非を認めようとはしませんでしたし、「大袈裟だ」とか言って母との話し合いの中で誤魔化していました。そういう時でも俺は家では泣けませんでした。「泣くのは男らしくない」と否定され続けてきたからです。あとは一々泣いてたらキリがないほど夫婦喧嘩が多かったからでしょうか。今でも泣くことは難しいです。泣きたくても上手く泣けません。かと思いきや、最近は日常の全然どうでもいいところ、何も悲しくないシーンで涙が溢れそうになることが稀に起きるようになりました。
自分がガキの頃、近所の犬を散歩させてもらって、興奮した犬につられてリードを離すのを忘れて高所から落ちて血だらけになった時も、「うえぇ気持ち悪い」とか言ってしばらくはまるで助けようともしませんでした。
とにかく不注意です。不注意な上に、自分のミスだと思わない(思いたくない)人間なのです。

家族には何も告げずに失踪することが多かったです。ちょっとでも嫌なことがあると、サーフィンをしに行くか、パチンコに行っていたんでしょう。パチンコに定期的に行っていたという証拠は押さえてあります。それで夜な夜な帰ってきて、ロックがかかっている家のドアを何度も力ずくで押し引きして開けろ開けろと叫んで、インターホンを鳴らしまくったこともあり、幼い頃の自分が恐怖を抱くには十分な態度でした。
彼は病気かもしれません。病気だと思います。ギャンブル依存性かもしれないと母が真面目に相談センターを勧めても「お前が病気だからお前が行け」などと罵倒したそうです。何かの病気だから醜い本性を自覚できないだけかもしれないけど、病気だからといって過去は消えないし、これまで家族が受けてきた精神的苦痛が癒えることはありません。聞けばパチンコでバカにならない額を溶かしているらしいし、それに関しては口伝でしかない上に正確な金額がわからないので詳細な記述は避けます。ただ不自然な金額減少のある通帳はこの目でコッソリ見たことがあります。それが関係しているのかどうかはわからないですが。
パチンコに行くことが悪いと書いているのではありません。独り身なら行きたかったら行けばいい。それに常識の範囲なら問題ないかもしれない。だけど、家族がいるのに生活費まで切り崩して遊ぶことが、果たして正しい行いかどうかというのは、正直間違っていると考えてしまいます。そのくせ母の家計管理のせいで金が足りないとか父方の家族に話していたらしく、どこまでも外道だと呆れています。

自分は誰かからいきなり態度を変えられるのが怖くてたまりません。昨日はあんなに怒っていたのに今日はケロッとして上機嫌……ということが対人関係で少しでもあると怖くなって縁を切りそうになります。多分切ったこともあるかも。自分が関係していなくてもそういう他人同士を見るだけでもゾッとします。きっと父親がそういう人間だったからです。何でも人のせいにするみたいで嫌だけど。
不機嫌な態度をとった翌日には楽しそうに笑っていたりして、不気味だったのを覚えてます。

気に入らないのは、「~するな」「~する奴はアホになる」など色々な価値観を押しつけてくるくせに、自分が子どもに禁止したことを自分でしていたことです。食事の時にテレビをほとんど見るなと言われてきたのに、自分はiPadか何か端末で動画を見ていたり。同居していた頃は一緒に食事をしたくなくてリビングに行く時間を深夜にズラしたり工夫していました。あちら側からしたら家族団欒の時間に集まらない引きこもりダメ息子とでも思っていたんでしょう。
とにかく一緒に食事をとることが嫌いでした。嫌な空気が流れているからです。今時、なるべく無言で食えなんて古めかしい家庭は少ないかもしれないけど、それでも家父長自身もルールを徹底するなら色んな制限を受け入れられなくはなかった気がします。ただ自分で子どもに禁止しておいて、親は同一の規則を守らずに幅を利かせているのを見て、不満に思うことは変でしょうか?単純な疑問として書いてるつもりだけど、同調を求めているように見えたらごめんなさい。家父長らしく振る舞いたかったら振る舞えばいいが、家父長ならそれ相応の威厳を貫いてほしかった。
子どもが傷ついても自己弁護と保身に走って誤魔化すだけなのに、自分が苦しいとすぐに救急車を呼べだとか騒いでいた記憶もあります。でも何処も悪くなかったようで救急隊員が怒っていたという話も聞きました。

父親と一切会話しなくなったのは小学生高学年の頃です。先述のように彼は自分の子どもをぞんざいに扱います。弟が乱暴にされるのを目の当たりにして兄が怒らない方が変じゃないですか?自分が傷つくのも悲しかったけど、今考えれば何十年も大切な人間が目の前で傷つけられ続けた方が精神的に病む原因としては大きかったです。
それで一回自分の行動を見つめ直してほしいと思って、弟に対する態度が特にひどかった日に我慢できずに父親の頬を平手打ちしたんです。本当に怖かったけど打ちました。それがせめてもの抵抗だったし意思表示だったつもりです。
言論では絶対に勝てない(わかってもらえず押し切られる)と知っていたので実力行使に出るしかありませんでした。
その後怖くなって自分の部屋に逃げたら、身体で必死に押さえつけていたドアを父親が無理やりこじ開けて入ってきて自分の首を掴んで床に押し付けて散々罵ってきたんです。それがしばらくトラウマになって口をきけないでいたら、父親も非を認めず歩み寄ってこようとしないので結果的に10年近く同居しているのに一切会話がない状態になりました。

先述の時期からずっと口を利いていなかったのですが、高校二年になっても父親の母と弟に対するモラハラは改善することなく続いていて、ついに爆発します。自分は無視することで逃げられていたかもしれないけど、母と弟はずっと苦しめられてきました。
弟の人格を否定する父親にキレてしまい、高校の文化祭前日に激昂して詰め寄りましたが、当人は無視というか会話に応じない姿勢を見せて自分の非を認めることはありませんでした。
高二の文化祭は自分が吹奏楽部として最後の演奏をするつもりで臨んだものだったので、そんな人間が「観に来る」と言っているのが許せず、弟を酷く扱う人間には来てほしくない旨を震えながら伝えると「わかりましたじゃあ行きません」と不機嫌な様子で自室に去っていきました。その後失踪したらしいけど覚えてません。
吹奏楽を始めた小学生の頃、自分が出演する最初のコンサートには趣味優先で来ようとしませんでした。サーフィン行くつもりだからどうしようかなとか本人がいる前で堂々と言って、まるで興味が無さそうでした。そんな人間、しかも家族へのモラハラを改善しようともしない人間に今更自分の文化祭に来るとか言われても受け入れられるはずがありません。

それから、急に話し合いたい、和解したいとか言って自分の部屋にあがりこんで一方的に会話を求めてきた時期がありました。確か高校三年生の頃です。最も嫌う存在が自分のテリトリーに入ってくることが怖くてたまりませんでした。会話らしい会話を長らくしていない人間を、生活スペースに入れること自体が苦痛で仕方ありませんでした。いつか自分のことが気に入らないからといって暴力を振るわれたり最悪殺されるのかも、もしそんな展開になったら自分が衝動的に殺してしまうことがあるかもと思いました。今となればその可能性が低いことはわかりますが、当時はそれくらい切羽詰まっていました。過呼吸にもなりました。自分の制御を外れて呼吸が上手くできないのはほとんど初めてだったのでパニックになったのを記憶しています。バリケードというか、相手がドアを開けられないように近所のホームセンターで素材を買ってきて色々工夫してみるんですが、全部突破されて、話をしようと詰め寄られます。それがうつ病の本格的なトリガーになったのか、元々うつ病は進んでいてダメ押しになったのかはわからないですが、その頃から人のことを本気で信用できなくなりました。人への興味も殆ど無くなりました。完全に打ちのめされたと言っていいでしょう。
小学生の頃に精神的な関わりを断絶した時と同じように、こちらの意思とは関係なく迫ってくるので、もうベッドから出たくなくて寝てばかりいました。どうせこのままだと自分の体裁が危ないから解消しようとしたに過ぎないんでしょうが、その傍若無人な振る舞いが子ども傷つけていることに何故気づかなかったのでしょうか。
高校時代の部活の仲間がその傷を癒してくれたから今の比較的安定した精神状態があるわけで、それが無かったら今頃どうなっていたかわかりません。本当に人間を受け付けられなくなり家から出られなくなっていたかもしれませんが、仮定の話をしても仕方が無いのでやめます。

母方の祖父祖母と叔父さんが家に来て家族を説得しようとした時もありました。ただ既に手遅れでした。自分も父親と和解するつもりはなかったし、母も父も「これ以上は一緒にやっていけない」という結論に至ってどれだけ話し合っても変わることがありませんでした。

別居に向けて内密に引越しの準備をする時、心臓が勢いよく拍動して、いつかバレて問いただされるんじゃないかとヒヤヒヤしました。直前でバレそうになったけど無言を貫きました。というのは、新しい家に持っていく物と捨てる物を分別していたところを見つかって、何をしているのか聞かれたんですね。自分は無言で作業を続けましたけど、後日リビングにいて何か話しかけられたような気がします。内容は聞こえなかったからわかりません。聞いたら自分が動揺してしまう気がして、必死にイヤホンをつけて爆音で音楽を流していました。心を閉ざして理解しようとしていないのはお前じゃないかと思われそうですが、心を閉ざすだけの理由はツラツラと書いたつもりです。
引っ越すにあたって、自分と父親が一緒に写っている写真は見つけた限りで全て破って処分しました。アルバムに戻して置いていかなかったのはそんな形だけの写真で美化された過去を振り返られても気持ち悪いからです。性格が悪い自覚はあります。ただ今まで会話を拒絶しただけで明確な反抗ができなかった分、何かしらの仕返しがしたいと思いました。結局、弁護士を介して送られてきた手紙には一枚写真が入っていたので、処分漏れというか彼の手元にあったものは見つけられず捨てられなかったんでしょうね。元々は仲が良かったように一方的な認識をされているというのがわかって辛かったです。

毒親という言葉は好きじゃないんですが、俗に言う毒親に育てられたことは事実だと思います。毒親と呼ぶと表現しやすく伝わりやすいから便宜上そう記述しているだけで、大部分を切り取ればモラハラ親と書くこともできます。敢えてそうしないのは家族が虐げられた内容が明らかにモラハラだけではないからです。

仮にも親なので信じようと頑張った時もありました。別居のことを母親に相談された時、「自分が和解した体を装えば解決するのか」と聞きました。当時住んでいた一軒家が好きだったから離れたくなかったんですね。母親が「そういう問題じゃない」と言ったので「どうしようもないんだ」と思って、諦めました。別居直前に自分の晩御飯を買いに外出した際に、親子揃って玄関前で花火をやっている家庭を通りがかりに見てしまって、その時は珍しく抑えきれずに涙を流したりもしました。こんなこと書くと誇張してるだろと思われるかもしれませんが。
どうして自分の家庭はこんなに拗れてしまったのかと不思議でたまりませんでした。家族が円満に暮らせればこんなことにはならなかったはずで、子どもが親と仲良くしたいというのはおかしい願いじゃないはずなのに、どうして引越しなんかしなくちゃいけなくなったのか、駄々こねて幼いかもしれないけど考えない訳にはいかなかったです。

良い思い出も中にはあったのでしょうが思い出せません。旅行中でも横暴な振る舞いは変わりませんでした。ハワイに行った時は自分が熱を出して心配するでもなく自分優先で動いていたし、それ以前に外国に行った際も同じようだったと聞いています。
そもそもそこまで自分優先にしたいなら子どもを作ろうと思わないでほしいし、連れて行ってもらわなくていいし、一人で勝手に行けばいいと思います。そうしたら自分の妻が育児のことでキレるから無理なんでしょうが

離婚届は母が突きつけたのではなく父が「書いて」と持ってきたのだといいます。それなのに実際に始まった調停では父親は「別れたくない」の一点張りだったらしく、過去の言動とあまりに矛盾していると思います。離婚届自体が脅しだったと捉えられても仕方がないと思います。

当の本人がこの記事を読んだら虚偽の内容だとかそんなことはやってないとか反論するんだと思いますが、元から都合が悪いと嘘をついて誤魔化すばかりの対応を家族全員幾度となくされてきて、どちらが嘘をつき続けたのかと呆れるし、欠片も信用できないのは当然じゃないでしょうか。
離婚調停の内容は毎回大体聞いていますが、今まで寄り添う姿勢も無かったのに「長男とも面会交流したいと考えている」というのはあまりにも虫が良すぎると思います。どの口が言っているのか。本気で血縁上の息子のことを想っているならもう二度と会いたいなどとバカなことを抜かさないでほしい。笑えない冗談をやめてほしい。それができないということは、結局いつまで経っても己の社会的体裁を保つために必死ということでしょう。次男にも「ゲームのやりすぎで頭がおかしくなっている」と以前は強く当たっていた癖に、別居した途端にゲーム機を買い与えるのはどういう風の吹き回しなのでしょうか。良い親と思ってもらって引き戻すつもりなのでしょうか。別に今すぐ死ねとまで呪ってはいないけど、今まで他人に押し付けてきた自我を寂しく抱えてお望み通り自分勝手に生きたらいいんじゃないでしょうか。血の繋がりがあるから易しめに考えてしまっているかもしれません。
葬式にも行かないと言ってあります。もっとも、自分が作って失敗したダメ人間に葬式に来てもらっても困るかもしれませんね。これまで誰かと上辺で築いた絆があるのならそういう方々を呼んで弔ってもらえたらいいですね

自分は仮に家庭を持つとしても子どもは要らないと考えています
それは自分自身がこんな歪んだ家庭で育って誰かと上手くいくはずがないという諦めや、憎悪する父親の遺伝子を後世に残したくないというのは根拠としてありますが、一番は歪んだ家庭を再生産しかねないという恐れに理由があります
反面教師的に「子どもにはこのように接してはいけない」と十分理解しているつもりで、今この段階では絶対に同じことはしないと断言できるほど論理的で冷静に考えられるとしても、自分が親のような振る舞いを繰り返さないという確証はどこにもありませんよね。自分が所謂“毒親”にならないと言いきれる人なんてどこにいるんでしょうか。明確なデータがあるのかわからないので小声のつもりで書きますが、歪んだ家庭で育った人間が歪んだ家庭を作りやすい傾向にあるというのは当事者としては、というか個人的には理屈としてしっくりきます。だから怖いです。
自分が人生で抱えうる一番の不幸は、自分のような人間が自分のせいで生まれてしまうことです。もっとエゴイスティックに書けば、自分と同じような育ち方の人間を他でもない自分が生み出してしまうことで、自分の性質が「父親と同じ」と認識せざるを得ない致命的なファクターを作ってしまう。それが怖くてたまらないんでしょうか。
そんな大きなリスクを抱えてまで、子どもが欲しいとは今のところ到底考えられません。もちろん仮の話に過ぎないから、自分がそもそも結婚できる性質だとは微塵も考えてません。だから余計に怖いです。未来の自分が何の気なしに、今の自分が危惧する道を辿り、父親と同じような言動を繰り返している想像をすると寒気がします。思い上がっているかもしれませんが怖いものは怖いです。魂がいつか己の制御を離れて悪魔に売られてしまうのを怯えている気分です。父親と似た癖があることは自覚しています。物理的・精神的どちらも同じような癖があります。気づいたら同じような行動・口調・思考をしていて自分で自分が心底許せなくなります。だからこそ自分が親になってはいけないという強い思いを持っています。
親が自分の可能性を閉ざしたのだと非難する意図はありません。これに関してはあくまで己の選択であって誰かのせいにしたいわけではないです。過ぎたことをネチネチと掘り起こして贖えと言う気も起きません。ただそういう経緯があって自分が客観的には偏った思想を抱くに至ったことは書かなくてはと思ったから書いたのかな?ここにきて自分で自分がよくわかんなくなってます
弁解しておいて何だという感じですが、「幸せな家庭を築く」という一般的な夢を抱けなくしたこと、自分が孤独になるような育て方をした責任は、誰が取ってくれるのかな、と誰も取ってくれない責任を誰かに取ってほしくて、一人で勝手にイライラすることはあります。幼稚ですよね。もちろん自分の他責的な考え方を変えればそれもまるごと解消されるのかもしれません。ただその変化すら怖いのだからやっていけません。乗り越えるべきかどうかは未来の自分が決めるのでしょうね。少なくとも今は考えたくありません。

弟に対しての自分の対応も怖いです。自分が父親のような言い回しで弟のことを否定しないか常に恐れを抱いています。確かに父親が別居後に餌で釣るように弟の望むものをプレゼントして、弟が未だに父親と関わることに嫌悪感を抱いていないことは、自分にとってとてつもなく不愉快なことですが、それが弟に当たり散らしていい理由にはなりませんよね。でも急に幼稚な部分が出てきて自分が嫌になります。家族だから理屈っぽく接しなくてもいいと甘えて「面会交流に行くな」と直接的に行動を強制するようなことを言ってしまって、後で後悔したりもしました。いくら自分が嫌な思いをしたからといって兄弟にもそれを共有してもらおうとするのもおかしいし、元々「家族だから理屈抜きで」なんて一々考える方がおかしいと思います。だけど自分はずっと父親と似たような思考の檻に閉じ込められているようで無意識にそんな考え方をしてしまっています。自分が良識のある人間であると思い込んでいて、感情的になってもいい場面とか勝手に環境に当て嵌めて行き場の無い攻撃衝動を横暴な振る舞いに仮託してるんです。爆発しそうな血縁上の家族の不満を抑えるために自分はなるべく弟の人生に口出ししたくない、尊重したいと思って兄弟間では寡黙にしていますが、絶対に悪手だと思います。弟も全然話さない兄と一緒にいて気まずいと思います。自分も弟に無自覚のうちに危害を加えてしまっているのかもしれません。でも他に方法がどうしても思いつかないです。メンクリに行ったらこれを一番に相談したいです。

自分がもしかしたら父親と似たような卑屈な言動をしてしまうかもしれないという恐怖が対人関係を考えるのに大きな障害になっています。友人というか知り合い全般には陽気に振舞っているつもりです。醜悪な親子の類似点を自ら遠ざけるためかもしれません。だけど父親も外交的には明るく人当たりよく付き合えていたのでしょう。そう考えると尚更、己の内部だけ醜いのがますます似ていると感じてしまって、偽りの人格で得た人間関係を考えてますます自己嫌悪に陥り、真に誰かに理解されることなど無いのだと全部諦めてしまいそうになります。というかそんなことはとっくにわかっています。一人の人間が完全に誰かに理解されることは無いでしょう。ただこうした心の腫瘍のようなものを真剣に相談できる相手が一人も思い浮かばない、それだけ誰かを信じることができないというのは考えものです。信じることができないというよりも、頑なに誰も信じたくないんでしょうね。しかも、偽り続けてどれが本物なのかわからなくなりそうです。いつから偽っていたのかもわかりません。寡黙な自分が本物なのか、多弁な自分が本物なのか、卑屈な自分が本物なのか、楽観的な自分が本物なのか、どれが本物かなんてどうでもいいことのはずなのに、気づいたら拘って苦しんでいます。自分が誰かを信じて何度も裏切られるのはもう沢山だとも考えているのでしょう。誰かを信じることができない以上は誰にも信じてもらうことができません。自分はありがたく誰かと親しくなれても本質的には孤独なんだろうなと思い知らされます。孤独といっても寂しい方の孤独というか、進んで孤独を受け入れて楽しく生きている人もいるから一概に悪いとは思ってないよと補足はしておきたい。
この記事を初めから読み直すと全くもって自分本位で、己を正当化したい思惑が見え見えで自分のことがまた嫌になります。そういうところも父親に似てしまっているのでしょう。根本的に愛されなかったという認識が前に出すぎています。自分で文字を打っていて気持ちが悪い程です。

記憶していて書けることは出来るだけ書いたつもりですが後から思い出すことがあるかもしれません。困ったことに変なところで完璧主義なので思い出したら記事を編集して書き足すかもしれません。

書き物に毎回意義が無いと納得がいかない友人がいるので、無理やり今回の記事に意義を付与するのならば
・そうは言っても親は親だから
・いつか感謝できる日が来る
・親とはそういうもの
・それでも内心はあなたを愛していた
・自分の方が酷い育て方をされたから大丈夫
とか、こちらの事情を何も理解していないのに知ったような口を利くバカがいなくなればいいなというささやかな啓発でしょうか 聞き飽きたしどうでもいいから特別頭にこない限り無視してますが

数年前まで家庭的な抑圧があったからか、それとも全く別の問題によるものかはわかりませんが、最近些細なことでどこに向けたらいいのかわからない悲しさや怒りを覚えることが増えました。他人を攻撃したいという気持ちや、何かを奪いたい、何かを失わせたい、どうせ自分はダメな人間なんだという気持ちが明らかに大きくなってきました。自分のような人間が増えてほしくないと願いながら、誰かの不幸が見たいのかもしれません。自分が今まで虐げられたと思っているから、気持ちだけでも虐げる側に回りたいと考えているのかもしれない。人間穏やかでありたいものです。
誰かに八つ当たりしたり、気持ちを無闇にぶつけることはしたくありません。とにかく迷惑はかけたくありません。とか書いておいて、それが本心かも怪しいのです。それは自分が誠実な理性ある人間だと受け取られたいが故のエゴから来るものかもしれないし、実は思い切り攻撃したいのかもしれないし、独り善がりな振る舞いをしたいのかもしれません。誰にも同情・共感されたいと思っていないと最初に書きつつ、実は一番他者からの理解を求めているのは自分自身かもしれません。今まで以上に自分のことも信用できなくなりました。大学に入ってからある程度うまく複雑な感情と付き合えていたつもりだったのでビックリしています。二十歳がすぐそこに控えているところでまだまだ未熟だと再認識できたのは良かったと思います。
こんな様子だから数ヶ月くらい人と積極的に関わろうとするのはやめようかなと考えています。多分隠居した方が良いメンタルです。自分で自分の感情が制御できるほど整理ができてはじめて、人と関わっても良いのではないかと考えるからです。父親のようにはならないという自戒も込めています。もちろんこのように感情のブレーキが効かなくなっていることは今までのストレスが原因ではないかもしれないし、数ヶ月で解決する問題かも怪しいです。ただそのまま完治するまでずっと人との関わりに消極的になっていたら治るものも治らないだろうし、心の健康に繋がらないと感じています。何事も程々に付き合うのが生き方のコツって感じがしています。
書くことがないので潔く終わろうと思います。

読者のみなさんも健やかにお過ごしください
以上

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