おっぺけぺっぺーのぺーん

こんにこ。

今日は単純に日記を書きます。日記というよりぼんやり何を考えたかとか。
投稿久しぶりなんですけど(矛盾)がんばります。

私立の高校に通っているので、きょうは土曜授業で登校したんですね。

ああだるいなと。
僕は人より物事を考えすぎる質だと自覚しているけど、朝は例外です。起きたばかりでは、赤ん坊より頭が働いていないように思う。ただ「あつい」とか「さむい」とか「ねむい」とか、自分の身体状況か精神状態を把握するので精一杯です。


それで、大さじ2に小さじ1の砂糖の入った紅茶を飲んで、やっと視界がすっきりしてきます。
もう今朝どんなニュースをやっていたのかも忘れました。そのくらい怠惰な人間。


暑が夏すぎた反動か、令和ちゃんのせいで急激に気温の下がった秋の訪れを、まったく「寒い」と思えないんですね。むしろ涼しいとすら思う。

だからまだ半袖です。衣替えについての手紙も配られたのでもうすぐブレザーを着ないとなんですが、正直憂鬱です。そんなことで憂鬱になるなという。


それで電車の中では耳舐め音声を聞いてました。ペロペロペロペロ。
前からチャンネル登録していた人の耳舐めだったんですけど久々にホームに動画があがってたので視聴してみたら、「あれ?この人こんなに耳舐め上手かったっけ」となりました。この話にはそれ以上もそれ以下も無い。


授業としては英語2時間、国語2時間というバランスの良い配分で、個人的には土曜が一番苦労しない。
木曜の日程が最も嫌いです。だから木曜日の僕には話しかけないでください。問答無用で裁判所に来てもらうレベル。

そんで今帰ってるところです。

駅のホームにずらっと横一列に並ぶ電車待ちの人々に、なんともいえない感情を抱きました。センチメンタル。
どんなこと思ったか表現しろって求められたら難しいんですけど、
「もしこれから来る電車に悲劇的な運命が約束されていて、僕達が中に長時間閉じ込められる(食料の心配をしないといけないくらい)としたら、この人達は最初どれだけ思いやりとかでお互い気遣っても、最終的には平気で自分のことを優先するだろうな」とも感じたし、「むしろそうじゃないと安心できないな」とも思った。
それに、「もしその運命を今から乗る人全員が把握していて、なおかつ乗車は強制だとしたら、ホームで待っている今からお互いがお互いを睨んだり、敵意を振りまいたり、最悪殺し合いが始まるのではないか」とも思った。

けっこう鬱な考え方してると思うんですけど、特に意図するところは無いです。
本当にぱっとそう発想しただけで、「こういうことを伝えたくて自分が考えたことを此処に書いてるんだよ」ということもない。

定期的に小説を書いている同志の友人に、この間自分が書いた短編を渡したのですが、「で?お前はこの小説で何を伝えたいの?」と聞かれて半ば激昴してしまったのを思い出しました。
自分にとって小説とは自分の世界観を表現するのに必要な場所であって、読者に何かを啓発する意図を持つとは限らないと思う~自己啓発本でもないし~みたいなことを言ったら、「それじゃ薄いね、少なくとも意思が見えなきゃ魅力は伝わらないよ」とか言われてさらにキレるという。

まあそういうこともあるし、僕が何か書き物をする時に、明確に何か教訓のようなものを伝えたいと思考しているとは限らないです。


あと何書きたかったんだっけ。思い出した。

最悪なことに今年受験生なので学年担任やら学年主任が毎日動画を配信してます。
それで今日のお話はアバウトに、「受験生ピリピリしてるから親御さんにはせめて家庭では親身に、リラックスできるような環境を作っていただきたい。甘えさせるのと甘やかすのは違います」みたいな感じ。

確かにそうだなと思いました。うちは全然そんな感じじゃないし、俺がもう色々拗らせすぎて、ピリピリというより絶望というより諦観(悪い方向)という具合なので、参考にはならなかったけど。

それで親と受験生というか、広くは親子の関係について帰りの電車で考えてたんです。

僕は反出生主義の思想を支持しているから、将来子供が欲しいとは思わない。多くの場合望まれて生まれてくるが、子供自身はそうじゃない。望んでもないのにこの世に生を受けるし、勝手に期待されて、勝手に生きることを善として強制されて、勝手に死ぬことを悪として禁止される。
生まれてこない分には幸せじゃないということはないが、生まれてきて不幸ということは有り得てしまう。産むか産まないかという選択において、概念上の子供にとって単純な足し算引き算で計ると、「産まない」方が少なくともマイナスにはならない。だからこれ以上子供は産まない方がいいし、それに伴って人類が滅亡してしまうのも肯定する。
でもよくよく考えなくても自分にとって「親になりたくない、子供はいらない」理由はそれだけじゃなかったです。
自分の劣悪な遺伝子(こう言ってしまうと片親に失礼だが)を後世に残したくないというのもあるし、
自分が親からこれまで何度も不当な扱いを受けてきたので、もしかしたら今度は自分が、子供にそういうことをしてしまうのではないかと危惧するからというのもある。
言いますよね、虐待されてた子供が大人になって子供を持つと、自分がされたのと同じように扱う場合があるって。

俺は今の自分を、「悟った自分」だと思っているし、または「隙の無い自分」だと思っているから、このまま人生行って子供ができたとしても絶対そんなことしないという自信がありますが、そんなものはその時の自分にしかわからないし、「自分なら大丈夫」という思考を未来に対して肯定するのは、不完全で不安定でしかない。

それで、最近あるツイートを見かけたんですね。やさしいのでわざわざURL引っ張ってきました。

https://twitter.com/sunocots/status/1307971721971077120?s=21

これです。
ああ、ああこれだ、と思いました。まさに僕が理想とする親子関係です。親にはなりたくないとか子供は欲しくないとか言ってるけど、もしじゃあ産まれてしまったならどうするかと考えた時に、子供にはこのツイートの内容を行使する権利があると思うんです。

まずは、親が「本人から頼まれてもいないのに子供として存在させた」という認識をしなきゃなあと考えるわけ。この時点で、そんな認識をし続けることに耐えられないから、俺は「子供はいらない」と言ってるんだけど。
自分は片親から虐待に近いことをされていたから(あっちは全くそう思っていないと思う)、居ちゃいけないのかなとも思ってたけど、そもそも子供がいること自体の責任は親にある。

勉強しないと人権が無いみたいな扱いをされたり、出来の悪い息子として否定され続けたり、自分の嗜好を悪趣味だと非難されたり、あるいは幼い弟を乱雑に扱う片親に激怒してやむを得なく暴力を振るったことについて何の理解もされずに、首根っこを掴んで床に押さえつけられたり、
そういったことはこの思考においては論外なわけです。

あくまでも親は「産まれた原因」というか、もっと良さそうな言葉で表現するなら「子供にとってのトリガー」であって、働く前提というか労働力であるという前提を抱えて誕生したわけでもなければ、親を満足させるためのペットとして誕生したわけでもない。
労働力云々の話を昔の人にしたら「お前間違ってるぞ」とか「家族でもいいから人手が必要な仕事だってあるんだ」とか言われそうだけど、現代人なのでそう考えるんです。

親が生を「与えてあげた」という考え方の人は、「(無条件で)親に感謝して孝行しなさい」と言うし、
親が生を「与えてしまった」と解釈する人は、「子供は親に自分の必要とするものは要求していいし、その上でもし良くしてもらったと思うなら感謝すれば良い」と言う。

たまたま僕が後者の考え方であるだけで、思考に善悪は無いとは思うけど。だって全人類そんなネガティブな考え方してたら間違いなく滅ぶでしょ。だから一定数「産んでくれた親に無条件で感謝しろ勢」は必要なんじゃないかとも思ってしまうし。まあ人類、もう滅亡した方がいいと思っているけど。


そんなこんなで、自分はやっぱり親にはなりたくないし、子供はいらないし、セックス前提の結婚ならしなくていいなと思うんです。さらさらそんな気がないからしていないのに、夫婦関係にある男女なのに沙汰無しだから「セックスレス」とか他から勝手な判断されんのも勘弁だし


っていうのを下校中考えてたってだけの日記でした。
それでは。

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