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良い環境って何?:森の中の波打ち際

SDGsやら、生物多様性条約やら、社会は「良い環境」を求めて大きな変革をおこさんとしているようです。でも「良い環境」ってどんなものでしょうか?

さまざまな条件が考えられると思いますが、ここではいろんな視点を総合して、「人を含む生物が生きていける環境と人の文化が維持されること」だとしたいと思います。すなわち生物多様性が保たれるような環境です。以前、生物多様性についての記事も書いたので、そちらも参照してください(*リンク)。

この目的を達成する上でキーワードになると思われるのは「水の流れ」ではないか?という話をします。タイトル画像を見てください。秋の森の中の清涼な雰囲気が伝わってきて、何も説明せずとも、こんな森が良い環境だと直感的に理解できるのではないでしょうか。こんな森が維持されるために、最も大事だと思うのが水(の流れ)だと思い切って言いたいのです。こうした考えがうまく表現されている本があるので、下に紹介します。自然の見方の一つの軸を与えてくれる本です。この稿では、本の中身を紹介するのではなく、物理化学であったり微生物の反応という、一つの限られた視点から、環境中の水の流れがなぜ重要なのかを考えてみたいと思います。

水は運び屋 森の中の波打ち際

良い環境ではなく嫌な環境について考えてみます。嫌な環境ってどんな場所でしょうか?放棄された人工林、薮、切り開かれ土壌が剥き出しになってガチガチに固まった土地(土砂流亡が起こる)、ガチガチにコンクリートで固められた川などなど、人によって色々考えられると思います。これらの環境に比較的共通してみられるのが、土や空気の中を水(水蒸気)がうまく流れない、ということです。コンクリートで覆われた土地は言わずもがなですが、開かれて植物による被覆や大きな樹木の根がなくなった土地では(人工林、薮、開放地)、雨によって土が固められ土の中に水が染み込まなくなってしまいます。

森、草原、人が暮らす土地、全ての生態系は、そこに住む動植物や微生物の生活の上に成り立っています。うまく水が流れないのであれば、水が潤沢ということだから生物にとっていいのではないか?前回、生物には水が必要だと考えました(**リンク)。ならばいうことなし!と考えられたとしたら、それはNO!だと、僕は言いたいと思います。なぜでしょうか?

ここで大事なのは水はいろんな物を溶かし運搬する優秀な運び屋である、ということです。特に大事なのは、水が酸素を運ぶということです。僕たち人間は、水の中に頭をつけて深呼吸でもしようものなら1時間は後悔することになるでしょう。なので、忘れがちですが、水は酸素を溶かしていて、実にいろんな生物がその酸素を利用して生活しているのです。ざっくり言って土の中の微生物や根はこうした酸素を元に生活していると予想できます。

水が土の中を滞水してしまったら、どうでしょうか?あるいは、水が動かずそれにともなう空気の移動もなくなったら...これはあなたが微生物や植物の根だとすると、頭を掴まれて水の中に押し付けられるような非常事態です!微生物や根は代謝をするために常に呼吸をしているので、二酸化炭素を出しています。もし、新しい酸素が供給されなかったら、酸欠になってしまいます(嫌気環境とも言います)。この環境が、植物の根が腐ったり、腐敗と呼ばれるいろんな不快な反応が起こる契機になります。コンポストの経験がある方は理解できると思いますが、酸素がない環境では植物の分解も進まず、生態系の中の物質循環も滞ってしまいます。

水の流れの滞った環境が広がると、上に書いたように、(1)植物の根の衰退、(2)腐敗が進行、(3)一方、正常な(?)分解は進まないなど(人にとっての)生物を介した問題が起こるだけでなく、物理化学的にも問題が起こります。例えば、土壌の構造が破壊される、というものがあります。健全な土は、団粒構造という大きさの異なる土の塊からなっています。この間に隙間がたくさんあり、菌類や水や空気があって水がうまく流れるようになります。うまく森が発達していく過程で、パイプ道という水の通り道も形成されます。ところが、水が滞水するとこの土のなかの構造を破壊してしまい、細かい均質な土壌になって、ますます水と空気が内部で動かなくなってしまいます。

酸素のあるこちら側とないあちら側

好気環境と嫌気環境は、陸と海みたいだなあと思います。その間は波打ち際と言っていいでしょう。それを境に生物相が大きく変わって多くの動物や植物は酸素のない向こう側では生きていくことができません。「海獣の子供」という漫画で次のような表現もありました。

波打ち際は生と死を分かつ際だ。死者と生者が入れ代わる境界なんだ。海に棲むものにとって、波打ち際のむこうは死者の世界。彼らにとってそこに棲むものはすべて死の国の住人だ。(五十嵐大介さん「海獣の子供」)

人間が嫌だと思う嫌気環境は、この表現を借りれば死の国の世界と言っていいかもしれません(*もちろん発酵など人間の文化にとって重要な嫌気反応もあります)。

なぜこんなにも酸素のあるなしで大きく環境が異なるのでしょうか?根本的には「酸素」が化学反応に大きな役割を果たすというのが原因だと思いますが、ここでは筆者の好みから、化学分野のややこしい話には立ち入らないようにします。面白いのは、地球ができてまだ新しい数十億年も昔、世界に酸素はなく、嫌気性の微生物のみが暮らしていました。そこに酸素を生み出す生物が現れ、さらに空気中に蓄積した酸素を利用できる生き物が現れ、酸素を利用した代謝が生き物のエネルギー効率を爆上げ、それによって単細胞ではない多細胞生物が生まれたとさえ言われています。空気を介した生物の入れ替わりは、こうした生物の進化史を反映しているように思えます。

まとめ

放棄された人工林、薮、切り開かれ土壌が剥き出しになった土地、ガチガチにコンクリートで固められた川。どれも土の中に水がうまく浸透しにくくなっていることが多いです。水や空気が動かなくなった嫌気環境は、好気環境に適応してきた人間を始め、多くの現代生物にとって不適な場合が多い...とくに森林植物が弱ってしまうというのは、健全な水を得る、という人間社会の根幹を揺るがす問題です。

本来こちら側(好気環境)だった自然の中で、あちら側の世界(嫌気環境)がたくさんできてしまうというのが問題なのかもしれません。そういう状況が思っているよりも広がりつつある、というのが今の社会の実情に見えます。コンクリート施工や森林伐採で水の流れを分断し滞水させる、ということは世界中で行われています。生物の世界は、人間の良い悪いを超えて懐が深いので、あちら側にもたくさんの生物がいます(細菌など)。それらとうまく付き合っていく知恵が、持続的な社会や文化を取り戻すには必要なのではないでしょうか。

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