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生物多様性って何?(その1)

2021年現在、SDGsとともに生物多様性という言葉は、いたるところで耳にするようになっていて、現代社会を語る上で欠かせないキーワードになりました。その一方で、どれだけの人が「生物多様性って何ですか?」と聞かれて、即座に返答できるでしょうか?わかるようでわからない、そんな言葉ではないでしょうか。「多様性」という言葉から察するに、生物種がたくさんいることでしょうか?生物多様性を守るとは、できるだけたくさんの生物種を保全することなのでしょうか?

それでは何か説明が十分にされていないような、かゆいところに手がとどいていないような感じがします。じゃあ生物多様性とは?それを守るとはどういうことなのか?そんなことを考えてみたいと思います。

定義と誤解

まず生物多様性の定義について、以下に環境省のホームページから抜粋してみます。

生物多様性の定義
すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない。)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む
(生物多様性条約条文:環境省HPより)

生物多様性とは、いろんな生き物、そして生き物を養っている、いろんな環境(生態系)のことだと言っています。そんなこと言われなくてもわかるわ、退屈!と思ったかもしれません。でもこの定義をある側面から見ると、とても面白いと僕は思います。大事なことは、生物多様性とは、数値で表される何かではない!ということです。

例えば、ある川沿いの森をイメージしてみましょう。トチノキとサワクルミが生えていて、果実が落ちてそれをリスが食べ物にする。リスの家に持ち運ばれた果実の一部が忘れられ発芽し、それがまた木になる。川を遡っていくと、標高が上がるにつれ植生が変わり、ブナの森になる。斜面を登った水蒸気が森に雨となって落ちる。ブナの葉に落ちた雨が幹を伝って、腐葉土に染み込んで、涵養された水が下流に流れそれが川沿いの生物の命を支える。

自然の中にはいろんな奴が生活していて、そうやって全体のシステムが成り立っているのです。それが生物の世界の本質的な特徴・基本(つまり生物多様性)であって、生物多様性を守るとは、いろんなものの集合全体を守ることである。それが生物多様性という言葉がもつメッセージなのではないでしょうか?

繰り返しになりますが、生物多様性とは多様な生き物・環境が存在するという自然の状態(数で無理矢理数えると常に1)であって、それを保全するとは、その状態が保たれるように、自然の機能がうまく回るようにすることではないか。それが僕の解釈です。生物多様性を何か数で数えられるものだと考えようとすると、自然の中の要素を取り出してきて、その数を数えることになります(遺伝子型の数、種の数、生態系の数とか)。生物多様性を保全するということは、何か一部の生物グループの数を最大化することではないのではないか。

全体を考えることが大事と言われても、よくわからない、もしくはなぜそんな当たり前のことをわざわざ言うのか、と思われるかもしれません。しかし、現実問題として、この側面は見落とされがちで、それが多くの問題を産んでいるのが現状だと思います。生物多様性条約を作った先人たちの、「良い環境」をめぐる格闘の歴史が、そこに垣間見られます。具体例を見るとわかりやすいかもしれません。以下その例について、いくつか考えてみたいと思います。

「何かを取り除くことで解決する」という考え

1950年代、60年代の環境問題とは、すなわち公害問題だったということができます。レイチェルカーソンが、沈黙の春という本を書いて訴えたことは、工場から出てくるある化学物質が生物を殺しているということでした。日本でも工場の排出物によって多くの人が苦しんだ歴史があります。

公害問題は比較的シンプルな問題であって、それを解決する=公害の原因物質を取り除く、ということです。しかし、こうしたシンプルな考えが、現在の、より複雑化した環境問題に当てはめられることで、いろんな問題が起きています。

例えば、外来種問題。外来種がたくさん蔓延って地元の種が追いやられてしまう。この現状をみた時、多くの人は、種の数を減らす原因となった外来種を取り除こうと躍起になります。しかし外来種は強いのです。外来植物は茎や葉をいくら取り除こうと、根がずっと残り、すぐに回復してしまいます。では根を取り除けばいいのか?それは、もうめちゃくちゃ大変です。筆者は昔、アメリカ合衆国のフロリダで蔓延るマンリョウを取り除く活動に参加したことがありましたが、それはほとんど無限の作業に思われました。

そうして直接的な手法に敗北した人は、次に薬物や別の外来種を導入する、という飛び道具に頼りがちです。しかしワンチャン効果があるかも、と言って導入されたものが、また新たな環境問題を起こすことが頻繁にあるのです。

環境自体に取り組むことが必要とされているのではないか、と僕は思います。外来種は、概して健全な森林ではない荒地に生育する生態を持っています。荒地が放置されるという状況(自然を手入れする文化が失われた、などなど)をどうにかすることが必要なのではないでしょうか。そして、生物多様性(全体)を回復させる、という視点があれば、外来種を殺す!と怖い顔をするのではなく、全体をよくしよう、取り戻そう、という考えになるのではないでしょうか。

近視眼的になるのではなく、全体を見る視点を養ってほしいというのが、生物多様性にこめられたメッセージではないかと僕は思います。

「生物多様性とは何か?その2」に続く...

注:このブログで書いていることは、僕がいろんなものを見聞きして考えたことであって、”正しい”生物多様性の解釈を教えようとしているわけではないことに注意してください。読んでくれた人がそれぞれ考えるきっかけになれば幸いです。

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