見出し画像

年末の振返や新年の抱負について思ったこと

SNSで年末の振り返りから年始の抱負を最近ものすごくたくさん見た

いろんな人の投稿を見て、自分でもびっくりした感想を持ったのでそこを言葉にしてみようと思う

なんだかんだで経営者の知り合いが多く、どうしても振り返りとなると(経営者に限らずビジネスやっている人の多くに見られることだが)売上目標を達成した、未達だったという内容が多く
抱負にしても売上〜円達成する!とか利益を〜%にする!のような目標がよく見られた

目標設定のポイントは「SMART」と言ったりするが、ビジネスの目標は確かに定量的で明確な方がいい
目標が明確であればあるほど、現状との差分がはっきり認識でき、何が問題なのか?という問題特定がしやすくなり、課題解決に効果的だからだ

ただ、振返りも目標も数字で語られている文章を見て、言葉を選ばずにいうと「くだらないな」と思ってしまった

この感想を持った時に自分でもびっくりした

実際、自分でも数字にはものすごく拘っていて年収1000万円になりたい!と思っていた時期も、売上1億円なんとしてでも達成したい!と一生懸命取り組んでいた時期も最近まであったからだ

そんな昔の自分が今のこの「くだらない」という感想を聞いたら「何を愚かなことを言っているんだ、そういうやつは絶対に成功しない」と無碍にしていたと思う

今年の自分の時間の使い方が多分に影響しているのかもしれない
今まで仕事中心の生活だったのに、ほとんどの仕事を手放して、旅中心の生活を2023年は過ごした

人生で最も価値の高いものは「思い出」という価値観が最近強くなっている

仕事にしてもプライベートにしても分野は何であれ、結局死ぬ時にはいくらお金を持っていようが、いくら物を持っていようが意味がない
その時に意味があるとすれば自分の人生は満たされていたなと思う思い出くらいなんじゃないかと考えるようになった

そしてこの思い出という観点からすると
年収が1000万円になろうが、売上が1億円達成しようがそんな数字はどうでもよくて、誰を幸せにしたのか?誰とどんなドラマを過ごしたのか?に尽きる

別に利益率が10%上がろうが、死ぬときに「あぁ、利益率が10%もあげられて幸せだったなぁ」とはならないはず

ソーシャルビジネスへの注目が最近ものすごく高まっているように感じる
社会問題をビジネスで解決するというやつだ

社会問題だろうがなんだろうが、ビジネスとして成り立つためには誰かの問題を解決したり誰かの役に立っているはずであって、世の中に存在する全てのビジネスは誰かになんらかの良い影響を与えているんだと思う

ところが自分はすごい冷めていて、今の世の中に必要不可欠なビジネスなんてないと思っている節がある
どこか1つの会社が消滅したところで、一定期間困る人は出るだろうが、大体半年〜1年もしたら他の企業に代替されて、世の中は何事もなかったかのようにまた回り始めるに違いない

そうすると、今やっていることってなんの意味があるのだろう?とふと病みかけた時期が2023年にあった

結局どんなビジネスであれ、なくなっても世界はまわるのだとすれば自分が死んだところで常に世の中には上位互換に代替される運命なわけだ

とするならば、使命感持ってやることになんの価値があるのだろう?と思ってきた

結局自分の自己満じゃないか?と

で1周まわって自己満こそが人生の醍醐味だなと思うようになった

自己犠牲という土台の上に立つ他者貢献、社会貢献なんてきっと後悔するし、思い出効率が悪い

より良質かつ多くの思い出で人生を満たすにはとことん自己満足にリソースを割いた方が効率がいい

そしてこの自己満足には他者の幸福や社会への貢献が必要不可欠だ

自分だけが笑っていて他者が苦しんでいるとしたら、その状況は思い出にになり得ない

最近、こういう思考が増えてきた

自分のためにやったらダメだ→他者のために動くべきだ→やっぱり自分のためにやるべきだ!
目標は曖昧なものじゃダメだ→目標は数値化して定量化しないと!→数字はただのKPIじゃないか、その数字の先にどんな思い出をつくるか?こそが大事だ!

というように思考が1周して元に戻るようなことだ

だからこそ、数字はただの数字。その数字の先にどんな思い出が待っているのか?を自問自答したいし、関わる人にもきっとあるはずなので深く知りたくなった

そんなことを考えた年末年始だった

自分の思考の整理のために書き続けているこのnoteも読んでくださる方がいて結構力づけられています
読んでくださってありがとうございます


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?