病み快復note
以前「世界一周したら病んできた話」というnoteを書いたら思いの外、反響がありました
意外だったのは「わかる」という共感の声が一定あったことでした
側から見ると、常にやりたいことに溢れていて活動的でエネルギッシュな人たちから「共感する」みたいな言葉をもらい
「あぁ、自分だけじゃないんだな」と少し救われた気がしました笑
反響があって、何人かの人と会話する機会に恵まれていくつか思考が前進したのでそのことを今回書いてみます
・好きなことを好きでいるためには
「好き」という気持ちは、自分ではコントロールできなくて、「なんで好きなの?」と聞かれてもまぁ後付けで理由は色々言えますが、結局「だって好きなんだもん」みたいなロジックではないところにベースがあるので、「好きなことを好きでいるためには?」みたいな問いは考えたことがありませんでした。
ところが、今回大好きな「旅」を1年間やり続けて「好きなことを好きでいるためには?」という問いに向き合うことができました。
好きな人であれ、好きな食べ物であれ、好きな体験であれ、「好き」だからと言って四六時中そのことだけをしていたら嫌いになることがあります(僕にとって旅がそれでした)
旅は大好きだし、一生の趣味だなと今も思っているのですが1年間旅し続けるのはやりすぎました笑
仕事でロジックで考えまくっているのに、時たま旅して非日常を味わい、大自然に癒されて、ゆっくり内省できてやるべきことがすっきりするし、旅ができる幸せを噛み締めることができる。
好きなことだけできる人生って理想だなと思っていたのですが、「好き」があるのは「嫌い」があるからだし、日頃うざがっていたストレスだったり負荷だったりやらなきゃだったりする義務感みたいなものは「好き」なものを「好き」でい続けるための重要な要素なんだと気づきました。
「ワークライフバランス」という言葉があります。仕事とプライベートのバランスを考えようという意見も僕はわかりますし、いやいや仕事はプライベートに影響を与えるし、プライベートも仕事に影響を与えるし線引きする必要ないでしょという意見もわかるなぁと自分の意見をなかなか確立できずにいたのですが、今回の旅でなんとなく自分の意見が見えてきました。
僕にとってのワークライフバランスとは「仕事」「趣味」「家族」「人間関係」「健康」の5つの分野のバランスが調和されていることだなということです。
全て均等のバランスにする必要は全くないと思いますし、人生のステージによってバランスは変わると思うのですが
旅に出る前の自分は時間の使い方として
仕事;50
趣味;15
家族;10
人間関係;20
健康;5
くらいのバランスだったのが
旅に出て
仕事;10
趣味;40
家族;40
人間関係;5
健康;5
くらいのバランスに変わりました。
日本で仕事ばかりでぞんざいな扱いをしていた妻との時間をゆっくり取れていること、好きな旅を思いっきり楽しめているなどのいい面はありつつ、やはり僕にとっては友達と過ごす時間(人間関係)だったりやりたい仕事を思いっきり進めることは大事で、その時間が全然取れていないことにモヤモヤしていました。
今の自分にとってどんなバランスがベストなのか?ということを考えることこそが自己分析であったり内省の賜物なんじゃないかと思えました。
自分にとっては
仕事;40
趣味;15
家族;15
人間関係;20
健康;10
くらいがいいんじゃないかなというのが今のところの仮説です。
これはきっと仕事のステージだったり子どもができたりといろんな要素ですぐに大きく変わりうるとは思うのですが、「今の自分にとってどんなバランスが調和が取れているのだろう?」という問いはこの世界一周を通じて得られた問いでした。
・「やりたいこと」のレベル
やりたいことリストというものがあっってそのやりたいことリストを達成していくことが自分にとっての人生の大きなモチベーションという話を前回のnoteで書きました。
やりたいことを1つ達成すると自然と新たにやりたいことというのが複数思い浮かんでやりたいことリストは永遠に更新され続けるものだと思っていたのですが、この1年でやりたいことをものすごい勢いで達成していくと、やりたいことが全然増えなくなって悩んでいました。
で、気づいたのは「本当にやりたいこと」ってそんな数あるもんじゃないということです。
一般的に「死ぬまでにやりたいこと」みたいな言葉でネットや本で書かれているやりたいことリストというのは多くの場合「他人がやっていて羨ましいなと思うものリスト」です。
なので結局は真似事なんです。自分がやりたいことなのではなく、他人に嫉妬して「やってみたい!」ととりあえず思っているだけのものです。
やりたいことリストを書いて、叶えていくプロセスは
・自分のやりたいという欲望に素直になる
・本来誰にでも備わっているが蓋がされがちな好奇心の蓋が解放される
・やりたいことをやれるんだ!という自己効力感が上がる
みたいなご利益はたくさんありますが
自分のやりたいことやっているというモードの人には全然ご利益発生しません。
むしろ昔考えたやりたいことが、自分が成長して今はやりたいと思っていたのに「有言実行しなきゃ」と呪いのように自分を縛り付けることがあります。
僕は20代お金で苦労してやりたいこと全然できなくて悔しくて、仕事でも全然成果が出なくて悔しい時期だったのですがそのころの自分と今の自分はまるで違います。
まるで違う自分になっているのにやりたいことが変わっていないことの方がおかしいことです。
やりたいことや大事にしていることは人生のステージごとにアップデートされていくものなのだなと。
・幸せと自由の関係性
この1年、僕はめちゃくちゃ自由でした。朝何時に起きてもいいし、毎日食べたいと思ったものを食べて、1日中ゴロゴロする日もありました。
やってみたい!と思ったことはとことんやりましたし、今まで「高いなー」と敬遠していたものにも躊躇なくお金を使って旅をしてきました。
ぼったくられたり、騙されたりでイライラしたことはあったものの、それらを除いてほとんどストレスのない1年間を過ごしたわけですが、幸福度が自由度に比例して上がったかというと全然そんなことはありませんでした。
「自由になれば幸福な毎日が送れる」という”宗教”を信じて人生走ってきた僕は、いざ自由が手に入って思い描いていた幸福が手に入らず困惑していました。
自由とは「何にも制限されたり縛られない状態」だとすると、これほどまでに不安でストレスフルな日々はないんじゃないかなと思えてきました。
日の出とともに起きた方がいい
朝昼晩ご飯を食べた方がいい
日本人だからお米が身体に合っている
人との出会いは大事にした方がいい
など旅をしていても自分が信じて疑わないことはたくさんあります。たくさんのことをなんの根拠もなく盲信しているのですが、信じるものが何も無くなった状態は超絶不安で虚しいです。
きっと盲信するものがあった方が人は幸福を感じやすいのだと思います。
資本主義だろうがソーシャルインパクトだろうが、自由に生きることだろうが、美味しいご飯を食べることだろうが、なんでもいいので自分がこれは大事だ!と信じて生きている状態は捉え方によっては不自由ですが、不自由でも幸福度は上がります。
1)重要なことは自分が何を信じているのかを自覚すること
2)信じていることのアップデートを定期的にすること
この2つなんじゃないかなと。
自分の所属するコミュニティや自分のスキルや年齢、結婚や出産など人生の信じるものは意外と次々と変わっていきうるものなのに「軸のある人はかっこいい」という価値観のもとに昔の自分が決めた軸に縛られて(呪われて)苦しむことは意外と世の中多いのかもしれません。
この思考は、悩んでからいろんな人と話したり、いろんな本を読んだり、いろんな記事を読んでまとまった2024年3月10日の今のところの僕のアウトプットです。
悩みをnoteに書いたらいろんな人からメッセージをもらえて、それはとても有り難く、それだけで満たされました。ありがとうございました。
というわけで、かなりクリアな状態になったので、また信じるものを決めて、全力疾走しようと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?