no title

 私はその日、よくわからないけど、全てうまく行くような気がしていた。
昨日の夜にはなみずきの匂いの入浴剤を入れた。ちゃんとストレッチをした。首筋に甘い匂いをたらした。

 たとえば、言葉のあやだとかチョークで手を汚す、彼だけの技法的なものに官能さを感じる時。
彼の濡れたドロップのような目に吸い込まれる時。
 このまま、途方もない夕暮れの赤に血も骨も染められていくような感覚にふと恐ろしくなる時。
 美術館で意識が研ぎ澄まされ、外に出た瞬間、全て夢だったのではないかと胸がざわざわする時。
 彼は必ず私の頼りない腕を掴み、その感受の深淵に足を踏み入れないようにそうっと救い出してくれる。その優しさは時に暴力的な色気を含む。私より年齢を重ねた彼がそれをコントロールするなら、私はそれに屈服すべきである。

 たんぽぽの綿毛のような柔らかい猫っ毛と、ずる賢い瞳、薄い唇に少し浮かぶ世間への嘲笑。彼を形成するもの全てが私にとって絵画より、文学より、宗教より尊い世界で、自分の手によって全てを明らかにしたい、その心臓の場所を、血の味を、骨の体温を、私の唇ではかりたい、とおもう。

夏がくるころ。開放感からいつもより膝の上の白の部分が広くなる。能力を数字で判断する紙をひらひらさせる生徒の手が四階から小さく見える。
 チョークの粉を纏った埃が祝福する2人だけの幸せのステージで、首元の赤いスカーフから覗く小さな淵に、彼は、君は、2人だけの刻印を残した。それは金継ぎのような、飴細工のような、江戸切子のような。大胆な発色からは想像つかないような緻密さで、彼によって手作りされた。わざわざ襟をめくって確認しながら大事に持ち帰った。
 家の庭で熟れたトマトがこちらを睨んでいる。淵の印がじりじりと熱を持つ。
 次の日、ベッドから起きてみると、それは青紫に変化していた。お風呂で見た時はまだ鮮やかだったのに。母が朝ごはんのサラダに使うトマトを洗っていた。ざまあみろ、とどこからか声が聞こえた。

少女が大人になる時、きっとそれは内包的なものでなくて、思ったよりも外側の世界で起きる。でもそれの輪郭は内側ではっきりしている。
 体のなかでいつの間にかふつふつと煮えたぎったものに、「品格」の蓋を「あどけなさ」の重りで無理やり押さえつけている。
夏の西日で暖まったシーツが冷め、水族館のガラスのようになったからちょうどよかった。ぐつぐつと煮えたぎったものは彼の手によってこぼされ、体の外に滲み出てしまったから。彼の茶目に光る花束は相変わらず制御不可能になった温度計とこぼれてシーツの色を変える一連の流れを映し続ける。
 首にマーガレット、カランコエ、胸にバラとさざんか。彼の目の花束は私だった。
 何気なく下を見ると百合の花弁が中途半端に赤く染まったまま落ちていた。
 そこから彼とは学校が始まるまで会わなかった。

 私はうまくいくような気がしていたのだ。染める赤がそれを証明している。
とってつけたように食道に流し込むぶどうジュースと、彼が目を細めながら飲む赤ワインばかりが記憶にのこっている。頭の芯がろうそくの炎のように上がりきらない温度でぼうっとしている。
 普段はペンを持つ大きな手で私の核心に触る。他の子たちに教える声で私を蕩けさせる。薄い生地の下に透ける色の正体が露わになる。
 感覚と目で見た記憶しかなく、手に取れる証拠がないことが悔しかった。

 秋が来る。夏がさる。

 彼が赤いチョークで黒板に文字を書くたびに、物足りなさが発狂するようで、なんとなく首の下を撫でた。


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