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質問ある方~?のとき発言できますか。

こんばんは。

ヨガマットの上で、外の音をず~~と聞いている、たからです。

今日は、知的謙遜について考えます。

勉強会に参加したんですが、それに当たり、目標にしていたことです。

知的謙遜

自分の能力について客観的にみることができ、謙虚に相手から学ぶ姿勢を常に持つこと。

年々、経験を経るごとに邪魔になるのがプライド。これが本当に邪魔です。

知っているふり、間違った自分を知りたくない自分、他の人より優れていたいという思い込み、期待に応えたいという願望も。全て学びにおいて凄く厄介です。

よく勉強会で、講師の方から「ここまでで質問ある方~?」とか「これってどう思いますか?」とか投げかけられた時に応えられない自分が居る。

それは、間違ったらどうしよう。とか、これさっき言ったじゃん。とか言われたらどうしよう。とか的外れな質問だったらどうしよう。とか。謎の不安に襲われて、発言できずに終わります。

僕は、学生時代に社会人が参加するような勉強会に参加したことがある。

その時は、自分が無知であること・周りの人の方が優れていると思っていたから、思えていたから、何でも質問した。

知らなくてすみません!間違ってすみません!でも、それの何が悪いの?これから学んでいくから、教えてください!お願いしゃす!!

といった感じで、どんどん突き進んでいった。

それでいいんだと思う。間違って何が悪いんだろう?と。

しかし、経験を積むごとに、知識や技術はあって然りなものに感じてしまい、そして、平均より上だろうバイアスがやってくる。

アメリカの高校生を対象にした、ある調査では、自分が平均より上と答えた人は70%、平均より下と答えた人は2%だったらしい。

平均以上効果が働く。レイク・ウォビゴン効果ともいうらしい。

ずば抜けて凄くないにしても、割と良い方かな?みたいな。

一方で、平均以下効果もある。

できると思っていたことができなかったり、自分の期待に反する結果になったときに、みんなはできるのに自分だけできない。と思ってしまうこと。

結果的に、間違った自分を見たくないという自己防衛がやってくる。

「質問ある人~?」のときに頭によぎり、やめておこうという判断になってしまう。それは、成長を妨げている。

今回の勉強会からは、それを捨てようと思った。

知らないからもっと知りたい!教えて欲しい!

ここが分からない!こう思ったけど、どうなんだろう?

知識の量は関係なく、相手は自分に何かを教えてくれる。

あの学生時代のがむしゃらな感じ。怖い物を知らない感じ。

あの頃を思い出して、あの頃に戻りたいとか思うのかもしれない。

けど、今もその感じに戻れないのか。

社会人のマナーを知っている、学生のようながむしゃらな感じになればいいんじゃないか。ハイブリッドしていこう。

そんな気持ちで参加した勉強会は、非常に有意義だった。

シンプルに楽しい。

感想も伝えた。感謝も伝えた。師匠にも、同士にも。

質問には発言してみた。自分はこう思った!と伝えてみた。

考えすぎ無くていい。楽しめ。と、そんなことも学べた勉強会だった。

ありがとうございます。


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