【連載】“クソったれ”な日本の教育#3:その場しのぎの国際化という罪
「【連載】“クソったれ”な日本の教育」は、教育者である私が日本の学校教育に物申すコラムシリーズです。教育者から見える日本の学校教育が、どれほど“クソったれ”かを、怒りと皮肉たっぷりでお送りします。
前回の記事はこちら。
https://note.com/ikes822/n/n67dd22504e94
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日本教育の変遷は、「失敗」の歴史である。
そしてそのツケはいつの時代も教育の受け手、つまり学生へと回ってきた。
言い換えれば、学生は(どの世代であっても)絶えず被害者であった、と言える。
そして、今この瞬間も、学生は多くのツケを払わされている。見ず知らずの大人によってもたらされた失敗のツケを。
1980年代:中曾根内閣の教育改革(国際化への対応)
「教育の国際化」が初めて叫ばれたこの時代、私は高校生~大学生前半だった。
中等教育でネイティブの先生(今で言うALT)が英語の授業を担当するというニュースに、欧米人を見たこともなかった私はかなりの驚きと少しの羨望を感じてはいたが、国際化は歓迎すべきものであった。
1989年に告示された学習指導要領では、英語コミュニケーションの重要性もさることながら、「国際理解」に関する記述が強調されたことも、当時からすれば画期的であった。
教育学を学んでいた私はそれに呼応するかのように「教科書の中の異文化」というテーマで卒論を書いた。しかし、学士論文執筆を経て見えてきたのは、国際化教育の形骸化であった。
英語教科書に見られる異文化は、「異文化理解」の文脈で語られることはなかった。様々な国に関するトピックを取り上げる努力は見られたものの、所詮、生徒が学ぶのは単純に英語の文字列に過ぎず、英語は読解されるものでしかなかったのだ。
現場の教師にしても、「異文化理解」をどう教えれば良いのかという認識が共有されておらず、教師自身にも、生徒に伝授できるほどの異文化理解力が身についていたか甚だ疑わしい(「エセ教師」大国!)。結局は「国際化」が「英語教育の推進」に読み替えられるということが頻繁に起こっていた。これが「その場しのぎポイント①」である。
また、時を同じくして、外国人研修生という在留資格が新設された。
バブルを期に右肩上がりであった日本が国際協力を実現する手段として設けた外国人研修制度は、「技術の移植」という名目でこの時代に推し進められた。つまり、学びを提供する場として、日本の労働市場が中国や韓国などからの外国人に開かれたと言える。しかしこれは後年、様相を変貌させていく。
1990年代-2000年代初頭:バブルの崩壊とゆとり教育
90年代に入り、バブル経済が崩壊すると日本は窮地に立たされた。それは経済的な観点のみならず、人々の日常生活においてもであった。
自殺率の上昇や、地下鉄サリン事件、学校でのいじめ増加。挙げればキリがない。
そうした現状を受けて、教育の現場において「ゆとり教育」が本格化した。従来の詰込み型教育から脱し、思考力のある人材を育成することが日本を再浮上させるという希望がここにはあった。
指導要領が改定され学習内容が削減されたり、土曜日が休日になったりしたのがこの時期だ。
しかし蓋を開けてみれば、それは学力低下という結果をもたらした。OECDでの学習到達度調査で日本の点数が低下したのだ。
もちろんこの点数低下でもって教育の失敗と言いたいのではない。問題は政府のその後の対応にあった。
政府は指導要領を再改定し、脱ゆとりを目指したのだ。これによって、ゆとり世代は負の世代として認識され、人生を通して「ゆとり世代」というレッテルを貼られることとなった。これが「その場しのぎポイント②」だ。
2000年代後半:グローバル人材の育成
2000年代の後半に入ってくると、ブリックス(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)といった新興国や、ASEAN(東南アジア諸国連合)などのアジア諸国が台頭してきた。
これには日本政府もかなり焦りを感じていたに違いない。世界を牽引するはずの日本で、ゆとり教育が「失敗」してしまったからだ。
そこで今度は、グローバル人材育成の場として教育の場を捉える動きが出てくる。グローバルに活躍する人間が居れば、国際社会からの評価も上がると考えたわけである。
しかし、ここでもまだ人々は(文科省の役人でさえ)、英語力をグローバル人材に結び付けて考えていた。そして、政府は国内でのゆとり教育失敗を受けて、国外の教育機関に教育を丸投げすることを思いつく。それが、留学推進政策である。(「その場しのぎポイント③」)
当時は円高の時代。金銭的にも今よりハードルの低かった留学はこれによって注目されるようになったが、それでもなお留学に行く人は一握りでしかなく、とても国際社会で評価されるほどの人数規模には至らなかった。アメリカで他の東アジア圏の人々よりも日本人の存在感が薄いのは、この留学推進政策が中途半端であったからに違いない。
一方この頃、帰化する日系ブラジル人の数が頭打ちになった。そして同時に、2007年、日本は超高齢社会に突入。労働力問題が喫緊の課題となったのだ。
そこで、80年代に設置した外国人研修制度を技能実習制度と改め、「学習者」であった外国人を、「労働者」として扱うという大胆な移民政策を行った。
ここでは「移民政策」と書いたが、今も昔も自民党は「日本では移民政策は行っていない」という主張を繰り返している。つまり、この法改正は「労働力」ということだけにフォーカスを当てることで、労働者が持つ日常性を極端に排除しているのだ。労働者は労働者でしかなく、日本社会に生きる構成員という認識は端からないのである。
果実の蜜だけを吸って捨ててしまうというのが、日本政府の移民政策の実態だ。(「その場しのぎポイント④」)
2010年代:円安とインバウンドとSDGs
2010年代は円安の時代である。あれほど進めていた留学推進政策も円安によって停滞し始めた。
そこで文科省は官民連携で選抜型の給付型奨学金「トビタテ!留学JAPAN」というプログラミングを始めた。2014年にはスーパーグローバル大学と銘打って、日本の大学と海外の大学の提携を推し進めも図った。
こうして、学生の外向きな志向を促す一方で、国内の多様性には一切の注意も払われないでいるのがポイントだ。とにかく政府は学生を外に送ることばかりを考え、労働者として外からやってきた学生やその子供を包括する政策を無視しているのだ。最低、最悪としか表現にしようがない(「その場しのぎポイント⑤」)
一方で、インバウンド需要によって経済を立て直そうとし始めたのもこの時代だ。訪日外国人観光客を増やすことを念頭に、都市部を中心とした都市開発が進み、道は整備され、公園は大型商業施設へと変わっていた。
多大な宣伝費も相まって、実際に訪日観光客は増加したが、その陰で増加していく外国人労働者はないがしろにされ続けていた。移民労働者のケアをするより、観光客のケアをすることのほうがコストはかからないし、外貨の流入も見込めるからである。(「その場しのぎポイント⑥」)
そして、2015年には国連でSDGs(持続可能な開発目標)が採択。
SDGsに関しては、日本政府は当初やる気に満ちていた。しかし、それはやる気でしかなかった。
ピコ太郎の世界的ブームに乗じて、彼をSDGs推進大使に任命するというミーハーさは記憶に新しい。宣伝に多額の費用をかけたあの活動によって、実際どれほどの国内課題が解決したのであろうか?見栄えばかりが先行し、内容の全く伴わない活動に数多の金がつぎ込まれた。これが「その場しのぎポイント⑦」。
SDGsの形骸化という面では、日本政府には目を見張るものがあると言わざるを得ない。その馬鹿馬鹿しさに全世界で称賛の嵐である。さらに言えば、MDGs(ミレニアム開発目標)の頃には全く見向きもしなかった企業や教育機関の輩が、SDGsが流行り始めると、(理念や中身もよく調べもせずに)競うように「私たちはSDGsを強く支持します!」
空いた口が塞がらない。全くダメである。
最後に
これまで大人たちがやってきたこと、本当に馬鹿げている。ここまでまとめてみて、今一度それを認識した。
いや、馬鹿げているということ以上に、自分達のやっていることがよくわかっていないのではないだろうか。
自分たちが何を目指しているのか?
日本がどうなって欲しいのか?
若者に何を望むのか?
それらが何もわかっていないまま、その場しのぎで政策を打っているようにしか見えない。事実、結果的に英語力はさほど伸びていないし、「異文化理解」はようやく最近になって脚光を浴び始めたばかり。SDGsという用語自体を知らない人はかなりいるし、あるいは「外国人」や「ジェンダー観」へのステレオタイプは未だに根強い。
結局は何も成し遂げていないのである。
しかも、さらに悪名高いのは、過去も現在も、大人たちが巧みな表現をつかって、あたかも自分たちが正しいことをしているかのように吹聴していることである。
これまで多くの若者がそれを信じ、鵜吞みにしてきた結果が今である。
日本教育に怒りをぶつかると言いつつ、最後は忠告のようなものになってしまうが、若者はロジカルシンキングする必要がある。“お上”が言うこと、為すことが本当に自分たちのことを考えて行われているか、常に目を光らせ、批判する必要がある。
それこそが新たな若者や学生の被害者を生まない唯一の方法かもしれない。
私が主宰している団体はそんな若者を育成する場として、2008年から活動してきた。現状に立ち向かう力のある学生を育んできたという自負は少なからずある。
その場しのぎの国際化ではない、抜本的な国際化が今こそ行われなければならない。
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編集:関昭典、永島郁哉
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