見出し画像

かわいいは、あふれでるもの

「かわいいは作れる」とはよく言うけれど、それはあくまでパッケージのおはなしで、内面のかわいさを作ることは難しいと思う。内にあるかわいさは、あふれ出るものだから。

そう思ったのも、かつての私が、かわいいを作っていたからだ。


***


中学に入学したての頃、私は自分の居場所を見つけるのに必死だった。そんな中、誰かが私の何気ない仕草を「かわいいね」と言ってくれたんだと思う。

これだ!と思った。

それからというもの、私は「かわいいキャラ」で生きていこうと決めた。漫画のキャラみたいに大袈裟に驚いて見せたり、たどたどしく歩いて見せたり、「人畜無害のかわいいいきものです」アピールを欠かさなかった。そうしたら周りから面白いように「かわいい~!」と言われて、わたしも面白いくらい調子に乗った。その時はそれで友達も出来たし、受け入れられたと思っていた。

でも今になって思う。多分私は都合がよかったんだろうなって。

かわいいの語源は、「かわいそう」。そんなことを習ったのは、高校の古典の授業だった。あ、私だ。と思った。あのとき「かわいい」と言われたくて必死だった私。

今思えば、私はピエロだった。相手に気持ちよく「かわいい」と言わせてあげる都合のいいやつ。私は顔も性格も、何もかわいいわけじゃない。相手からしてみれば、何の嫉妬心も抱くことなく「かわいい」と言える格好の的が、私だっただけなんだろう。私もそうやって居場所を得ることが出来たんだから、その時はそれで良かったはずなんだけど、今振り返ると、あのときの私、ちょっとかわいそうだったなと思う。


***


内面のかわいさはなかなか作れない。それがなんとなくわかるようになった今、本人も気付いていないようなかわいさを見つけると、私は途端に幸せになってしまう。

今、それを一番感じさせてくれるもの。

それは今暮らしている相手。旦那さんだ。
(旦那バカですみません)

旦那さんの「かわいい」に初めて出会ったのは、初デートの時。

動物園にあるバードハウス(色んな鳥がいるところ)を見ていた時、旦那さんが妙に活き活きし始めた。

「やっぱ鳥はいいな」

そう彼がつぶやいたとき、私は前から思っていたことを口にした。

「なんか鳥に詳しくない?」

前から疑問に思っていた。公園を散歩していたときも、彼はやたらと鳥に注目する。しかも「ハクセキレイがいる」「あ、ムクドリ」みたいに、なぜか固有名詞が言える。なかなかそんな人はいなくない?そう思っていた。

すると彼は

「実は小さいころ、『野鳥の会』に入ってたんだ」

と言った。



かわいい。

え、ちょっと待って。かわいくない??え??

私はあまりのかわいさに混乱した。

まだ付き合い立てだった当時、私は彼の情報として「生粋のメタラー(かつドラマー)」ということしか知らなかった。

メタラーである彼が、デスメタルに夢中になる前は、鳥が好きで野鳥の会に入ってた。その事実が「きゅん」と胸をくすぐった。かわいい。野鳥からのデスメタル。そのギャップに私はまんまとやられてしまった。

と同時に思う。彼のかわいい、これは簡単になせる業ではない。かつての私のかわいいキャラなんて、いかに偽物でハリボテで作り物で薄っぺらだったか。それを思い知らさせて、完敗。でも気持ちの良い負け。目の前の圧倒的可愛さを前に、私は静かにノックアウトだった。

彼は、一切計算などしていない。野鳥が好きで野鳥の会に入って、デスメタルが好きでドラマーなのだ。その計算していないピュアさが、私には輝いて見えた。この人、作ってない。なんてかわいい人。好きになる理由として、それだけで十分だった。

それから結婚して、二人で暮らすようになった今も、彼のかわいさは留まるところを知らない。毎日、かわいさをアップデートしてくる。

かの大ヒットドラマ、逃げ恥でも言っていたけれど、「かわいいこそ最強」だ。でも、それは作っていないかわいいのこと。その人が気づいてもいない、あふれ出るかわいさだ。その人はもちろんかわいいし、それを見つけてあげられた自分だってかわいい。そういう全肯定のかわいさだから。

彼はイケメンでも、お金持ちでもないけれど、私にとっては誰よりもかわいい存在。それだけで、私の人生は案外儲けものだなって思えている。かわいいのそばで、今日も生きていけるから。

***

この企画に参加してみました。




一度はサポートされてみたい人生