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【食べたいものを食べるエッセイ】チョコチップクッキー

その日も、いつものように最寄りのスーパーで買い物していた。今日は旦那さんが残業なしで帰ってくる。何を作ろうかと店内を散策していた時、お菓子コーナーで目が止まった。


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これ。


そうだ。私はクッキーが好きだ。バターたっぷりのさっくりとした食感も、口の中でほろほろほころぶやつも、アメリカンなくにっとした歯応えのやつも。クッキーなら、なんでも好き。見た瞬間、私はそのことを思い出してしまった。特にチョコチップは大好き。あのしゃくしゃくした食感。シナモンの香りとたまに当たるチョコチップのカリカリ。買おう。そう自分を納得させて、カゴに入れた。お菓子は贅沢品だぞ。そんな言葉が一瞬頭をかすめたけど、これは買うべきお菓子だと、私は判断した。だから、良し。



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話は変わるけど、私たち夫婦には「お茶の時間」がある。

おしゃれに言えば、フィーカだ。フィーカは、確かスウェーデンの文化だったと思う。お茶とお菓子をいただきながら、束の間のコミュニケーションを大事にする素敵な文化。私たち夫婦のフィーカは、決まって大体夕飯の後。このチョコチップクッキーも、そんな2人の大切な時間のお供なのだ。だから、このお菓子は買っていいやつ。そんな風に理由をつけなければ、お菓子を買うにも誰かに怒られそうな気がしている。だってお菓子は、生活必需品ではない。つまり、贅沢だ。そして、贅沢は、人によっては無駄でもある。


その日も夕飯の後、おもむろに旦那さんはお湯を沸かし、私はチョコチップクッキーを買ったよ、と言ってそれを取り出す。フィーカの時間。ただ、フィーカとは名ばかりで、結局テレビを中心に2人でただ笑ってるだけ。お互いの今日のできごとは、思いついた時にしか話さない。ただ二人でいるだけ。これが私たちのフィーカだ。


「このチョコチップクッキー、絶対前より小さくなったよね」


自分から発した言葉で、思い出したことがあった。Twitterで誰かが、こんなことを嘆いていた。「カントリーマァムが元の大きさになるまで、私は誰が好景気だなんて言っても信じないからな」と。私も、それに激しく同意。私がただ大きくなってしまっただけではと思ったときもあった。でも、勘違いではなかったのだ。今は確信している。あの呟きが、クッキーが小さくなったのは、私のせいじゃないよと教えてくれたから。

自分っていうのは厄介だ。ただの幸せも、幸せじゃないと思いたがるし、自分に非がなくても、とりあえず自分が悪いと思いたがるから。その方が、きっと楽だからなんだろう。

2人で暮らしたての時は、お菓子なんてめったに買わなかった。必要最低限で生活する自分。そんな風に、割り切ってかわいそうになる方が、楽だったのかもしれない。でもこれからは、ちょっとだけ贅沢する努力をしようと思う。私には、ミニマムな生活とか、完全食だけで生きるとか、毎日同じ服を着て過ごすとか。そういうのはやっぱりできないのだ。無駄が好きだし、生活に余白があればあるほど、いい。チョコチップクッキー一箱分を贅沢ととらえるか、無駄ととらえるか。その時によってもちろん違うけど、今日のチョコチップクッキーは、贅沢の方だった。ありがとう。ミスターイトウ。

一度はサポートされてみたい人生