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「お幸せにね」

かつて同じ職場で働いていたAさんが再婚したと聞いた。しかも新しい奥さんは妊娠中らしい。

目ざとく社員名簿から「産休中」の文字を見つけた同僚が、そう教えてくれた。確か前の奥さんとの間にもお子さんがいて、前の奥さんも今の奥さんも社内婚だ。なんかすごいねえ。束の間、そのニュースに周りはざわざわした。

すごい。そう思うけれど、そういうこともあるよね、と今なら思える。ちょっと前だったら「よくそんなめんどくさいことするな」って思っていただろうけど。

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他人の幸せに対して、ここ最近あーだこーだ思うことが無くなった。理由は色々あるけれど、他人に興味が無くなってきたと言うのもそうだし、案外みんな自分でなんとかしちゃうんだよなってわかってきたからだと思う。

昔は「そんなんじゃ〜」と否定から入るお説教をした気もするし、されたこともある気がするけれど、ここ最近どっちも無いなと思う。

思えば20代の頃、私は何より良い恋愛がしたかった。そのための条件を自分なりに以下のように考えた。

一、知り合ってから付き合うまでの期間は最低でも1ヶ月。
一、すぐ手を繋いでくるやつは、信用するな。
一、みんなから祝福されること。(そのため略奪はしない)



今思うと、まじ全部どうでもいい。

でもこの時はこの掟を大事にしてて、この掟を破ろうものなら幸せな恋愛はない!そう思ってた。

ある友人が出会って一週間でお付き合いを始めて「なんか彼のこと好きじゃないかも」と相談してきたときも、私は「当然じゃない?」と冷たかった。今思うと、超心せまいですね。

はたまたある友人が、出会ったその日に「彼から手を繋がれちゃった!」とウキウキLINEで報告してきたときは「よかったじゃん!」と返信しながら、心では「そいつは地雷だぞ…」と思っていたけれど、その後無事にお付き合いを始め、めでたく結婚まで行った。なんかごめんなさい。

今思うと結局なんでもいいんだよな。と思う。

この年になると自分なりの掟を破る人を何人も見てきた。身長180cm以上、学歴は早慶大以上というこだわりを捨てた友人。またこだわりを必死に貫いて、どんなに彼から酷いことを言われても、結婚までした友人もいた。そして両者とも、案外幸せそうにやっているということも。

幸せかどうかなんて本人のみぞ知るで、本人ですら明日には幸せかどうかなんてわからないのだけれど、こうしなきゃ幸せになれないよ、そういう風に言う人がいなくなった今は結構生きやすいなと思う。案外みんなたくましい生き物で、自分が心配しなくても自力で幸せになろうとする。そういう力があるって、この歳になってやっとわかった気がする。

Aさん。あなたが離婚したとき「あら可愛そう」なんて一瞬でも思った自分を返してほしいよ。

お幸せに。そう心の中でつぶやいた。幸せを願っておきながら、無責任で、どこか冷たい響き。でも他人の幸せを願う時は、これくらいの温度がちょうどいいのかもしれない。

一度はサポートされてみたい人生